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戦前戦中の語り部

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2015.04.06
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大阪城公園の櫻を見に行きましたが、中国人や欧米人でいっばいで、日本人は肩身が狭い感じでした。

夜再び大川沿いの夜桜を見に行きましたが、大阪城が世界デーで、 ブルーにライトアップれたので、大阪城の櫻も見に行きましたが、日本人だけで、外国人は見かけませんでした。

今の平和な大阪も、 70年前の今頃は地獄の日々でした。

第一回大阪大空襲で、浪速区の98%を中心に、本町から市南部にかけて、焼け野原になっていました。

生まれた家が焼け出された今頃、わたしは、親の生死も知らず疎開先で暮らしていました。

帝國の絶対的生命線のサイパン島の4万人の守備隊が戦死、日本人住人の半分の1万人も死亡して、敵の手に落ちた昭和十九(1944)年7月7日以降、戦況が急激に悪化して、18日には東条内閣が崩壊しました。

8月4日には、国民総武装が閣議決定、学校での竹やり訓練が始まりました。

翌5日には、上野駅から第一陣の集団疎開組が出発しています。

わたしが通学していた大阪市浪速区に在った難波国民学校は、九月の二学期から、田舎に縁故がない学童たち全員が、親から離され、滋賀県栗太郡老上村の老上国民学校の教室を借りた難波国民学校に、強制疎開さされました。

わたしは、栗太郡老上村野路(現草津市野路)の教善寺の本堂に寝泊りすることになりました。

最初は遠足気分だった学童は、二、三日経ったころから、ホームシックになり、毎日泣き暮らし、脱走するものもありましたが連れ戻されました。

朝食はなすびの味噌汁と少しの麦めしで、ひるの弁当まで、待ちきれず、授業中、弁当のごはんを、手でつまみ、食べたこともありました。

毎日、お腹がすき、がりがりの痩せた体でしたが、田舎なので、野菜が豊富で、栄養失調になる者はいませんでした。

定期的に面会に来る親が持ってくるおはぎなど甘いものが楽しみでした。

学校までは、一里(4KM)足らずあり、毎日往復一時間歩くので、足腰が強くなりました。

途中、東海道線の踏み切りがあり、戦車や大砲を積んだ100輌連結の貨物列車を数えるのが日課になりました。

朝は、列を作り、大声で、軍歌や戦時歌謡を歌いながら行進しましたが、帰りは、池の菱を取つたり、道草しながらお寺に帰りました。

帰ってからのは、本堂で日向ぼっこしなが、しらみ取りするのが日課でした。

二、三日に一回、近所の家に貰い湯に行きました。

樽で作った五右衛門風呂で、樽の蓋に乗って、体重で沈めてフロに入りますが、がりがりの体で、蓋が沈まず、そこの鉄鍋に当たると火傷するので、入るのも一苦労でした。

三月十四日に、大阪が空襲されたと新聞に載っているのを見てり、訓導が大阪に向かいました。

何日かして、北君のおじが迎えに来て、難波が焼け野原になり、北君の両親が死んだと聞かされました。

それからの記憶は飛んでいます。

次に覚えているのは、近畿日本鉄道南海高野線の岸ノ里駅(今の岸里玉出駅)のホームで、汐見橋から来た無蓋(むがいー屋根の無い)貨物列車によじ登れず、母親と離れてしまった光景です。

次の駅から戻って来た母親に、再会して、𠮟られたことだけしか覚えていません。

疎開先で、訓導や友達と別れたことや、省線草津駅から、大阪駅、難波駅から岸ノ里駅までの記憶は一切無く、貨物列車に乗ったことと、母親と再会したことだけです。


70年前の3月
23日 大本営、東部軍に長野県松代に地下大本営建設命令
24日 警視庁、空襲死亡者、変死者から戦災死亡者に変更と各署に伝達
25日 農商省、一日主食一日2合3杓配給確保と発表
26日 敵、沖縄県座間味島に敵前上陸
27日 敵、関門海峡に機雷投下して、封鎖

70年前の4月
1日 敵、沖縄本島に上
5日 ソ連 日ソ中立条約延長せずと通達、小磯内閣崩壊
7日 戦艦大和以下10隻、海上特攻で、沖縄方面に出撃、崩壊、鈴木貫太郎内閣拝命降下















Last updated  2015.04.06 10:09:52
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2015.03.13
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七十年前の今日、昭和二十(1945)年3月13日23時57分から14日3時25分までの約3時間半の間に、大阪市のミナミ地区が、敵B29爆撃機の投下した油脂焼夷弾(ナパーム弾)で、火の海になりました。

難波新川、今開催されている大相撲春場所の府立難波体育館玄関付近にあった実家が空襲で焼かれ、子供の頃の写真や思い出の物は一切残っていません。

遊び友達も、集団疎開した二人だけ、戦後再会しただけです。

アメリカ軍の照準点は、北区扇町・西区阿波座・港区市岡元町・浪速区塩草に設定されていました。

グアム島から43機が午後11時57分から14日午前1時にかけて大阪上空に達し、約2000メートルの低空から、木造の日本家屋を炎上させるために開発された大型焼夷弾を、まず港区市岡の照準点に投下し、大火災を発生させました。

テニアン島から来襲した107機が、14日午前0時10分から3時25分にかけて、浪速区塩草を照準点として投弾しました。

家内は塩草に住んでいて、関西線で逃げましたが、義姉は南海高島屋(現高島屋大阪店)がシャツターを開けた瞬間に市営地下鉄難波駅に逃げ、佐藤栄作(後の首相)市交通局長か、陸軍憲兵隊か、今では、はっきりしませんが、真夜中に、地下鉄を走らせました。

地上の御堂筋は大火災の最中でしたが、梅田と天王寺間の地下鉄一号線(今の御堂筋線)を走らせたお陰で、たくさんの市民が助かりました。

さらに、サイパン島から来襲した124機が、14日0時20分から2時25分にかけて、照準点を北区扇町と西区阿波座に爆撃しましたが、大火災で、目標が定まらず、爆撃出来なかったようです。

被災地域は、浪速区の98%、南区(今の中央区)、港区、大正区、東区(今の中央区)、西成区、天王寺区

被災戸数 136,107戸、被災者数 501,578人、死者は数千人です。

一口メモ
少年法61条は、戦後の昭和二十三(1948)年に、戦争で親を失った戦災孤児が、駅で寝泊りし、飢えから食べ物を引ったくりするケースが多く、孤児院にいれ厚生させるために作られた法律です。

敗戦直後のドサクサに犯した罪と、今の平和な時に犯罪を犯す極悪人とは全然違います。法律が70年も変えないのは政治家の怠慢です。

少年でも、殺人者は名前も写真も、欧米のように出すべきです。

70年前の三月
13日 敵B29爆撃機第一次大空襲
14日 タバコの配給一日7本から 3本にと大蔵省
15日 大本営、満州の関東軍内地へと発表
16日 戦災見舞いの塩鮭300トン、東京築地市場へ
17日 硫黄島守備隊玉砕
18日 決戦教育措置、四月から授業停止
19日 敵B29爆撃機290機名古屋市街を無差別爆撃
20日 鉄道省 東京ー下関間以外の急行列車を廃止















Last updated  2015.03.13 20:53:33
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2015.03.11
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今日3月11日は、4年前は、東北大震災の日、70年前は名古屋大空襲の日です。

3.11は福島原発事故も含めて、第二の敗戦と思っています。

堺屋太一氏は幕末を第一の敗戦、先の大戦での敗戦を第二の敗戦、今回の3.11を第三の敗戦とされています。

戦前に生まれ、戦争、地震、台風、オイル・ショック、ドル・ショックといろいろ体験し、いろいろな総理の顔を見てきましたが、日本の将来に不安を感じた総理は東条英機と、管直人だけです。

70年前、無能なくせに、何もかも自分一人で権限を持ち、独善的で、情報を取り巻きにも知らせず、自分に反対する者は執念深く弾圧した東条英機首相兼陸軍大臣が、歴史にIF はありませんが、辞任して、次の首相に譲っていたら、帝国最後の絶対生命線のサイパン島玉砕した時点で、降伏していたらと思います。

硫黄島玉砕、沖縄攻防戦、東京大空襲、名古屋大空襲、大阪大空襲、神戸大空襲、横浜大空襲、地方都市空襲、特攻攻撃などでの三百万人以上のの命が助かり、戦死者数十万人で終っていました。

東条自身は、臣民から石を投げられましたが、戦後まで生き残り、戦犯で逮捕される直前にピストル自殺を図り失敗、国民から冷笑されました。

民主党の管首相も、福島原発の情報を自分一人握り、国民には何も知らせず、パーフォーマンスばかりして、国が破滅のどん底に落ち、側近からも退陣要求されても、最後まで自分の地位にしがみ付いていたのも同じです。

神戸と違い、福島の原発事故もあり、復興が遅れています。

いま、被災地は、東京オリンピックに人手かを取られ、人手不足で、予算が9兆円も余っています。

三月十一日から十二日にかけ、名古屋市の市街地に対する初の大規模空襲が行われ、市街の5%が焼失しました。

そして、三月十九日午前2時頃より、B-29爆撃機230機による名古屋市の市街地に対する大規模空襲があり、中区、中村区、東区などの市中心部は焼け野原となり、1937年(昭和12年)に竣工したばかりの6階建ての名古屋駅が消失しました。

5月14日の空襲で国宝名古屋城が炎上、6月9日には熱田空襲が行われ、2,068人の死者を出しました。

しかし、名古屋市は、戦後すぐ、焼け野原になった名古屋市中心部に、100m道路と呼ばれる久屋大通・若宮大通が造り、都市計画が着々と完成して行きました。

それに比べて、福島の復興は手付かずです。

みやね屋によると、風評被害が酷く、大阪のおばちゃんは、応援してくれるが、首都圏の母親が一番酷いと福島の人が言っていました。

わたしは、米は福島産のこしひかりを毎月買っていますが、何も問題ありません。

わたしは、原爆投下数年後の、広島の親せきに見舞いにいきましたが、何も障害ありません。

原発事故直後、早急に避難して、除染を対策していれば、福島も、今頃は神戸と同じように、仮設住宅から出ていたのにと思います。

広島の放射能を追跡調査している学者が、半年経てば、自然と同じ程度の放射能に戻ると発表して、マスコミに叩かれましたが、この事はこのブログで書きました。

15年前、堺市で、O157ウィルスで、死者が出ると、堺市から来たというだけで、宿泊拒否した旅館や食堂が、東日本で多かったのを思い出します。

















Last updated  2015.03.11 22:03:33
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2015.03.09
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70年前の今日三月九日深夜から、テニヤン島から飛び立った敵B29爆撃機が、38万1300発、1783トンの油脂収束焼夷弾を、木造家屋の多い下町に投下しました。

一発の焼夷弾が300発に枝別れし、またそれが枝別れして、逃げ回る都民の上に降り注ぎました。

一旦、油が衣服につくと、粘着性があるため、ふり払っても取れないといわれています。

誘導爆撃機が、着弾制度の高い収束誘導焼夷弾E46を、中心点に投下、本隊爆撃機が、油脂焼夷弾を、中心点を囲むように、四方から投下して、逃げ回る都民の逃げ道を塞(ふさ)ぎました。

3月10日が日本の陸軍記念日であるからと言われています。

深川区(現在の江東区)、本所区(現在の墨田区)、浅草区(現在の台東区)、日本橋区(現在の中央区)の被害が多く、
一夜にして、10万人以上が焼き殺されました。

特に、深川区は壊滅しました。

人類に対する世紀の大虐殺です。

当時、都市住民は、疎開できない老人と女と幼児だけで、国民学校生は集団疎開か縁故疎開していました。

ところが、国民学校六年生は卒業式に参加するため、帰宅していて、焼き殺された児童が多かったようです。

最近分かったことは、1歳から4歳くらいの幼児の死亡が多いそうです。

この爆撃の総指揮官ルメイが、戦後、自衛隊創建に尽くしたと、ノーベル平和賞貰った佐藤栄作首相(安倍首相の叔父)から勲章を貰っています。

YouTubeから東京大空襲を転載しました。

70年前の三月
10日  334機の敵B29爆撃機東京の下町大空襲
12日 硫黄島の敵、本土空襲用の滑走路完成






















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Last updated  2015.03.09 21:02:44
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2015.03.01
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二月のある日、数分間にわたり、ハッカーの集中攻撃があり、バスターが駆逐しましたが、ネットに接続するとInternet ExplorerKの一部のファイルが不明になり、t8ExtEx.dll is missingの文字が画面に張り付き、MSNな一部しか接続出来ませんでした。
ントロールパネル全てを試して、何とか回復出来ました。

今年は戦後70年の大転換期で、書くことが多いのに間が空いてしまいました。

SL (いわゆるイスラム国)は、往年の日本赤軍と同じ破壊分子の過激派集団と同じ輩です。

日本国を焼け野原にして、戦後70年経っても、南京大虐殺や、いわゆる従軍慰安婦問題で、日本が責められるのは、
満州事変を起し、満州国建国した石原伸爾将軍が不問になったのを見た支那派遣軍の将軍が、石原伸爾の反対を押し切って、万里の長城を越えて、シナに侵攻したことです。

当時のシナは、蒋介石軍(今の台湾の中華民国軍)、八路軍(今の中華人民共和国の人民解放軍)、馬賊、匪賊(ひぞく)が入り混じって、戦っていました。

その隙を狙って、東京の帝国政府の知らないうちに、軍が動きました。

SL(いわゆるイスラム国)は、シリアやイラクの内乱に乗じて、面を支配して、石油、誘拐ビジネス、税金や関税を取り、潤沢な資金源を持っています。

しかし、派遣軍が占領していたのは点と線だけです。

点とは占領した地域、線は支配地域と支配地域の間の道路や鉄路です。

まわりはシナ人ばかりで、テロが頻繁にあり、泥沼の戦線でした。

YouTubeから軍国歌謡麦と兵隊を転載しました。

当時の南京市は城壁に囲まれ、人口は24万人といわれています。

中国側のいう30万人殺害は、当時の人口を考えても、白髪三千丈式の誇張表現ですが、無いといわれません。

一般市民は皆逃げ、蒋介石軍の兵隊が一般市民の格好した私服を着た便衣隊のスナイパーに、悩まされていた事は確かです。

当時、民度の低かった地方の兵は、女を犯すことが多く、困った陸軍が女郎屋に相談したのが、慰安婦制度の始まりと聞いています。 子供の頃、ピーさんと呼んでいました。

戦後、日本人は中国に負い目があり、言いなりになっていましたが、中国人も日本人の苦境を知っていました。

しかし、平成に入り、戦後生まれが大多数になってからは、ギクシャクするようになりました。

一口メモ
70年の前の三月
一日 沖縄一帯に、敵艦載機延べ1218機来襲
三日 敵、フィリッピンのマニラ完全占領
四日 大本営 硫黄島で、皇軍勇戦中
五日 沖縄で、県外への学童疎開打ち切り
六日 勤労動員令公布、病人も登録義務化
七日 日本放送協会 警報伝達の徹底
八日 木戸内相、重光外相早期終戦を協議
九日 警視庁 隠匿退蔵物質一斉摘発開始

















Last updated  2015.03.03 16:38:31
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2015.02.01
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今朝起きて、テレビをつけると、ニュース速報で、後藤健二氏殺害の動画が、日本時間一日朝5時過ぎに配信されたと字幕が出ました。

中谷元防衛相は、関係閣僚会議後の記者団の取材に応じて、警視庁外事課から、イスラム国とみられる組織からYouTubeに投稿された映像の男性が、後藤健二さん本人である信憑性(しんぴょうせい)が高いとの報告を受けたことを明らかにしました。

アメリカのオバマ大統領も、後藤氏殺害に関し、特別声明を出しました。

戦後70年の節目の今年になって、アメリカ覇権主義の時代の戦後体制の終わりと、戦前の日本に似た二十1世紀型の新しい体制、システムが形作られて来た感じがします。

第二次大戦は、アジアでは、太平洋の覇権を賭けて、大日本帝国とアメリカ合衆国が戦い、
ヨーロッパでは、ナチス第三帝國と大英帝国が、欧州、アフリカ、アラブの植民地の争奪戦でした。

不戦条約を破棄して、ソ連侵攻したヒットラーは、ナポレオンと同じく、冬将軍に負けました。

満州に駐留していた、関東軍と対峙(たいじ)していたシベリアのソ連軍は、近衛内閣は北進しないとの秘密情報をスターリンに報告、シベリアの全兵力をモスクワ郊外に集めて、ナチス軍に勝ちました。

五月のナチス第三帝國の崩壊以降、同盟国だったイタリア政府までも、帝國に宣戦布告して、日本は世界63国と戦う羽目になりました。

大日本帝国の敗北によって、世界の覇権者になったアメリカがその軍事力によって、70年間世界を支配して来ました。

しかし、ブッシュ大統領が、イラクのフセイン大統領が有りもしない核兵器を持っていると、イラク攻撃によって、9.11の同時テロが起こり、アメリカの衰退が始まりました。

60年前から、シリア、ヨルダン、イラクなどアラブ諸国と貿易していたわたしは、砂漠の砂のようなまとまりのない砂漠の民は西欧列強が、勝手に作った人工的な国境線は無きに等しいでと思っています。

今、イラクで作られたイスラム国と称するテロ集団が、シリアのアサド大統領の我欲によって、内戦になったシリアにも入り込み、人工的な国境線が無に等しくなってきました。

優柔不断のオバマ大統領がシリア攻撃を決断できなかったのが原因です。

アメーバーのように、世界中に拡散され、国内が不安定な国は自爆テロ活動が広がる可能性があります。

テレビ情報て、二日前に、後藤氏は一旦トルコ国境に移設されたが、ヨルダンからの反応か、イラク派とシリア派の意見の相違で、運勢が変わった可能性あります。

戦争の恐さを体験しているわたしは、地震、津波や戦争では、逃げるが勝ちです。

ジャーナリストでも、身の安全なが確かめられない場合は、逃げるが勝ちです。

命あっての物だねです。


















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Last updated  2015.02.01 10:58:26
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2015.01.17
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今年は戦後70年の節目の年ですが、1月17日は阪神淡路大震災の20周年の節目の年でもあります。

20年前の平成7(1995)年は、戦後50年の節目の年で、前年から終戦特集が組まれ、まだ戦争の第一線で戦ったつわものが、たくさん生存されていました。

田原聡一郎の朝までテレビでは、伝説の撃墜王、ゼロ戦の勇士坂井三郎氏が出席して、空中戦の話しをしていました。

坂井氏が見逃した敵B17爆撃機に。後のアメリカ大統領ジョンソンが乗っていたと、言っていました。
しかし、神戸の大震災と、その後起こった、地下鉄サリン事件で、終戦50周年の総括はなく、殆ど生存者が亡くなった今になりました。

神戸の地震が起きる前日の16日夕方、大和の長谷寺へお参りに行った帰り、二上山へ向かって、走っているとき、東から満月が昇ってきましたが、緑色の霞のようなような全体が物で覆われ、どんよりとした陰気な満月に、気味悪く思いました。

翌朝、5時46分に、激しい揺れにたたき起こされました。

揺れがおさまると、周りがシーンとして、静まり返っていました。

昼から、電車が動いたので、本町の会社に向かいました。

地下鉄御堂筋線のトンネルは、天井から水がだだ漏れで、ホームも水浸しでした。

会社に着き、安全を確かめて、肥後橋の朝日新聞本社が傾き、向かいのフェステバルホールの窓ガラスはすべて割れ、地上はガラスの破片でいっぱいでした。

国内外の得意先からは、安否確認や見舞いのテレックスが入りましたが、神戸とは連絡取れませんでした。

阪神高速の高架が横倒しになっていると分かったのは、毎日放送のアナウンサーが、出勤途中に倒れているのを確認して、局に連絡してわかりました。

神戸が壊滅状態と分かり、長田にあった親せきの安否が分かったの数日で、水と食料品を積んで、夕方大阪市を車で出発しました。

豊中あたりで、渋滞が始まり、公民館は避難した人で、いっぱいでした。

伊丹に到着した頃は夜が明けて、阪急伊丹駅では、高架が崩れ、電車が傾いていました。

有馬温泉に到着すると、救助隊の人で、いっぱいでした。

しばらく休憩して、箕谷から、神戸トンネルを通りました。壁は剥げ落ち、無料解放でした。

トンネルを出て、三宮方面を見下ろすと、今まで見たことない、様変わりした神戸の風景でした。

道路は穴だらけで、すべての信号が壊れているので、交差点は、大混乱でした。

やっと着いたJR長田駅前の風景は、木造住宅は、一階部分がぺしゃんこで、二階部分は傾いていました。

高層マンションも傾き、傾いた非情階段を上り、10階の親せきの部屋に着きました。

傾いた畳の部屋に座ると、気分が悪くなりました。

下を見下ろすと、見回すかぎり、倒壊した木造住宅ばかりでした。

周りにいた人々にも、水と食料品を配りましたが、飲まず食わずで、助かったと言っていました。

水と食料は、一週間分は備蓄すべきた゜と思いました。

軽トラックが走っていると、周りの人々は合掌していました。 犠牲者を大阪で、火葬するためと言っていました。

親せきの実家は、同じ長田で、隣の家で、火災が止まり、助かりました。

九州から来た自衛隊が遺体の捜索していました。

長田消防局は崩壊していましたが、全国からの消防自動車が集まっていました。

帰りは、横倒しになった、高速の下の国道43号を通りましたが、全国から来た救急車やパトカーが、今まで聞いたことがない、最大音量のサイレンを鳴らしていましたが、渋滞で動けませんでした。

上空には、ヘリコプターが、大阪へけが人を運んでいて、凄い騒音でした。

倒れた高架で、それ以上走れないので、国道2号に向かいましたが、橋が落ち、側道に入りました。

日が落ち、車のライトを頼りに、真っ暗な道を進むと、家が道側に傾き、手で支えながら、かろうじて通れました。

芦屋の屋敷町では、大きな庭石が転がり、むき出しの家では、自警団の人が番していました。

武庫川を越えて、尼崎に入ると、コンビニが、いつも通り、明るく、まぶしかったです。

川一つ渡ると、真っ暗な地獄から光り輝く世界に入ったあの瞬間は、今でもありあり思い出します。



















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Last updated  2015.01.17 23:55:51
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2015.01.03
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新年明けましておめでとうございます。

今年、平成27年、西暦2015年は、戦後70年の節目の年です。

天下分け目の大東亜戦争に負け、アメリカに洗脳されて属国化されていたに時代の終わりの初めの年になりそうです。

昭和十六(1941)年十二月八日朝、帝國臣民はラヂオ(今はラジオ)の臨時ニュースの放送にたたき起こされ、呆然としました。

帝國臣民は、日米交渉の話しは知っていましたが、日米が戦争するまでは無いと思っていたからです。

その後、続々と放送される大本営発表で、ハワイの真珠湾大空襲の成功や、香港、シンガポール、マライ半島(今のマレーシア国)、香港空襲などの成功を知り飛び上がって喜びました。

YouTubeからAK(東京中央放送局)から放送された臨時ニュースの録音を転載しました。

最近、アメリカでも、ルーズベルト大統領は、アメリカ国民に対しては、外国での戦争で戦うことは決してないと繰り返しながら、実際は戦争を望んでいたと言われるようになっています。

ルーズベルト大統領が、失業者救済のための始めたニューディール政策が、失業者を減らせなかったので、戦争によって失業者を救済しようとし考えるようになったようです。

大英帝国が、ナチス・ドイツ第三帝國に、敵前上陸されそうになり、戦争好きのチャーチル首相が、モンロー主義(孤立主義)のアメリカ合衆国を、戦争に引きずる為に、ルーズベルト大統領に、日本を挑発するように仕向けたと戦後すぐから言われていました。

近衛(文麿首相は和平を希求していましたが、ルーズベルト大統領は近衛との会見を拒否し続けました。

当時、モンロー主義(孤立主義)のアメリカ国内には、欧州戦線への参戦に反対する声が多かったです。

そのために、先に日本に戦争を仕掛けさせ、日本が騙まし討ちしたとの大義名分で、アメリカ合衆国の対独戦争を正当化しょうとしました。

真珠湾攻撃の翌日、ルーズベルト大統領は、議会で恥辱の日の演説を行い、議会も国民も戦争へとなだれこみました。

共和党の重鎮のフィッシュも、それまでは戦争に反対でしたが、恥辱の日演説に対応して、ルーズベルト支持を訴える演説を行っています。

ルーズベルト政権は、大日本帝國が絶対受け入れ出来ない最後通牒(つうちょう)のハル・ノートを、昭和天皇に突きつけて、開戦を選ばざるをえないよう仕向けました。

しかし、そのようなことを、フィッシュもアメリカ国民も知らされていませんでした。

ルーズベルト演説に対応して、参戦を認めた自分の演説を、強く恥じていると後世書いています。

ルーズベルトを非難する筆致の激しさも、そのような理由によると言われています。

FDR(フランクリン・ルーズベルト)の行為は反倫理的で、FDRは狡猾(こうかつ)で、抜け目のない政治家だった。

ホワイトハウスに居座って、真珠湾攻撃の日は恥辱の日などと演説し、すべての責任を日本に被せたのである。今にして思えば、まさにプロパガンダの茶番劇であったとも書いています。

敗戦直前の昭和二十(1945)年四月に、大阪駅で、敵の大統領のフランクリン・ルーズベルトが亡くなったと放送され、乗客が手を叩いて、喜んだ風景は、今でも目に浮かびます。

行け行けどんどんと、シナ事変を拡大して、暴走する帝國陸軍を押さえるために、毒は毒を持って制すると、昭和天皇は、比較穏健な小役人タイプの東条陸軍大臣に組閣を命じて、日米戦争を避ける積もりでしたが、アメリカは最後通告を送り、日本を日米戦争に巻き込みました。

駐アメリカ日本大使館の武官として、滞米経験があり、アメリカ海軍将校に知り合いが多い山本五十六聨合艦隊司令長官は、日米戦争は避けられないと、真珠湾大空襲をして、敵空母と戦艦群を撃滅して、すぐ講和に持込む積もりでした。

しかし、最後通牒は、大使館員の寝過ごしと、タイプを打つのが遅れ、ルーズベルト大統領に到着したのは、空襲が終った後で、騙まし討ちだと、後世までたたっています。

その大使館員は、罰せられず、戦後、外務大臣になっています。戦前も戦後も、日本の外務省は能無しです。

小泉首相が北朝鮮の拉致被害者の一部成功させたのは、外務省を通さず、飯島参事官と北朝鮮と交渉させたからです。

大日本帝國の降伏後、アメリカ合衆国のいわゆるウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム(戦争の罪を知らしめる計画)のもと、戦後アメリカ民主主義教育を徹底しました。

幼くて、戦争を理解出来ない子供や、戦後に生まれた子供には、戦前の日本は天皇中心の暗黒時代で、戦争を起した日本を、正義の味方アメリカが、日本に民主主義を広めるために、解放戦争をしたと、日本人を洗脳して、今に至っています。

戦後の一方的な偏りを脱して公平に過去を見て、非とすべきは非とし、是とすべきは是とするのが独立国たるもので、外国との対等な関係も築けるものだろうと、フィッシュも言っています。

民族の歴史を公平に見ようとすることは、修正主義でもなんでもない。

来年は再び、アメリカのポチから抜け出し、真の独立国になる第一歩だと思います。















Last updated  2015.01.03 22:38:21
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2014.12.26
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20日付きのこのブログで、維新の党の橋下大阪市長が大阪3区、松井大阪府知事が、わたしの選挙区16区での出馬をあきらめたのは、首相官邸の要請で、今回は出馬取りやめて、次の次を考えて、公明党と密約したと、青山氏は言っています。}
と書きました。

密約の内容は、選挙結果が出たら、すぐ分かると言っていました。

今日、松井一郎大阪府知事は、大阪府と大阪市を統合再編する大阪都構想法定協議会を、公明党の協力で、30日再開すると表明しました。

大阪維新の会が6月下旬以降、公明、自民など野党委員を排除して、7月に単独で査定しました。

しかし、野党側は9月の府議会で、委員構成を白紙撤回する規則改正案を可決して、制度案の審やり直し提案しましたが、維新側は必要ないと物別れになっていました。

現在、松井知事と橋下徹大阪市長、府議、市議各9名の計20人で構成されています。

維新は知事、市長を含めて9人ですが、公明の4人が協力すれば、主導権を握って、再会の条件が整います。

法定協議会の招集権は松井知事にあります。

制度案が可決されれば、大阪市民対象の住民投票が行われ、過半数の賛成で都構想が実現します。

維新側は、来年4月の統一地方選に合わせて、住民投票実施をするつもりでしたが、制度案の修正に一定の期間必要なので、住民投票は統一選挙後になる可能性あります。

総選挙で、維新は比例区で、大阪では自民党を抜いて第一党で、賛成過半数を超える可能性あります。

これまで、公明党と共に、反維新で結束していた自民、民主、共産各党の大阪府議、市議の間には、寝耳に水だとショックを受けています。

公明党大阪本部も、党本部から維新へ協力するよう指示があり、方針転換が決まったようです。

対応が180度変わり、支持者に説明できないと、議員は困っているようです。

敗戦から15年目で、今の戦後体制が確立しました。

来年2015年は21世紀に入って15年目で、新しい21世紀の形が姿を表わす年だと期待しています。



























Last updated  2014.12.26 22:22:47
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2014.12.20
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安倍首相が乾坤一擲(けんこんいってき)の大バクチの衆議院を解散して、総選挙が行われ、自公が:憲法改正が出来る2/3の317議席を越える325で圧勝しました。

しかし、参議院では野党が圧倒していますから、二年先の参議院選挙で、勝つまでは憲法改正は不可能です。

又、公明党は九条改正に反対で、今の憲法を一切変えずに、環境権などの追加を望む加憲をんでいますから、次の総選挙までは無理です。

では、何故、反対を押し切って解散したのかというと、今年四月の消費税8%増税で、経済指標が悪化しているので、追加増税を延期したいのに、増税ありきの、東大出身者が明治政府以来握っている大蔵省、今の財務省役人が、安倍つぶしにかかっているからです。

青山氏によると、財務省の古手やドンが、選挙基盤の弱い若手の自民党議員に、予算つけますよとほのめかし、安倍首相が選挙せずに、増税延期したら、予算案を通さないように、働きかける予定だったそうです。

しかし、選挙で勝ったので、安倍首相の完勝です。

小泉新次郎も、一年生議員を手なずけて、影の大派閥を形成していますから、次の次の首相の可能性あります。

維新の党の橋下大阪市長が大阪3区、松井大阪府知事が、わたしの選挙区16区での出馬をあきらめたのは、首相官邸の要請で、今回は出馬取りやめて、次の次を考えて、公明党と密約したと、青山氏は言っています。

橋下共同代表が開票前に、早々と完敗だと宣言しましたが、比例区では、大阪では自民党を抜いて第一党で、一人減っただけの次に繫がった軽傷です。

これは、一年半後の参議院選挙で、公明党をはずして、改憲勢力を集結を望んでいるからといわれています。

戦後70年間、世界の覇権国アメリカの没落は目を覆うばかりです。

次の覇権国を狙う中国は、国内経済はがたがたで、年に何十万件も暴動が起こり、反日愛国運動で、政権を維持している習主席は、賓客を迎えたのに、安倍首相と会うのに、国内向けに、笑顔一つ出せず、世界から嘲笑されています。

ロシアは、ウクライナ大統領選挙のドサクサに、プーチン大統領が海軍基地のあるクリミャ半島を占拠したのは良かったが、親ロシア系ウクライナ人のマレーシア航空機撃墜などの暴走で、西欧諸国からの制裁と、オペックの石油減産による暴落で、ルーブルも半値に暴落して、国家財政が破綻しかけています。

来年、世界で、安定している長期政権は、第二次大戦の敗戦国の日本とドイツだけです。

無能力な韓国人が総長の国連も、世界の紛争を解決する力ありません。

大混乱の世界を救うのは、戦勝国が作った正式名、連合国(国連)が第二次世界大戦の降伏した敵国、枢軸国(すうじくこく)
が入れない国連常任委員会に、日本とドイツが入り、中国やロシアが乱発する拒否権を取り上げるしか、効力が出ないでしょう。

来年は、安倍首相に望むのは、アメリカの戦争に巻き込まれない範囲での、集団的自衛権の有事立法でしょう。

戦前の帝國陸海軍は天皇を守る軍隊で、臣民は天皇の臣下、赤子(せきし)で、臣民を守る軍隊ではありません。

平和憲法の改悪は、戦争を体験した者として、反対ですし、不可能でしょう。




































た今日、







Last updated  2014.12.20 21:32:14
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