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安倍首相が日本の首相として、始めて、アメリカの上下両院合同議会で、45分にわたり演説したことは、敗戦国日本と戦勝国アメリカが、戦後70年にして、和解した歴史的な出来事だと思いました。 硫黄島攻防戦で、多大の被害を受けたアメリカの当時の攻撃隊長と、硫黄島守備隊長の帝國陸軍栗林将軍の孫が握手したのはその象徴でした。 帝國の絶対的生命線のサイパン島が玉砕した時点で、帝國政府が降伏していれば、340万人の(朝鮮、台湾人を含む)帝國臣民が無駄に死なずに済みました。 わたしの大阪難波の自宅も焼けずに残っていました。 戦局が悪化しているのに、親が空襲で焼け出される迄、疎開しなかったのは不思議に思っていましたが、NHKの朝ドラ、ごちそうさんを見て、防空法で、疎開も出来なかったのがわかりました。 これは、昭和十六(1941)年12月8日開戦の日の前日の7日に、悪名高い特別高等警察(特高)の親玉、内務大臣が。防空法を改正して、退去の禁止(第8条ノ3)と、応急消火義務(第8条ノ5、昭和18年改正後は第8条ノ7)が規定されました。 空襲時ニ於ケル退去及事前避難ニ関スル件」は、「退去ハ一般ニ行ハシメザルコト」と定めていたので、これにより臣民は全面的に退去を禁止されることとなりました。 国民学校生だけは疎開させましたが、中等学校生や女学校生以上の年代は、空襲されたら、まず消火を義務付けたため、たくさんの人々が逃げ遅れて焼死しました。 祖母が、バケツリレーで、屋根に上がり、水をかけたり、はたきを振っているのを見て、子供ながらあきれていました。 戦前の帝國陸軍は帝國海軍を目の仇にしていました。 陸軍が推し進めていた日独伊三国同盟に反対した、山本五十六海軍次官の命を狙ったため、海軍兵士が機関銃で、私邸を守りましたが、内地にいては危険なので、聨合艦隊司令長官になって船に乗ることになりました。 アメリカと戦争しているのに、陸軍は海軍が敵のように振る舞い、何かにつけて、張り合いました。 一番笑ったのは、帝國陸軍が海軍に対抗するために、陸軍潜水艦を作ったことです。 YouTubeから陸軍潜水艦の写真と、特攻出撃する戦艦大和に登舷礼した陸軍潜水艦の説明を転載しました。 最後まで読まれると馬鹿さ加減が分かります。 暴走した関東軍やシナ派遣軍の高級将校に牛耳られた帝國政府の高級官僚の無策ぶりが日本を焦土にしました。 泣く子も黙る特高警察の恐さは、戦後生まれの人には理解出来ないでしょう。 70年前の今頃、 5月09日(水 靖国神社一週間伏敵祈願を始める 5月10日(木 アメリカ統合幕僚会議、九州上陸のオリンピック作戦と、関東上陸コロネット作戦承認 5月14日(月 B29爆撃機480機、名古屋大空襲、名古屋城消失 5月15日(火 閣議、日独伊三国同盟失効を決定 5月17日(木 墜落した敵機の兵士、九州帝国大学で生体解剖する 5月18日(金 東京都、未疎開児童に寺子屋教育始める 5月19日(土 運輸通信省が廃止、運輸賞発足
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Last updated
2015.05.10 22:01:08
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