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戦前戦中の語り部

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2014.11.17
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今朝、17日発表された日銀短観で、7月-9月期のGDPは、年換算で、-1.6%の衝撃的な数字で、株価暴落しています。

今夕帰国する安倍首相が解散総選挙を決定するのは確実になりました。

今回の選挙は、来年、敗戦後70年の日本の新しい針路が決まる、大事な選挙になりました。

敗戦国という汚名を、日本とドイツは、二十一世紀の今でも引きずり、戦勝国が作った国連の常任委員会は米英仏中露が独占しています。

もし、日独が戦勝国と戦争すれば、国連の名の下に、処罰されます。

アメリカは、日米同盟の日本の常任委員会への参加に、本心では賛同せず、中露は反対しています。

今回のAPECでの、日中会談も、オバマ大統領からの圧力で、安倍首相が応じたようです。

中国側は、安倍首相が欠席すれば、主催国としてのメンツが立たズ、日欧の情報がプーチンロシア大統領からしか入らず、不利になるので、水面下で交渉して、靖国問題と尖閣問題は玉虫色にして、会見では、国旗なし、笑顔なし、握手なしを要求しましたが、握手だけは、日本側の要求で実現したようです。

しかし、靖国問題や尖閣問題を棚上げしているので、安倍首相の全面勝利になりました。

この国内向けの仏頂面の習主席の会見は、世界からは、礼節の国の礼儀知らずの習主席は、笑いものになり、国内向けの仏頂面の会見は、逆に、国内の足場の弱さを世界に知られることになりました。

オバマ大統領との10時間に及ぶ会談は、米中で、太平洋分割統治をアメリカに認めさすことですが、死に体のオバマ大統領に権限はありません。

外務省は7日に、米国で今年実施した対日世論調査の結果を発表しています。

 一般の米国民に、アジアで最も重要なパートナー」を聞いたところ、日本を挙げた人は46%で、中国を挙げた人の26%を上回り、2年ぶりに首位となりました。

有識者のみを対象にした調査でも、日本を選んだ人は58%に上り、中国の24%を抑えて5年ぶりにトップとなっています。

中国が、東シナ海や南シナ海などで挑発的な海洋進出を続けていることが、米国での対中イメージに影響したとみられています。

日米両国が、アジア太平洋の平和と安全のために緊密に協力すべき」という質問に対しては、一般国民の91%、有識者の97%が協力すべきだと答えています。

今月2日の東京地方だけ放送していない、たかじんのそこまで委員会で、飯島参事官が、APECから帰った17日以降に、解散して、12月2日公示、12月14日選挙と書いたメモを辛抱副委員長に渡していました。

安倍終章が解散を決定したのは、公明党が承諾した10月27日と言われています。

尚、前回の選挙で、選挙協力した公明党が大阪都構想に反対したので、公明党議員がいる大阪3区から、橋下市長が、
北側議員のいる大阪16区からは、松井知事が出るようです。













Last updated  2014.11.17 20:58:31
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2014.10.18
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長野、岐阜県にまたがる御嶽山(おんたけさん、3067メートル)が噴火してから続けられた捜査が打ち切られました。

死者56人、行方不明7人の大惨事になりました。

YouTube から噴火直後の御嶽山のニュース転載しました。

戦後最大の大惨事と言われていますが、江戸時代の西暦1707年の宝永の富士山の爆発での餓死者多数、
1783年の浅間山の天明大爆発での火砕流と泥流での死者1151人以来の大惨事です。

大正二(1914)年の櫻島の大爆発で、溶岩が島をのみこみましたが、死者58人、
戦争中の昭和十八ー二十(1943-45)年の有珠山の昭和新山での死者1人です。

戦後は、昭和六十一(1986)年の伊豆大島の全島避難、
平成二(1990)年から六年間の雲仙岳の火砕流による死者不明者44人、
平成十二(2000)年からの全島避難で、御嶽山の惨事が際立っています。

御嶽山の噴火の兆候は、気象庁が常時観測しながらもつかめなかったから、日本列島に、47もある常時観測対象の活火山不意に噴火しても、手の打ち所がありません。

関東と静岡には、13の活火山が集中し、富士山、那須岳、日光白根山、(草津白根山、(浅間山、箱根山、伊豆火山群、伊豆大島、新島、神津島、三宅島、八丈島、青ケ島と火山がかたまっています。

21世紀に入ってからM9クラスの地震は5回起きていますが、そのいずれも、数十時間から数年間の間に近隣の火山が噴火しています。

昭和三十五(1960)年のチリ地震の翌日にはコルドンカウジェ火山が噴火、
平成二十二(2010)年のM8.8の地震が発生しした翌年の2011年から2012年にかけて、コルドンカウジェ火山群噴火が続き、
平成十六(2004)年のスマトラ沖地震の翌年には、震源地の西方にあるタラン火山が噴火しています。

二十世紀最大級の噴火といわれる平成三(1991)年6月のフィリピンのピナツボ火山の噴火も、前年の7月に発生したフィリピン地震(M7.8)に誘発されたものと考えられています。

2011年の東日本大震災以降、通常年間10センチほどだった太平洋プレートの沈み込みが、年間30~40センチにまで速度を上げているというわれています。

震災以降、東日本の火山は一斉に噴火準備に入っている考えられます。

地震はプレートとプレートの間にひずみがたまり、それが限界に達すると発生しますが、火山噴火の場合はプレートがこすれ合い、摩擦熱でマグマが生まれます。

地震の後に火山が噴火するケースが多いですが、逆の場合もあるそうです。

御嶽山の噴火の後に、大地震が発生する可能性は分かりませんが、御嶽山に近い焼岳の直下で今年5月に、群発地震が起きています。

3.11の東日本大震災以来、列島の地質に何らかの異変が起きているのは、貞観地震の記録を見ても分かります。

西暦850年11月23日、(11月27日)(嘉祥3年10月16日) -出羽国地震、M7
863年7月6日、(貞観5年6月17日) - 越中越後地震
864年7月 - 富士山の貞観大噴火(2年間)
864年11月 - 阿蘇山噴火
867年3月(貞観9年1月) - 鶴見岳(大分県)噴火
867年6月 - 阿蘇山噴火
868年7月30日(8月3日)(貞観10年7月8日) - 播磨・山城地震、M7、山崎断層か。 869年1月(貞観10年閏12月) - 摂津地震(7月30日の余震が続いていた)
以上が、貞観地震以前の現象

                869年7月13日(貞観11年5月26日) - 貞観地震

869年8月29日(貞観11年7月14日) - 肥後台風被害。同時に津波が襲った可能性あり。
871年5月(貞観13年4月) - 鳥海山(山形県・秋田県)噴火
874年3月25日(貞観16年3月4日)、仁和元年(885年)7月、同8月 - 開聞岳(鹿児島県)が大噴火。
878年10月28日(11月1日)(元慶2年9月29日) - 相模・武蔵地震、M 7.4
880年11月19日(11月23日)(元慶4年10月14日) - 出雲で地震、M 7
887年8月26日(仁和3年7月30日)- 仁和地震(南海トラフ連動型地震?)、M8.0~8.5
893年 - 国外の白頭山噴火にともない北日本(東北地方・北海道)に降灰。







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Last updated  2014.10.18 22:11:41
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2014.09.25
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李香蘭こと、山口 淑子が9月7日に、心不全で、94歳の波乱の人生を閉じました。

戦前の大正九(1920)年2月12日に、満州の奉天省の炭坑の町、撫順で、満鉄(南満州鉄道株式会社)で中国語を教えていた佐賀県出身の父、山口文雄と福岡県出身の母・アイの間に生まれました。

南満州鉄道(満鉄)の特急アジア号は、大連ーハルピン間を8時間で結び、当時世界一の早さでした。

戦後、この満鉄技師と、ゼロ戦こと、海軍零式艦上機を造った技師たちで、東京ー大阪間の弾丸列車、今の東海道新幹線を造りました。

小学生の頃に家族で奉天市(現瀋陽市)へ移住し、家族ぐるみで交流のあった瀋陽銀行の頭取・李際春将軍(後に漢奸罪で処刑)の義理の娘分(乾女兒)となり、李香蘭(リー・シャンラン)という中国名を得ました。

当時、中国の旧習で、縁を深める為にお互いの子供を義子とする習慣があったからで、戸籍は日本名でした。

終戦を上海で迎えた彼女は、漢奸(かんかん、中国人として祖国を裏切った)容疑で中華民國の軍事裁判に掛けられたものの、日本人であることが証明され、漢奸罪は適用されず、国外追放処分となり、日本に帰国出来ました。

この間の事情は、劇団四季の李香蘭で上演されています。

YouTubeより、映画さよんの鐘より、台湾軍の歌を転載しました。

昭和十三(1938)年、大日本帝国台北州蘇澳郡蕃地大字リヨヘン社に駐在していた日本人の巡査で、村の学校教師だった田北正記に召集令状が届きました。

下山する際の荷物運びを村の青年たちが申し出て、その中に17歳の少女サヨン・ハヨンもいました。

一行は悪天候の中出発しましたが、途中の川に掛かった丸木橋を渡る際、荷物を背負っていたサヨンは足を滑らせて増水た川に落ち、死亡しました。

出征する恩師を見送るために、少女が命を犠牲にしたことから、台湾先住民の愛国美談となって広まり、台湾総督によってサヨンを顕彰する鐘と碑が、サヨンの鐘と、愛國乙女サヨン遭難の碑として、遭難現場付近に建てられ、松竹映画、台湾総督府、と満州映画とで、映画化されました。

戦前、戦中の満州地方(中華民國と満州國)と日本、
戦後の香港では、李 香蘭(り こうらん、リ・シャンラン、Lee Hsiang Lan)の名で、

戦後の米国ではShirley Yamaguchiの名で映画、歌などで活躍しました。

帰国後は、旧姓山口淑子の名前で芸能活動を再開しました。

アメリカや香港の映画・ショービジネス界で活躍、昭和三十三(1958)年、外交官大鷹弘と結婚のため芸能界を引退しました。

昭和四十四(1969)年、フジテレビのワイドショー、3時のあなた、の司会者としてマスメディア界に復帰、昭和四十九(1974)年3月まで務めました。

昭和四十九(1974)年から平成4(1992)年までの18年間は、本名の大鷹淑子として、参議院議員を務め、日中平和に務めました。




















Last updated  2014.09.25 22:33:21
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2014.09.03
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69年前の昭和二十(1945)年八月十五日正午の玉音放送で、読み上げられた終戦の詔書の日付は、日本政府が、ポツダム宣言の受諾を連合国側に通告した前日の八月十四日付きになっています。

日本政府及び連合国代表が、アメリカの戦艦ミズリー艦上で、降伏文書に調印した日は、昭和二十年九月二日で、外国ではこの日を対日戦争終結の日や「終戦の日としている例が多いようです。

特に、中国とソ連(現ロシア)はこの日が対日戦勝日だと主張して、八月十五日以降の空白の間に侵攻した千島、樺太は、ソ連の占領地だと、日ソ不可侵条約を破棄という國際条約に違反した火事場泥棒を正当化しています。

降伏文書への調印により、大日本帝国は正式に独立国ではなくなりました。

陸海軍の大元帥陛下たる天皇のみが保持していた主権、即ち、統治権および統帥権も、正式に失われました。

今週のNHKの朝ドラ、花子とアンで、白蓮の夫、宮崎竜介が憲兵隊に逮捕されます。

これは、、父滔天と同じく孫文の盟友であった秋山定輔が、近衛文麿首相から、中国との和平工作の特使として滔天の長男である龍介を派遣するよう依頼されて、それを知った強硬派の憲兵隊が、神戸港で、船に乗っていた竜介を三日間拘留した事件を脚色しています。

蒋介石将軍との会見が実現していたら、シナ事変が起こらず、大日本帝国の崩壊も無かったでしよう。

連合国軍による、大日本帝国の版図への分割占領統治が始まりました。

ソ連は千島、樺太及び満州国、中華民国は中国大陸及び台湾、イギリスは中国地方、アメリカは本州、北海道、九州、をむ四国および琉球と奄美群島を占領統治しました。

日本は連合国軍による占領統治の下に置かれ、GHQが主権者として一連の戦後改革を、連合国軍最高司令官の布告・命令・指示によって展開させました。

昭和二十一(1946)年十一月三日に、大日本帝国憲法に変わる、日本国憲法が成立し、昭和二十二(1947)年五月三日に、日本国憲法が施行され、67年後の今まで、平和憲法として定着しています。

昭和二十七(1952)年四月二十八日、平和条約(サンフランシスコ講和条約)が発効して、国際法的に、戦争状態が終結するとともに連合国による占領統治が終結し、日本は主権を6年8か月ぶりに回復しました。

アメリカは太平洋戦争、日本は大東亜戦争と称える第二次大戦が正式に終了するのは、この日本国とのサンフランシスコ講和条約が発効した昭和二十七(1952)年四月二十八日になります。

YouTubeからマッカサー将軍らが厚木海軍航空隊基地から横浜市まで進駐するときの動画、再再転載しました。

厚木基地に到着したマッカーサー将軍は恐怖で、小便を漏らしたと言われています。

横浜市に到着した八月三十日の翌日には、アメリカの水兵がビールを積んだトラックを襲撃しています。

八月十五日から八月三十日までは、帝國陸海軍は解散して、無政府状態でしたが、動画を見ても分かるように、日本人は平静でした。

しかし、大日本帝國臣民だった台湾人、特に半島人と言われていた朝鮮人は、日本国籍が無くなり、第三国人と呼ばれ、警察が何もできないので、したい放題して、手が付けられませんでした。

その時立ち上がったのが、神戸の山口組三代目田岡組長で、第三国人に支配されていた闇市などを取り返し、裏社会を支配するようになました。

明治維新で、江戸幕府の警察組織が崩壊して、治安の乱れを恐れた山岡鉄舟が、東海道の治安を清水の次郎長に任せたのと似ています。

昭和三十年代まで、ヤクザ組織の力は警察を上回っていました。

昭和三十六(1961)年八月一日夜9時過ぎ、大阪市西成区の釜ヶ崎で、車にはねられた日雇労働者を、西成署員が派出所前の歩道に、寝かせまま、現場検証を続けているのを見た、労動者数人が、何故、早く病院に収容しないんだと警察官に抗議しました。

日頃の警察官の態度に反感していた2000人以上の群集が、派出所に投石したり、パトカーや駐車していた車を横倒しにして、放火したりと、無法地帯になりました。

暴動は2日間続き、28人を逮捕、警察官100人、群集数十人が負傷しました。

わたしの工場の工員数人も、見物に行って、警官に殴られ、手足骨折していました。

当時の釜が崎は、全国から失業者や犯罪者が集まる吹き溜まりで、ヤクザ組織に関係したり、麻薬密売など犯罪の巣窟となっていました。

やくざ組織は、敗戦以降は、裏社会から表に出るようになり、山口組の田岡組長などは、美空ひばりと小林旭の結婚を取り持ち、三人で、記者会見して、テレビで、全国に放送されています。

二日目の晩、天王寺から釜が崎方面に下りていくと、地元のヤクザ組織が高張り提灯を上げて、現場を見回っていました。

その外側を、府警の警官が、同じような高張り提灯を掲げて巡回していて、群集を整理していた光景が、今でも、目に浮かびます。

敗戦で、弱体化した警察が正常に戻ったのは、東京オリンピック過ぎてからのように思います。
























Last updated  2014.09.03 09:36:06
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2014.08.15
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今日、八月十五日は69回目の終戦記念日です。

昭和二十(1945)年八月十五日正午、ラヂオ(今は、ラジオ)から聞こえて来る、初めて聞く昭和天皇の甲高い声に、驚きましたが、雑音がひどく、何を言っているのか、さっばり分からなかったのが、正直な気持ちです。

聞く人によっては、勝ったと勘違いした人も多く、ブラジルでは、神国日本が負ける筈がないと、勝ち組と負け組が闘争、死者まで出る騒ぎになっていました。

時間が経ち、周囲の雰囲気で、やっぱり負けたと分かってくると、がっくりと力が抜けました。

最近の技術により、雑音がない玉音放送と前後の東京放送局の和田信賢アナの説明を、YouTubeから再々転載しました。

この、全世界へ向けての放送で、大日本帝国の敗戦が確定しました。、。

シナ派遣軍の暴走による、万里の長城南下によって始まったシナ事変により、帝國臣民340万人(内30万人は台湾、朝鮮半島出身者)が殺され、帝國臣民の生活が180度暗転しました

十五日の大阪の温度は35度の酷暑だったようで、今では、二度と見られない、どこまでも青い紺碧の空をありありと思い出します。

日が暮れて、今まで、灯火管制で真っ暗闇だった村も、久しぶりに家々に裸電球の光りが灯り、まぶしく感じ、生まれたときから続いていた長い戦争が終わったと実感しました。

そして、戦争の無い平和な時代が、平和憲法のお陰で、今も続いています。






















Last updated  2014.08.15 12:19:43
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2014.08.06
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今日8月6日は、69回目の広島原爆忌です。

昭和二十(1945)年8月6日8時15分に、敵B29爆撃機エノラ・ゲイ」が、史上初、人類の頭上に、人体実験の為に、原子爆弾を原爆ドームの上空から投下しました。

YouTueから広島原爆被害を転載しました。

何故、同じ敵国のナチスドイツに投下しなかったのかというと、同じ白人だからで、黄色人種の日本人には、躊躇(ちゅうちょ)せず、トルーマン大統領は投下命令しました。

日本政府も、トルーマン大統領死去しても、弔電一本も送っていません。

7月28日、広島に原爆を落とした、敵B29爆撃機ヱノラ・ゲイに乗務していた最後の生存者、セオドア・バンカークが、米ジョージア州の高齢者施設で、93歳で死去しました。

原爆一発の投下で14万人を殺害しましたが、当時の広島市の人口は35万人です。

バンカークは、リトルボーと呼んでいた原爆を投下した時、明るい閃光(せんこう)と飛行機以外は何も見えず、広島上空は、白い雲が立ち込め、雲の下の街は煙とちりに覆われて、沸騰する油の鍋のように見えたいます。

広島への原爆投下について、戦争が早く終わり、後悔の念はなかったと語っていますが、原爆投下無くても、遅かれ早かれ戦争は終っていました。

被害者の被爆者が許すのは分かりますが、加害者の白人から、殺しても後悔ないと言われると、黄色人種対する。人種差別
を感じます。

一人殺せば、殺人犯人ですが、1000人殺せば、英雄で、勲章貰い、威張っています。

















Last updated  2014.08.06 10:38:22
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2014.07.30
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69年前の今頃は、毎日敵艦載機の機銃掃射やB29爆撃機からの爆弾の雨から逃げ回る毎日でした。

来年は、敗戦70周年になるので、鬼が笑いますが、来年には詳しく書く予定にしています。

記録によれば、昭和二十(1945)年七月二十二日の日曜日、近畿全域に、敵P-51艦載機約200機が来襲、機銃掃射してまわりました。

わたしが、このブログで書いた、屋根すれすれに飛んで来た敵機が、笑いながら家の前を通る人々に、機銃掃射していたのは、この日だと思われます。

YouTubeから戦争中の敵機から機銃掃射される本土を転載しました。

八月十五日の敗戦の日までは、日本人すべて、いつ殺されても不思議の無い、命の保障のない日々を送っていました。
しかし、平和な時代の二十一世紀の今になって、世界各国で、内戦状態で、殺し合いをしています。

人権派弁護士のオバマ大統領が、世界の警察官としてのアメリカの立場を放棄してからは、押さえつける国が無くなり、統制がつかなくなり、世界大乱の様相になって来ました。

日本でも、おかしな殺人事件が起こっているのは、世相が狂ってきたからです。

戦争中は、凄惨な現場になれっこになっていましたが、殺す理由のない友達を殺してみたいとの理解出来ない佐世保の高一女子殺害のニュースは、ショックでした。

テレビや新聞では、被害者ばかり大大的に報道され、人殺しの高一女子は、人権人権で、厚生の話しばかりです。

一部の報道では、誰でも知っている佐世保の名士だというのが限界です。

若い女と再婚した弁護士の父は、冬の69回山形国体で、スケート長崎県代表として、父娘で参加して、地元で知られた人物ですが、未だに被害者の両親に書面でも謝らず、雲隠れです。

朝八時のフジテレビの特ダネで、小倉キャスターも、ネットでは詳しく書かれているのに、テレビでは、少年法の壁で、肝心のことが語れないと言っていました。

週刊ゲンダイ電子版によると、母方の祖父が地方新聞の経営者で、伯父が地元警察幹部、亡くなった母は、教育委員会にかかわり、で次期委員長の呼び声が高かったとのこと、佐世保の学校関係者も手を出せなかったと思われます。

東大を出て、地元の放送局に勤めていた実母は、NPO法人の代表を務めたり、出版活動も行い、長崎県のスケート連盟会長にもなった有名な人のようです。

お母さんが亡くなって、すぐにお父さんが別の人を連れてきた。お母さんのこと、どうでもいいのかなと話すなど落ち込み、父親を金属バットで殴り、大けがを負わせていたことも分かって来ました。

小学校時代、娘が給食に、異物を入れたが、PTA会長だった父がもみ消し、何も無かったことになったと、ネットに書かれています。

昔も今も、日本人の体質は変わっていません。











Last updated  2014.07.30 18:34:42
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2014.07.01
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自衛隊結成60年目の節目の今年、戦後初めて、平和憲法の解釈が変更された集団的自衛権の閣議決定された歴史的
な日になりました。

わたしが生きている間には、戦争放棄した、この平和憲法を持った日本に、戦争を仕掛けて来る国はないと楽観していました。

戦後生まれの人々が、アメリカと戦争したことも知らないで、平和ぼけしても、二十一世紀は、戦争のない穏やかな世紀だと楽観していました。

しかし、オバマ政権になってからのアメリカは、世界の警察としての役目放棄してからは、中国の尊大振りが目についてきました。

十日ほど前に、高校時代の友人数人と、年数回、開く飲み会の席で、集団的自衛権の話しになりました。

早稲田大学拳法部OBの猛者が、W杯で、日本は、練習では守備は完璧でも本番の、ここ一番で、敵から攻撃されると、がたがと崩れ勝てないと予言しました。

サッカー・ワールドカッブ、ブラジル大会では、日本は0勝1引き分け2敗という、グループリーグC組最下位で、彼の予想通り、敗退しました。

本田選手は、我々は未熟すぎたと述べましたが、このチームは、親善試合では、世界の強豪とも互角に戦える、日本史上最強のチームだと、新聞に書かれていました。

しかし、本番のW杯では、命を賭けて、死に物狂いでぶつかって来る相手に対し、ひ弱な日本選手は太刀打ち出来ませ
ん。

攻撃が最大の防御だという鉄則を禁じられた、平和憲法により、骨抜きにされた戦後の平和ぽけ日本には、親善試合で勝てても、真剣勝負では位負けしています。

戦後日本は、専守防衛で、守ることには精通していますが、攻撃する手段を封じられ、運動会でも皆が一等と、平等主義で育てられた、平和平和と叫ぶ、平和ボケの日本が、お前の物も俺の物と強引に要求する強欲中国に勝てるわけないと、彼は言っていました。

憲法の制約で、片手を縛られた自衛隊を試すために、中国海軍が異常スクランブルをかけているといわれています。

発表では、30メーターまて゛接近といわれていますが、実際は、自衛隊機後ろに付いて追尾して、自衛隊員は撃墜されるのを覚悟したといわれています。

中国の野望は、戦前の帝國海軍と同じように、西太平洋をわが海にすることです。

そのために海軍力の増強に躍起ですが、その戦力はまだまだ日米に及びません。

そのために、潜水艦戦力に活路を見出しています。

海上自衛隊の潜水艦は16隻だけですが、中国海軍は、原潜9隻を含む、63隻の潜水艦があり、数では圧倒しています。

しかし、大半が老朽化していて、音がやかましく、太鼓叩いて、潜水していすから、潜水艦としては、ステルス性能に致命的欠陥があります。

今回、スクランブルをかけられた自衛隊機は、海上自衛隊のOP-3Cは、世界屈指の対潜哨戒能力を誇るP-3Cの改良型で、100~200キロ離れた遠距離から広域の画像情報収集に優れた能力があります。

もう1機の、空軍自衛隊機のYS- 11EBは、2009年に北朝鮮がテポドンを発射したとき、米空軍とともに監視任務で活躍した飛行機です。

日本周辺の不審レーダー電波や、無線電波を収集・監視する電子戦機で、この"たった2機"に、中国海軍は恐怖を感じているようです。

今回の集団的自衛権閣議決定は、暴走中国に対する歯止めになり、戦後の日本の転換点になった歴史的な日のように感じます。

YouTube から太平洋行進曲を転載しました。











 

 












Last updated  2014.07.01 23:46:22
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2014.06.04
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今日、六月四日は、中国のネット仲間では、五月三十五日と呼ばれています。

六四天安門事件(ろくしてんあんもんじけん)と呼ばれる、平成元年、1989年6月4日に、北京市にある天安門広場に民主化を求めて集結していた学生を中心とした一般市民のデモ隊に対し、中国人民解放軍が、市民に向けて機関銃による無差別発砲や、装甲車や戦車で、三千人とも数万人ともいわれる学生達を轢き殺した事件です。

六四天安門事件」で検索すると、接続不可能になる為、5月35日(5月31日+4日))、VIIV(ローマ数字の64)や、「82(8x8=64=6月4日)」などT画、中国人の間で、隠語として使っています。

今夜7字のNHKニュースも、天安門事件のニュースになると、音声が消え、画面が真っ暗になっています。

米ジョージ・ワシントン大学の国家安全保障公文書館が「情報自由法に基づき取得して公開した文書では、1989年6月3日夜から4日未明にかけて中国当局が学生運動を武力弾圧する中、中国全土に広がっていった混乱の様子が示されています。

 米軍のある機密報告書は、ホテルの一室から天安門広場の様子を目撃した匿名の人物の話として、武力弾圧が多くの死者を出すことを意図した残虐なものだったと記しています。

第27集団軍に属する非北京語話者の兵士たちは、人々の集まりに遭遇すると、それが誰であろうとも笑いながら、無差別に発砲していたと言っています。

中国各地に広がる危機感を示す別の公電では、天安門での惨事を受け、現金を引き出そうとする人々が殺到したことから、当時国営だった中国銀行の上海支店に軍が空路で外貨を運んだと書かれています。

毎年、天安門事件の六月四日が近ずくと、人民の目を外にそらす為に、日本にいちゃもんつけて、有る事無いこと、悪口をいい、反日運動を扇動していましたが、反日デモが酷くなると、反政府運動になるので、反日愛国運動が使えなくなりました。

中国はシャドーバンキング問題や、新疆ウイグルやチベット少数民族などの弾圧、都会と地方の格差問題など、満身創痍(まんしんそうい)で、年間20万件の暴動が起こっていますが、前政権までは、頭はしっかりしていて、理性的なところありました。

しかし、共産党や軍を支配した井の中の蛙の頭の悪い習国家主席は過去の中華帝國をの再現を夢見て、世界第二の経済力を国際法を無視して、 旧帝国陸軍と同じで、行け行けどんどんで、今はベトナムともめています。

東シナ海や南シナ海で、「力による現状変」を進めていることに、シンガポールでのアジア安全保障会議で各国から批判が集中しました。

中国人民解放軍の王冠中・副参謀総長は1日、アジア安全保障会議での演説で、安倍晋三首相が前々日の基調講演で、法による南シナ海の安定を訴えたことに、安倍首相は間接的に中国を攻撃して、中国を挑発した、決して受け入れることはできないなどと非難しました。

国際社会は、中国が軍事力を背景に領土・領海を拡張しようとしていると、各国の安全保障の専門家から批判され、中国が南シナ海の大半を自国領だと主張して地図上に独自に引いた中国の九段線と称する9本の境界線について、海上に線を引き自国領と言うのは国際法とは相いれないと批判されています。

そして、ベルギー・ブリュッセルで、4、5両日に開かれるG7(先進7カ国)首脳会議で採択される首脳宣言でも、名指しで非難され、習国家主席率いる中国の孤立化が鮮明になってきました。











 

 






Last updated  2014.06.04 23:00:21
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2014.05.23
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昨夜七時過ぎ、タイ軍が、19回目のクーデターを起し、憲法を停止しました。

今月に入り、ブログを書こうとすると、次から次へと、世界各国で、国論を分割する問題が起き、国内が分裂状態になり、世界の政治の趨勢(すうせい)が読めなくなり、様子を見ていました。

日本でも、裁判で、大飯原子力発電所廃止や航空自衛隊機の夜間飛行差し止めなどの判決が出たり、集団的自衛権の問題で、公明党だけでなく、自民党内でも、反対がくすぶっています。

歴史を見ても、革新的なことが起こって、紆余曲折(うよきょくせつ)して、十五年で、新しい制度が確定しています。

二十一世紀に入り、十五年目の来年には、二十一世紀型の世界の形がはっきり見えてくると期待しています。

生まれたときから、戦争時代しか知らなかったわたしには、昭和二十(1945)年八月十五日正午の昭和天皇の雑音だらけの玉音放送を聞いても、本土決戦になるから、より頑張れとの重大ニュースだと思っていました。

耐えがたきを耐えとの言葉と、NHKの和田信賢アナの説明で、、負けたと分かりましたが。

その日の夕方、灯火管制で真っ暗だった家々の灯が灯ったのを見て、戦争が終ったのだと実感しました。

負けた悔しさはすぐ無くなり、これで死ぬ心配も無くなり、威張りくさっていた軍人が姿を消し、重石が取れて、身も心も、軽やかになり、今では見られない、底抜けに青い空に飛び上がっていく感覚でした。

進駐軍の若手将校が、悲惨な第一次世界大戦を反省して作成された不戦条約を参考に、アメリカ政府では、絶対出来ない理想憲法の試案を、一週間で作成、GHQに提出しました。

日本軍に散々な目にあったアメリカ占領軍は、再軍備して、軍国主義復活しないように、三分の二の議員の賛成が必要な硬直憲法を押し付けました。

勝利の日を信じて、力の限り戦った当時の日本人は、へとへとで、もう戦争はこりごりだと思っていましたから、これで、平和な日本が築けると喜びました。

それから70年、日本は一度も戦争をせず、平和な時代が続きました。

しかし、最近、日本を抜いて、世界第三の経済大国になった中国が、海洋進出して、日本や東南アジア諸国の領海に侵入を始めました。

昔から、シナ人は、水に落ちた犬は打てと、相手がおとなしいと見ると、難癖をつけて、攻め込み、相手が一歩でも下がると、追い詰めて、最期に徹底的に叩きのめします。

しかし、強い相手と見ると、力を付けるまで逃げ周り、時期を待ちます。

馬鹿なシナ派遣軍の将校が、満州を一箇月で落とした石原伸爾将軍も、万里の長城を越えて、シナ本土には行くなとの説得に応じず、一週間で、全土占領すると豪語して、泥沼のシナ事変を起し、アメリカと戦争する羽目になりました。

その負い目がある日本人は、中国には経済援助して、助けました。

昭和時代までは、アメリカ人も中国人も、日本人を怒らせると恐いのは分かっていましたから、日本が下手で、対応しても、馬鹿にすることはありませんでした。

しかし、平成に入り、世界の政治のトップも、戦争を知らない戦後世代になると、控えめで、おとなしい日本国を馬鹿にするようになりました。

今でも、日本の平和憲法は永久に残ってほしいと思っています。

しかし、中国が日本を甘く見て、尖閣だけでなく、沖縄に侵攻したとき、琉球人が中国の属国を望めば別ですが、日本人を怒らせて、憲法改正やクーデターを起し憲法停止にならないことを祈ります。

もともと平和的なおとなしい日本人が堪忍袋の緒(かんにんぶくろのお)が切れたときの恐さを知っているからです。

本土進攻されても、平和平和と戦争反対する日本人がいれば、タイのように、クーデターを起し、憲法停止になるでしょう。

戦争になれば、規制されるのは国内法と國際法だけにるからです。

YouTubeからたかじんのそこまで委員会を転載しました。














Last updated  2014.05.23 15:51:33
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