淀川水系の桂川氾濫について
十六日朝三時半ごろ、雨の音で目覚め、NHKニュースを見ると、台風18号が潮岬沖合いを通過した地図が出ていたので、四時の台風ニュースを見ると、桂川が氾濫とテロップが出たのを確認して、再び寝ました。しかし、朝起きて、テレビを見ると、京都府、滋賀県と福井県に、史上初めて、五時五分に、大雨特別警報が出ていて、渡月橋に濁流が襲う監視カメラを見て、目を疑いました。嵐山は毎年遊びに行き、地元の人から水に浸かった話しは聞いていますが、このようなみやげ物屋の床上まで浸水した話しは聞いたことはありません。YouTubeから桂川氾濫のニュースを転載しました。京都市内を流れる鴨川も、ゆか床の柱まで水位が上がり、二人づれが等間隔で並ぶ、デート場所の河川敷も見えなくなりました。平安時代から、時の為政者にとって思いどおりならないのは、賀茂川の水と比叡山の坊主といわれたように、鴨川は暴れ川でした。最後に氾濫したのは、戦前の昭和十(1935)年6月29日朝で、河原町通りにも、濁流が流れ込んで、胸のあたりまで浸かったようです。戦後では、以前このブログでも書いたように、丁度、60年前の昭和二十八(1953)年9月25日の木津川が氾濫、石清水八幡宮で有名な今の京都府八幡市全域が水に浸かり、京阪電車が一箇月近く不通になったのが、強い印象にあります。八幡付近では、琵琶湖から流れている宇治川と桂川が合流、大山崎で木津川が合流して、淀川になります。今回、桂川と宇治川が氾濫、下流の淀川を心配しましたが、木津川が警戒水位以下でホッとしました。淀川の決壊は、明治十八(1885)年6月中旬から7月初旬にかけて、雨が降り続き、まず枚方の堤防が決壊して、堤防が各所で次々決壊したのが最後です。堤防の北側は今の鵜殿ー高槻市ー吹田市、決壊した枚方市から毛馬の南側の北河内郡、中河内郡、東成郡に及びました。大阪市内は、大阪城~天王寺間の高台地域を除くほとんどの低地部が水害を受けました。梅田、天満、船場、九条、難波以南が最大13.3尺(約4m)浸水、被災者は約27万人でした。八百八橋とうたわれる大阪の橋は30余りが次々に流失し、市内の交通のほぼ全てが寸断されました。大阪府北河内郡、中河内郡、東成郡(現大阪市東成区)と大阪市街の約15,269町歩(15,142ヘクタール)、当時の大阪府全体の世帯数の約20%にあたる約71,000戸が、家屋流失約1,600戸、家屋損壊約15,000戸の大被害でした。度重なる淀川の洪水は経済活動に大きな影を落とし、この明治18年水害をきっかけに、抜本的な淀川の改修が行われましたが、今回のような異常気候で、今の堤防で対応出来るか心配します。ご家庭で、大阪本場のたこ焼きの味を実現!【送料無料】わなか特製 たこ焼き粉 ミックス粉 【40...価格:2,980円(税込、送料込)【送料無料】だから、日本経済が世界最強というこれだけの理由 [ 三橋貴明 ]価格:980円(税込、送料込)、