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戦前戦中の語り部

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2015.01.03
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カテゴリ:カテゴリ未分類


新年明けましておめでとうございます。

今年、平成27年、西暦2015年は、戦後70年の節目の年です。

天下分け目の大東亜戦争に負け、アメリカに洗脳されて属国化されていたに時代の終わりの初めの年になりそうです。

昭和十六(1941)年十二月八日朝、帝國臣民はラヂオ(今はラジオ)の臨時ニュースの放送にたたき起こされ、呆然としました。

帝國臣民は、日米交渉の話しは知っていましたが、日米が戦争するまでは無いと思っていたからです。

その後、続々と放送される大本営発表で、ハワイの真珠湾大空襲の成功や、香港、シンガポール、マライ半島(今のマレーシア国)、香港空襲などの成功を知り飛び上がって喜びました。

YouTubeからAK(東京中央放送局)から放送された臨時ニュースの録音を転載しました。

最近、アメリカでも、ルーズベルト大統領は、アメリカ国民に対しては、外国での戦争で戦うことは決してないと繰り返しながら、実際は戦争を望んでいたと言われるようになっています。

ルーズベルト大統領が、失業者救済のための始めたニューディール政策が、失業者を減らせなかったので、戦争によって失業者を救済しようとし考えるようになったようです。

大英帝国が、ナチス・ドイツ第三帝國に、敵前上陸されそうになり、戦争好きのチャーチル首相が、モンロー主義(孤立主義)のアメリカ合衆国を、戦争に引きずる為に、ルーズベルト大統領に、日本を挑発するように仕向けたと戦後すぐから言われていました。

近衛(文麿首相は和平を希求していましたが、ルーズベルト大統領は近衛との会見を拒否し続けました。

当時、モンロー主義(孤立主義)のアメリカ国内には、欧州戦線への参戦に反対する声が多かったです。

そのために、先に日本に戦争を仕掛けさせ、日本が騙まし討ちしたとの大義名分で、アメリカ合衆国の対独戦争を正当化しょうとしました。

真珠湾攻撃の翌日、ルーズベルト大統領は、議会で恥辱の日の演説を行い、議会も国民も戦争へとなだれこみました。

共和党の重鎮のフィッシュも、それまでは戦争に反対でしたが、恥辱の日演説に対応して、ルーズベルト支持を訴える演説を行っています。

ルーズベルト政権は、大日本帝國が絶対受け入れ出来ない最後通牒(つうちょう)のハル・ノートを、昭和天皇に突きつけて、開戦を選ばざるをえないよう仕向けました。

しかし、そのようなことを、フィッシュもアメリカ国民も知らされていませんでした。

ルーズベルト演説に対応して、参戦を認めた自分の演説を、強く恥じていると後世書いています。

ルーズベルトを非難する筆致の激しさも、そのような理由によると言われています。

FDR(フランクリン・ルーズベルト)の行為は反倫理的で、FDRは狡猾(こうかつ)で、抜け目のない政治家だった。

ホワイトハウスに居座って、真珠湾攻撃の日は恥辱の日などと演説し、すべての責任を日本に被せたのである。今にして思えば、まさにプロパガンダの茶番劇であったとも書いています。

敗戦直前の昭和二十(1945)年四月に、大阪駅で、敵の大統領のフランクリン・ルーズベルトが亡くなったと放送され、乗客が手を叩いて、喜んだ風景は、今でも目に浮かびます。

行け行けどんどんと、シナ事変を拡大して、暴走する帝國陸軍を押さえるために、毒は毒を持って制すると、昭和天皇は、比較穏健な小役人タイプの東条陸軍大臣に組閣を命じて、日米戦争を避ける積もりでしたが、アメリカは最後通告を送り、日本を日米戦争に巻き込みました。

駐アメリカ日本大使館の武官として、滞米経験があり、アメリカ海軍将校に知り合いが多い山本五十六聨合艦隊司令長官は、日米戦争は避けられないと、真珠湾大空襲をして、敵空母と戦艦群を撃滅して、すぐ講和に持込む積もりでした。

しかし、最後通牒は、大使館員の寝過ごしと、タイプを打つのが遅れ、ルーズベルト大統領に到着したのは、空襲が終った後で、騙まし討ちだと、後世までたたっています。

その大使館員は、罰せられず、戦後、外務大臣になっています。戦前も戦後も、日本の外務省は能無しです。

小泉首相が北朝鮮の拉致被害者の一部成功させたのは、外務省を通さず、飯島参事官と北朝鮮と交渉させたからです。

大日本帝國の降伏後、アメリカ合衆国のいわゆるウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム(戦争の罪を知らしめる計画)のもと、戦後アメリカ民主主義教育を徹底しました。

幼くて、戦争を理解出来ない子供や、戦後に生まれた子供には、戦前の日本は天皇中心の暗黒時代で、戦争を起した日本を、正義の味方アメリカが、日本に民主主義を広めるために、解放戦争をしたと、日本人を洗脳して、今に至っています。

戦後の一方的な偏りを脱して公平に過去を見て、非とすべきは非とし、是とすべきは是とするのが独立国たるもので、外国との対等な関係も築けるものだろうと、フィッシュも言っています。

民族の歴史を公平に見ようとすることは、修正主義でもなんでもない。

来年は再び、アメリカのポチから抜け出し、真の独立国になる第一歩だと思います。














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Last updated  2015.01.03 22:38:21
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