2022/06/11(土)00:00
ツヴァイクよお前もか またもやフランス革命の原因にされてしまったルイ16世のアレ 評伝「 マリー・アントワネット〈1〉」
みなさんこんばんは。新型コロナウイルスの感染拡大で停止していた海外からの観光客受け入れが団体ツアーに限って解禁されますね。今日もシュテファン・ツヴァイク作品を紹介します。
マリー・アントワネット〈1〉
Marie Antoinette
シュテファン・ツヴァイク
みすず書房
オーストリア女帝マリア・テレジアの皇女に生まれ、ヨーロッパ随一の美しい王国、フランスの王妃となる。お姫様から王妃になる、普通ならめでたしめでたしで終わるはずのマリー・アントワネットの物語が、そうならなかったのは史実の通り。上巻は、15歳でブルボン王家皇太子(のちのルイ十六世)妃として、豪華な輿入れ行列をする描写から始まり、1789年7月14日のバスティーユ襲撃の民衆蜂起までを記す。
「すでに十三歳の少女のうちに、なんでもできるのに何ひとつ本気でやろうとしないこういう性格の危険性が、あますところなくあらわれているのだ」
と、ツヴァイクはアントワネットの愚かさを否定はしない。しかし一方で
「フランスの宮廷では、側室政治が行われるようになってからというもの、女性の実質よりはむしろその物腰のほうが高く評価される。マリー・アントワネットはかわいらしい。品位があるし、礼儀正しい性格である。これで十分なのだ」
当時の宮廷もまた彼女にそれ以上のものを求めなかったと弁護。更には「まともな夫婦生活を長い間送れなかったからだ」と、夫ルイ十六世に対して手厳しい。
「こういう生まれながらの神経のにぶさのためルイ16世はいかなる強烈な感性的な行為にもうつることができない。(精神的、心理的)愛、歓喜、欲望、不安、苦痛、恐怖など、あらゆる感情の要素が、象の皮膚のような冷淡さをつき抜けることがないし、生命の危険が身近に迫ってもかれを無感覚の境地からゆりおこすことができないのである革命軍がデュイルリーにおしよせても、かれの脈搏はただの一秒も早まらず、断頭台をあすにひかえた夜もかれの快楽の二本柱である睡眠と食欲は減退しない。胸にピストルをつきつけられてもこの男はあおざめることがなく、どんよりした眼から怒りの色がきらめくこともないだろう。かれをおどろかしうるものはなにひとつないが、またかれを感激させうるものもなにひとつない。」
「マリー・アントワネットとルイ十六世とでは、その肉体の末梢神経、血液の律動、気質の表面的な振幅にいたる、あらゆる特質、特性の点で、まさに正確な対照を示している。一方は鈍重、他方は軽快、一方は不器用、他方は柔軟、一方は淀んだようで、他方は沸きたつ性格、一方は神経がにぶく、他方はきらきらと神経質である。さらに精神状態についていえば、一方は優柔不断、他方はあまりにも果断、一方はぐずぐず考えるのにたいし、他方はその勢いにまかせて諾否を口にし、一方は正統派的な信心家、他方は現世に幸福を見、一方は謙虚、従順であり、他方はなまめかしい自信家、一方は杓子定規、他方は散漫、一方は倹約家、他方は浪費家、一方はまじめそのもの、他方は異常な遊び好き、一方は淀み流れる底流、他方は泡沫であり波の舞踏である。」
こんな二人が合うわけない!と言いたげだが、妊娠、出産でアントワネットは変化する。にも拘わらず、本当に無実だった首飾り事件も、王妃への民衆の反感を強める結果になり、せっかく任命した財務長官ネッケルをわずか一年で解任するなど、下手を打ち続けた国王夫妻は、遂に運命の日に遭遇する。
「それは暴動というものではないか」
「blockquote>いいえ、陛下、革命でございます」
「フランス革命そのものによってはじめて、われわれが今日使用しているような、広範、激烈な世界史的意義を獲得した」
「革命」の最中に放り込まれたアントワネットの成長は、ここから始まる。
『中古』マリー・アントワネット〈1〉 (ツヴァイク伝記文学コレクション3)KSC