2023/05/25(木)00:00
どうする家康 ではなくどうする毛利! 小説「天下大乱」
みなさんこんばんは。去年(2022年)の出生数が、速報値で統計以来初めて80万人を割る79万9728人と、過去最少となりました。
今日はあまりクローズアップされない武将を主人公に据えた小説を紹介します。
天下大乱
伊東潤
朝日新聞出版
天下分け目の闘いで、西軍の総大将を務めたにも関わらず毛利輝元は地味である。映画『関ケ原』でも家康と対峙するのは石田三成だった。毛利輝元はというと、大阪城に豊臣秀頼と共にいて、戦場に出なかったのだ。吉川広家や毛利秀元ら毛利一族&家臣団の反対を押し切り、三成と安国寺恵瓊の要請によって、西軍の総大将に就任したにも関わらず、戦場に出られなかったのは、当初の計画通り秀頼を戦場に引っ張り出せなかったことにある。そして、関ヶ原の敗北後もなお秀頼を擁して大坂城にいた。籠城を主張する武将もいたが、結局輝元は大阪城に入って出てきただけである。そのため「輝元と 名にはいへども 雨降りて もり(毛利)くらめきて あき(安芸)はでにけり」、と戦わずして退去した輝元を皮肉る落首を記した高札が立てられた。
毛利氏は元就という名将によって大きく版図を広げた中国地方の雄である。彼亡き後も、三本の矢の例え通り兄弟の結束が固く、織田信長存命時は最後の将軍足利義昭を匿い通した大大名が、なぜ民衆にも嘲られるような仕儀になったのか?
物語は秀吉臨終から始まり、関ケ原の終わりまで、家康VS輝元視点で全て描き切る。もともと家康は天下を獲る気はなく、本多正信らイケイケ家臣団に押されるような形になっている。一方毛利家では、後にああいう事になってしまう安国寺恵瓊が輝元の頼れる側近となって輝元を後押しし、偉大な祖父に憧れる輝元も恵瓊の誘いに乗ってしまう。輝元は元就の孫で三代目。一代目から始まって三代目になる。「唐様で貸し家と書く三代目」の通り、だいたい家を潰すのは三代目だ、さもありなんと思いきや、輝元はさほど“無能力”には描かれていない。天下を争う戦において、天下と秤にかけた時、毛利家を捨てきれなかったか。だからこそ毛利家の単なる外交僧に過ぎない恵瓊が最後ああなるのに、毛利家が生き延びた理由がわかる。秀頼が八歳ながら決して愚鈍に描かれていないだけに、ここで豊家ゆかりの大名の勢力が減ってしまったのは大変に痛かった。
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