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敗戦と同時に、帝国政府は占領軍の到着までの暫定政権になり、治安維持する為に存在するだけになりました。
敗戦まで、大日本帝国の臣民だった台湾人や半島人(今の韓国人や北朝鮮人)は無国籍になり、犯罪行為や闇市での勢力争いをしましたが、警察は無力で、何も出来なくなっていました。 日本人は敗戦で、無力感が漂よい、彼らを第三国人と言って恐れていました。 その彼らに立ち向かったのが山口組三代目の田岡組長で、闇市を仕切り、遊郭や芸能界に隠然とした一大勢力を築き上げました。 田岡組長が美空ひばりと小林旭との結婚で仲人して、テレビで大々的に放送された時は驚きました。 占領軍が到着して、日本の過去のやり方を全て否定、矢継ぎ早に、アメリカ方式を強制、 警察方式も、昭和二十二(1947)年12月21日に、アメリカ方式の国家地方警察と各自治体警察が設置されました。 大阪市は自治体警察として大阪市警察局を設置,、本部は大阪府庁内に置きましたが、 府庁には国家地方警察の大阪警察管区本部と大阪府本部も置かれており、窮屈であったので、昭和23(1948)年3月20日、大阪市警察局は本部を大阪城公園内の旧・帝国陸軍の中部軍管区司令部庁舎に移転して、翌年9月に大阪市警視庁と改称し、警察長は警視総監と称していました。 しかし、日本が独立して、昭和29(1954)年7月から新警察法が施行され、国家地方警察と自治体警察が廃止になり、大阪市警視庁も6月で廃止と決まり、大阪市警視庁存続のビラ配りしたりして、警察も反対運動するのだと驚きました。 7月からは1年間の期限付きで大阪市警察本部が置かれ、他の府下24の市町村警察と大阪府国家地方警察は統合され、大阪府警察本部が発足しました。 反対運動の結果か、昭和30(1955)年7月になって大阪市警察も大阪府警察に統合されました。 しかし、当時の警察力は弱く、昭和三十六(1951)年八月の第一次釜ヶ崎騒動では、無政府状態になり、ヤクザが一帯を仕切っての収めてました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2018.08.27 14:45:34
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