「見る、見た、見てしまった」私たち 小説「行く、行った、行ってしまった (エクス・リブリス)」
みなさんこんばんは。人生の機微を端正に描いた小説や、エッセー「大人の流儀」シリーズなどで知られる直木賞作家の伊集院静さんが亡くなりました。73歳でした。今日は移民を扱った小説を紹介します。行く、行った、行ってしまった (エクス・リブリス)Gehen,ging,gegangenジェニー・エルペンベック白水社エクス・リブリス訳浅井晶子 物語は、古典文献学教授のリヒャルトが、定年となり大学で退任の日を迎える場面で始まる。家は湖畔の近くであり、普段はボート遊びや釣り人で賑わうが、男性が溺死し、まだ死体が上がっていないため、今シーズンは人も少ない。男性の姿を見たわけではないが、リヒャルトは湖の男の事を時折考える。つまり“見えていない”のに“存在は感じる”。 それなのに、アレクサンダー広場でアフリカ難民がハンガーストライキ中というニュースを知り、彼らが英語で書いたプラカード(「We Become Visible.=我々は目に見える存在になる」)に思いを巡らせるまで、難民を“見て”はいなかったし、“存在を感じる”ことすらなかった。 リヒャルトを非難したいのではない。ドイツ人としては平均的な反応である。他国の国民同様、難民を忌避する人々も多い。しかしドイツは先の大戦において難民を作り出した過去があり-メルケル政権では特に、そして退任後も-難民を拒否しづらい空気がある。ドイツ国民は、見えぬヒトラーとずっと比較されているのだ。 リヒャルトは、オラニエン広場では別の難民たちがすでに一年前からテントを張って生活していることを知り、彼等の一部が空き家だった郊外の元高齢者施設に移ると、特に使命感も持たずインタビューに出かける。慈悲の心、慈善の心というよりは、意地悪な見方をすれば、暇だったのだ。 問われるままに、語る彼等の口からは、リビアでの内戦勃発後、軍に捕えられ、強制的にボートで地中海へと追いやられ、何人かが死んだ話、命からがら辿り着いたイタリアで、わけもわからず難民登録されたが、仕事も金もなくドイツへ流れてきた話が出てくる。そこではじめてリヒャルトは、難民一人一人を“見る”ようになる。 かつてドイツも国境に悩まされた時期があった。東と西とが壁で分かたれ、トンネルを使って西へ逃れようとする人達が後を絶たず、東では密告者の存在が生活を脅かしていた。国境が同じ国の人々を分断する様を見ていたにも関わらず、どの国の例も他山の石にならない。難民となり国を出た人々は一瞬“見えない“存在となり、今回の広場に集まった人々のように、何らかの抗議活動を行うことで“見える“存在となる。ところが、抗議行動が違法だとして、彼等は法に則った手続きを勧められる。では、ということで、申請を行い何らかの支援や保護を求めるために彼らがどこかに集められると、再び国民からは“見えない“存在となる。法律が彼等を“見えなく“させている。ここに大いなる矛盾がある。 一度“見えてしまった““見えた“人達を、なかったことにはできない。繰り返される問い「どこへ行けばいいかわからないとき、人はどこへ行くのだろう?」への答えはこうだろう。場所は問わない。あなたたちがずっと“見える“存在になれる所に行くべきだ。二度と“見えなかった“事にされない場所に。では、そんな場所は、今、果たして存在するのか。行く、行った、行ってしまった (エクス・リブリス) [ ジェニー・エルペンベック ]楽天ブックス