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毎年、三月の声を聞くと、昭和二十(1945)年三月九日深夜から十日の陸軍記念日にかけての東京大空襲、十一日深夜から十二日の名古屋大空襲、十三日の大阪大空襲を思い出します。 今日のNHK朝ドラの、ごちそうさんで、東京、名古屋に続いて、大阪も危ないと言っていましたが、実際に、来るまでは、皆のんきにかまえていました。 先週までのドラマで、町内会の連中がバケツリレーで水を渡して、屋根に水をかける訓練風景がありました。 ドラマの主人公の大阪市の防空課長が、何万発の油脂焼夷弾(ゆし しょういだん)で、ばら撒かれたら、防火訓練しても、何の役には立たないと叫び、軍の怒りを買い、軍属として、満州国に飛ばされます。 わたしの祖母も、隣組班長として、屋根の上に上がって、布のはたきを振って、バケツリレーの指揮を取っているのを見ていましたが、何の役にたつのかと思いました。 東京大空襲までは、帝国陸軍の情報部は、空襲は恐るるに足りません、防空壕に避難したら、すばやく消火活動にいそしむことと、ドラマでも言っていますが、防空壕に逃げた人は、ほとんど、焼き殺されています。 今週のごちそうさんでは、大阪大空襲に遭い、劫火に追われて、地下鉄心斎橋駅に逃げ込んで、助かるようです。 実際に、多数の大阪市民が、夜中に動いた地下鉄で助かっています。 義理の姉も、南海高島屋(現高島屋大阪店)の人が、火炎に追われた多くの人を見て、一瞬開けた入り口から、地下鉄難波駅に逃げ込み、動いた地下鉄に乗って、天王寺駅に逃げて助かったと聞き、このブログでも書きました。 NHKドラマ横堀川で、出にくかった都市ガスが、ものすごく出るなというセリフがありましたが、その日の晩に、大空襲になります。 アメリカ軍は、日本本土空襲するときは、事前にビラを撒いたり、短波放送で知らせていましたが、政府や軍は、一切市民には知らせていません。 敗戦直前の七月ころ、墓参りに行った大阪下寺町付近で、頭上を敵B29爆撃機が、レーダーを避ける為に、アルミ片をばら撒き、その後、大量のビラを撒きました。 拾って読むと、変な活字のマリアナ通信と書かれ、日本政府は、早くポツダム宣言を受諾せよと、書かれていました。 このとき、初めて、ポツダム宣言という言葉を知りましたが、意味を知ったのは、八月十五日正午の玉音放送を聞いたときでした。 読むと、すぐ、特高警察や憲兵が回収にまわって来たので、渡しました。 この時、初めて、本土空襲する前に、ビラで、何日に空襲するから、この付近から逃げるようにと知らせていたと知りました。 敗戦後は、このビラのこともあり、政府の言うことを信用できなくなり、学生運動に走り、警官隊と小競り合いしたこともありましたが、裏に、ソ連の影を知り、学生運動も止めました。 YouTubeから大空襲直前の火災に弱い東京市の風景を再転載しました。
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Last updated
2014.03.03 11:56:37
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