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わけのわからない日が続く シカゴ編

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2019.12.19
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滋賀の悪友達よ、これが先日話していた購入した新品の麻雀牌だ。
もう日本では絶対買えない竹と骨で作られた手作りの麻雀牌である。
我々が麻雀を始めた高校時代の70年代後半から麻雀をしているが、竹と骨で作られた正式な麻雀牌牌に初めて触れた。

プラスティック製の麻雀牌で十分やん、高いお金を出して上等な牌を買っても麻雀自体は変わらへんやん!お前はなんでそんなカッコつけるの?

...と昔の悪友達に散々言われたので、少し説明させて欲しいと思ってこの日記を書いた。

私は決してカッコつけているわけではないのだ、いや、逆だ、カッコつけなければならないんだ!

確かに日本なら日本式のプラスティック製の麻雀牌を5000円程度で買えるだろう。
それを買って送ってやるという気持ちは本当に有難いが気持ちだけを受け取っておく。

それでは俺の面子が立たへんねん!

滋賀の友人達が持っている麻雀牌も全て合成樹脂やプラスティック製の物だ。
と言うのも竹と骨で作られた牌は機械で加工することが出来ないので手作業になり、麻雀人口が減った日本では高いお金を出してそういう物を買うものがいなくなったことや手作業で作る職人さんがいなくなったので、日本の全てのメーカーが随分前に合成樹脂やプラスティック製に切り替えたのである。

日本では竹と骨で作られた手作りの麻雀牌はもう買えないが、麻雀のホームタウンである中国は違う。
勿論日本と同様に合成樹脂やプラスティック製がメインになっているのは同じであるが、未だに竹と骨で作られた手作りの麻雀牌が細々く製造されている。
それがアメリカではAmazonでも中国からの輸入品を買えるのだ。

だから私はAmazonでそれを買おうとしたら...ほんと、危ないところであった。
Amazonのようなネットで買えるのは私が調べた限りではアメリカ式の麻雀牌だけなのだ。
日本式の麻雀牌と中国式の麻雀牌は同じだと考えていいが、アメリカ式の麻雀牌は白・發・中がなく、その代りにトランプみたいにJokerがある。

白・發・中が無かったらあかんがな!

Joker牌? なんじゃそりゃ...



アメリカ式麻雀は対面と手牌を交換することができ、随分中国式や日本式とは異なる簡単なものらしい。
だから私は苦労したのだ。

日本の麻雀ルールでさえ簡単ではない。
中国麻雀は日本麻雀とほぼ同じなのだが、日本の麻雀の役は30種類ほどに対し中国式の役は81種類もあり、私が中国式麻雀なんてやったら脳みそから煙が出そうになるので、Gちゃんと麻雀をやる時は役なしの子供ルールでやって貰っている。
日本の”ひらがな”は漢字を簡略化したものであるが、中国式の麻雀をやるのは”ひらがな”を一切使わずにお手本となったオリジナルの漢字を書くようなものに感じる。

そんな頭を滅茶苦茶使うような麻雀ルールでアメリカ人がやれるものでなく、アメリカ版の麻雀かなり単純化され、難しい牌の代りにJokerの様なトランプで使う様な牌があるのだ。
だからアメリカ式麻雀牌セットは日本人や中国人には使えないのである。

結果から言うと、中国人の同僚に相談したらチャイナタウン近くにある店を紹介してくれ、無事に竹と骨で作られた手作りの中国式の新品の麻雀牌を無事に購入することができた。









三週間ほど前のことである。
仕事から帰ってきたら直ぐに嫁さんが私に言ったのは「直ぐに麻雀牌を買ってくれ!」だった。
実はワシントンDC在住の息子夫婦が大晦日にシカゴに遊びに来ることになったので、麻雀牌が必要になったと言う。
ほそみち家にとって息子とGちゃんが来るとなれば麻雀牌は欠かせない。
Amazonで$30や$40程度で買える麻雀牌が幾つかあるのを知っていたが、そういうプラスティック製や合成樹脂製の麻雀牌は絶対に買えないと思った。

と言うのもGちゃんの両親が来年に息子達に会いに来ることになったからだ。
去年7月に息子達が結婚して以来、不幸があったり、お父さんの持病が悪化したりして一年以上も経ってしまっていた。
Gちゃんの両親がシカゴに来た時に我が家で麻雀することを約束しているのであるが、その時にAmazon買った様な$30や$40程度のプラスティック製の麻雀牌は私には出せるわけがないのだ。

中国人家族にとって麻雀と言えば一家に一台あるような国民的ゲームであり、日本人にとったら湯呑茶碗みたいに各家庭に普通に置いてあることをGちゃんから聞いている。
他人の家にお伺いして、お茶を出された時に紙コップやプラスティック製のコップでお茶を出されたらどんな風に感じるだろう。
我々は歓迎されていないのか?この家はその程度のものか?なんて思ってしまうだろう。

第一にAmazonのようなネットで買える麻雀牌には漢字の読めないアメリカ人の為に余計な数字が刻んであるのだ。
日本人の私にはこれが滅茶苦茶恥ずかしい。



日本語と中国語は70%は同じであり、元々文字は中国から伝来したものである。
牌に刻まれた一万、二万の文字は日本人には読める。
”東”はEastだと刻印がなくても判るのだ。

息子がGちゃんの実家に行った時にSkypeでGちゃんの両親とGちゃんの通訳を通して話したのだが、その時に話したことは中国語が話せなくても日本語が話せなくても英語が話せなくとも我々は麻雀で一緒に遊べる!ということでお互いの意見が一致したのだ。
幸いにも中国人と日本人は同じ箸の文化、食事も同じようなもの、一緒に飯を食って麻雀するのに言葉の壁は問題にならないとお互いに話していた。

Gちゃんの父親は私の嫌いな習近平のようにドシっと構えいて、単にニコニコ笑っているのがほとんどであった。
私の様に英語でペラペラ話してGちゃんに通訳してもらうようなことは殆どなかった。
嫁さんが「アンタは年上やのに完全に貫禄負け!」と言われたが、私自身がそれを一番良く判っていた。

中国も日本も麻雀という同じ文化を持っていることを喜んだのに余計な数字や英語が刻印された麻雀牌をGちゃんの父親の前に出せば、笑われてしまうかもしれない。
ひょっとすれば我々が漢字を読めないのではないかと思われかもしれない。
Gちゃんが中国から持って帰ってきた中国の新聞でも日本人の私は半分以上は理解できるのだ。
そういう我々を知ってもらいたい。

高価な麻雀牌は私には買えないが、我が家に来てもらった時にせめて恥ずかしくない正式な麻雀牌だけは出したいと思った。

正式な麻雀牌って何だ?と読者は思うだろう。
アメリカでBone and Bamboo Tilesと呼ばれている品物である。
要するに竹と骨で作られている牌である。
これは麻雀をする者なら誰でも知っているが使ったことのある人は少ないかもしれない。

日本人にとって麻雀はただのゲームかもしれないが、実は中国人にとっては勝ち負け関係なしにそれ以上のものがあるのだ。

Gちゃんの両親が大切に育てた一人娘のGちゃんを私の息子の嫁にやってもいいと判断したのは息子と一緒にやった麻雀からだったと言っても大袈裟ではないのだ。
ご存知の様に中国では長年一人っ子政策を行っていたので、一部の農村地域を除いて子供は一人だけなので子供にかける親の思いは強い。

麻雀は確かにその時の運が良いか悪いかで勝敗が決まるギャンブルであるが、麻雀の打ち方によってその人の性格や頭の良さや人生観までもがよく現れてしまう恐ろしいゲームなのだ。
セコい打ち方やずるい打ち方、その場の雰囲気を理解しない大人の打ち方など、麻雀を打っていると相手の人間性がマトモに現れてしまうのだ。

ほんと、中国人は強かである。

日本なら父親や母親が娘が結婚したいという男の釣書を見て半分以上はそれで判断するかもしれない。

釣書を見て東大出身で三菱商事で働いているのか!いいじゃないか!と思う親は多いと思う。
しかし中国人は...と言っても色んな中国人の民族があるので一概には言えないが、中国人のGちゃんの父親は私の息子がアメリカのどんな大学出身でどんな賞を受賞したかなどの紙の上に書ける事柄はほとんど信用しないらしい。
麻雀だけではないが、一緒に麻雀をし、一緒に食事をし、自分の目で娘の相手を見て判断するのだ。

Gちゃんの父親は英語は片言だし、息子も中国語はニイハオとシェシェぐらいなものだし、息子はどうやってGちゃんの父親とコミュニケーションするのだろう?と不安に思っていたらしいが、Gちゃんの父親が”大丈夫、我が家に遊びにきなさい。一緒に飯を食って麻雀やろう。それで十分!中国語が話せなくても飯は食えるし麻雀もできる!”とGちゃんを通じて言ったそうだ。
だから息子はGちゃんの実家に行くまでにGちゃんから麻雀を随分特訓してもらったのだ。

息子はGちゃんの実家に滞在した一週間、毎晩毎晩違う親戚達の夕食に招待されたらしい。
まぁ、これはGちゃん一族の面接試験の様なもの、箸の持ち方や食べ方、食欲があるかどうかの健康チェックなど、普通に食事をしていても内面では色んなことを審査されていることをうちの社内の中国人の同僚達が教えてくれた。
だから息子には日本人の紳士として振舞う様に何度も言ったのであるが、「お父ちゃん、それは考え過ぎやで。一度是非遊びに来てくれと言ってくれたので行くだけやで!」と呑気なことを言って、穴の開いたGパンを履いてGちゃんの実家に行ってしまった。

Gちゃんの実家の滞在の最終日、Gちゃんの父親はこんな中国の田舎町まで来てくれたことを感謝し、上海で楽しんできなさいと言ってホテル代や食事代の旅費を息子に渡した。
それは息子が大切な一人娘の夫になることを親戚一同が認めたという印であったことを息子は後になって知ることになる。
Gちゃんの両親は大切な一人娘を一生涯貧乏生活を送る研究者の嫁にやることを承知してくれたのだ。

実は中国の内陸部で暮らす人達にとっては北京や上海の大学に進学し、その後に渡米する機会を掴んだら大金持ちになるというイメージがある。
実際にGちゃんの父親の妹さんが現在ニュージャージーで大金持ちになっているし、Gちゃんの母方の叔父さんも北京や上海の超難関大学を卒業し、渡米して学位を取った後に北京に帰ってきてリッチな生活をしている。
息子がGちゃんと北京に遊びに行った時に北京在住の叔父さんが日本でも有名なレストランで北京ダッグを食べさせてくれたり、知らない内にホテル代も払ってもらったりした。

Gちゃんのお父さんの妹さんの夫は北京の大学を卒業後に渡米し、NYのウォールストリートにあったリーマンブラザーズで活躍していた。
ご存知の様にリーマンブラザーズの給料は桁外れに高い。
私の年収の2倍や3倍どころではなかったそうだ。
Gちゃんの叔父さんは何年か毎に中国に帰国する度にベンツが買えるぐらいのお小遣いを親や親戚の者達にあげていたらしい。

リーマンブラザーズを解雇された後でもNYの大手保険会社に転職し、リーマンブラザーズ時代には劣るものの、今でもリッチな生活をしているらしい。
ニュージャージーの豪邸で故郷の中国からNYの大学に留学している親戚の二人の大学生に部屋を与えているだけでなく、経済的にも面倒してあげているらしい。
我が家では自分の息子の毎月の学費ローンの支払いですら大変なのに...

息子の研究が成功し、どこかの有名な公立大学の教授になったとしても年収は平均で12万ドル、普通の米国企業のエンジニアの私の給料よりも低い。
アメリカの大学で教授の給料が一番高いと言われているシカゴ大学の教授でも平均は18万ドルなので、私のバイク仲間でもある先輩エンジニアのGeorgeの年収よりも低い。

政府の研究機関で直接利益につながらない基礎研究なんかをやっていれば民間企業で働く研究者よりも給料が低いのは最初から判っていることなのだ。
うちの会社の様に民間企業では会社の利益にならない研究はやらせてくれないので、研究者にとってはつまらないだろうが給料は高い。

以前の日記に書いたが、息子の先輩女性がボストンの民間研究機関に就職した時の最初の年の年収が12万ドルだった。
息子は政府の研究機関は人類に必要な研究であればその成果が10年先や20年先に出るとしても自分がやりたい研究をやらせてもらえるので、研究者にとっては最高の場所であると言い、息子は民間企業のような高い給料は最初から全く期待していない。
地元で天才児と言われ、期待されていたGちゃんがそんな貧乏科学者に嫁がせてもいいのか?とGちゃんの両親は悩むかもしれないと私は少し心配していた。

しかしそういう心配は全く要らなかった。

中国では昔から難病を治療する薬を発見した研究者達は貧乏人だと決まっているところがあり、そういう偉人達は本人が死んでから高く評価されたというケースが多くあるらしい。
Gちゃんの父親は実家近くにあるそういう偉人の生誕地に連れて行って色々と話してくれたそうだ。
息子が一生涯医療分野の貧乏科学者であってもそれは尊い人間の職業だと考えてくれていたのである。
人間の最大の敵である病気というものに対決してくれる人達は尊い人間だとGちゃんの父親はが言ってくれたので息子は内心ほっとしたらしい。
最近では韓国式の美容整形が中国でも流行っているそうだが、同じ医療分野に携わる者でもそんな仕事でお金持ちになっても家の自慢にならないとGちゃんの父親が言ってくれたそうだ。

そして息子と麻雀をする約束をしたのも息子と麻雀をして娘の結婚相手の頭の良さを見定めようとしたからではなく、どうやらGちゃんの父親には一緒に麻雀をやれない奴に大事な娘をやれるか!みたいなところがあったようだ。
アメリカ育ちの息子がややこしい中国の麻雀をちゃんと覚えてきてくれて、一緒に卓を囲んで麻雀できたことがGちゃんの父親には嬉しかったらしい。
ちゃんと中国人に対して礼を尽くした奴に問題はないと判断したのだ。

その気持ち、嫁さんも私もよく分る。

Gちゃんが最初に我が家にお泊りに来た時にGちゃんが家の中で持ち歩いているノートを見て感動したのだが、Gちゃんには日本語なんて息子との会話でも大学でも仕事場でも全く使う必要がないのに我々親と話をするためだけに日本語を頑張って勉強していたのだ。
Himitsu Secretという感じのものがノート全てのページにびっしり書かれていた。
私はそれに感動して写真を撮らせてくれと言ったのだ。
Gちゃんは今では日常会話なら殆ど日本語を理解できるようになっている。

我々がGちゃんが日本語を覚えて我が家に来たようにGちゃんの父親も息子が麻雀を出来るようになって来てくれたことだけで合格点を貰ったようだ。
嫁さんも私もGちゃんのノートを見ただけで300点をやりたい気分だった。



麻雀というのは中国人なら誰でもしていると私は思っていたが、そうではないのである。
はっきりしたことは私は知らないが戦後の中国では麻雀を含むは全てのギャンブルは長い間禁止されていたらしい。
Gちゃんの父親は生まれた時から麻雀は禁止されていたと言う。
1977年に文化大革命が終結したが、麻雀が許されたのは80年代中盤になってかららしい。

Gちゃんのお爺ちゃんのお爺ちゃんから使い続けられてきた家宝みたいな麻雀牌を取り出してきて大っぴらに麻雀できるようになったのは二十歳代後半だったのだ。
それは70年代後半の高校時代に麻雀を始めた私よりも遅い。

中国人が親戚の者達や友人達を家に招いて一緒に麻雀するというのは我々日本人よりも特別な思いがあるようだ。

Gちゃんは92年生まれなのでそういう経験は全くしていたのだが、Gちゃんの両親は麻雀が上手になれば自然に頭が良くなり、数学や物理の勉強なんか簡単に理解できるようになると言われて麻雀を鍛えられたと言う。

その通りかもしれない。

17歳で授業料免除の特待生待遇で大学に合格したGちゃんは思考回路の原点は麻雀だと言っている。

それは以前の日記にGちゃんと初めて麻雀したことを書いた日記に詳しく書いた。
ほんと、Gちゃんと初めて麻雀した時にぶっ飛んでしまった。
私はこれまでGちゃんの様な天才と会ったことはなかった。
私はボロ負けした。

変な話であるが、中国は恐ろしい... 想像もつかない超人がいると本当に驚いた。

自分で言うのはなんだが、それまでの私の成績から考えると私は決して麻雀は下手な方ではないと信じている。
その私が小娘にコテンパンにやられたのだ。
しかも中国の麻雀ルールは日本のものよりもずっと難しいので、初心者である嫁さんや息子のために役に縛られずに何でもいいから上がれるというルールにしているにも関わらずだ。

問題は麻雀が上手であるとか下手であるとかというものではなく、Gちゃんの麻雀のやり方である。
麻雀は得意だと言った生意気なGちゃんに私は麻雀は下手ではないので本気でかかってくるように言ったからだろう、Gちゃんは最初から本気で私に挑んできたのだ。
詳しいことは以前の日記に書いた通りであるが、簡単に説明しよう。

麻雀をする者なら理解できると思うが、普通は最初に13個の牌を積もってきた時に並べ替えるものである。
麻雀は得意だ!と豪語した私にGちゃんは警戒して、Gちゃんは13個の牌を伏せたままで始めたのだ。

積もった牌はいつも必ず右端に置き、要らない牌は牌をめくって確かめずに直ぐに列の中から抜き出して捨てるのだ。
普通は毎回積もってきた牌を牌の列の中に入れて見やすくしないと自分の手を理解できないものである。
だから一個積もれば積もった牌を牌の列の中に入れて要らない牌を列の中から抜き出して捨てるものである。
しかしそういう動作を対戦相手が記憶していればある程度の相手の待ち牌を絞り込むことができる。
ただしそれにはかなりの記憶力が必須である。

捨て牌を列の中の何処から捨てたかで当たり牌が推測できる可能性が更に高くなるので、Gちゃんは牌を並べかえずに頭の中だけで並べ替えているので対戦相手はそういう推測が全く不可能になるのである。

Gちゃんはフーラ(日本語ではロン)と言った時に全ての牌を表にして皆に見せた時に我々は直ぐにGちゃんの手を理解できないのだ。
Gちゃんが慣れた手つきで牌を並べ替えると確かにその牌で当たっているのである。
Gちゃんが牌を並べ替えるまでは何の役で何の牌で上がったのかは我々には判らなかった。

つまりGちゃんは頭の中で積もった牌を完全にイメージすることが出来ていて、要らない牌が何処に置いてあるかも頭の中で間違えずにイメージしていたのである。
そんな麻雀を打つ奴に生まれて初めて出会った。
文字通りに私はぶっ飛んでしまった。
こんな奴に私が麻雀で勝てるはずがないと私は素直に諦めた。

あの時の麻雀では私は一度だけ上がることができた。
正直に言うとあの時は配牌時点でイーシャンテンだった。

麻雀をやらない者にはこれがどれだけ凄いことであるかのイメージが沸かないと思うが、この技はそう簡単に誰でもできるものではない。
プロの将棋士の映画で将棋盤を使わずに”4・2・歩”と口で言うだけでお互いに将棋盤をイメージして対戦するシーンがあったが、麻雀となると相手全ての捨て牌も記憶する必要があるので更に難しいものである。
幾ら幼い時から麻雀に慣れ親しんでいるとはいえ、本当の本当に頭の良い者にしか出来ない芸当である。

そのGちゃんが父親だけはどうしても麻雀に勝てないと言っているのだから私が逆立ちしてもGちゃんの父親に勝てないことは最初から判っている。
そしてGちゃんの父親も同じだと思うが、私と麻雀をして勝とうと思っているのではないと思う。
中国と日本、麻雀という文化をお互いに持つ者同士がアメリカで麻雀することに意味があると私は信じている。

だから私はGちゃんの父親と麻雀をするときの為にちょっと自慢できるVintageの麻雀牌を買おうとしていたのであるが、そんな無駄なお金を使うなとGちゃんに叱られてしまうのである。
息子とGちゃんは私が余計な物を買おうとするといつも茶々を入れてくるのが腹が立つが、それは嫁さんがいつも彼らにチクっているからである。
嫁さんは私が言うことを聞かなかったらすぐに息子達にチクって叱ってもらおうとする癖があるのだ。

Gちゃんの話によると知人宅に行った時に出された時の麻雀牌の古さや品質によってその家が判断されることがあるようだ。
Gちゃん家には100年以上前に竹と骨で作られた歴史のある麻雀牌があり、大切なお客様が来た時にそれを出して麻雀するらしい。
だから私はGちゃんの両親に敬意を示す意味でもちゃんとしたマトモな麻雀牌だけは揃えておこうと思ったのだが...

麻雀牌に使う骨は4種類ある。
クジラの骨、シカの角の骨、牛の骨、そして一番高価な象牙である。

象牙の牌を買うのは現在ではほとんど不可能だと考えてもよい。
世界的に動物保護の関係で象牙は販売できなくなっているし、特にアメリカではネット販売に載せるのも禁止されている。
日本では規制前に製造された象牙の牌を扱っている店もあるみたいだが、正当な販売ルートだと最低でも20万円はするらしい。

特別な高価な物でない限り、麻雀牌の殆どが牛の骨で作られているのが一般的である。
そして麻雀牌のランクは牌の骨の部分がどれだけあるかによって異なる。
それは100年前からの麻雀牌からそういうランクがあった。
そりゃそうだっただろう、お金持ちでない人でも麻雀牌は必要だ。

竹の部分は年数と共に割れてしまう可能性が高くなり、骨の部分が多い牌ほど長持ちするので高級になる。
下の二つの写真は両方共1920年代に中国からアメリカに輸入された麻雀牌であるが、牌の骨の割合が違う。

中国人の同僚の話を鵜呑みにするわけではないが、牌の骨の部分の割合が竹の部分を超えていれば”勝ち組”と見られることがあるようだ。
牛の骨は中がスカスカなので厚みがなく、牌の厚み分の骨を150個分揃えるのは容易ではないらしい。
確かに骨の部分が厚い麻雀牌セットは薄い物に比べて数倍の高い値段がついている。



骨の割合がどうであれ、骨で作られた牌の製作は手作業しか出来ないので同じデザインに見えても一個一個少しづ違うのだ。
下の写真の竹の絵や鳥の絵を注意してみれば見れば直ぐに判る。
これは私が購入した新品でも同じである。
数字の”2”でさえ、いい加減さが顕著に現れているのだが、こういうのが面白いのである。



以下の写真の麻雀牌が勝ち組でも負け組ではない一般的なものらしい。
ベンツやBMWではなく、スズキの軽でもなく、トヨタのカローラやホンダのシビックみたいなものなのかな。



私はGちゃんの父親と麻雀をする時にカッコつけたくて骨の厚い麻雀牌セットを探していたが、現在ではそういう物を新品で買うのはお金に糸目をつけない限り不可能であることが判った。
と言うより、冒頭で話した様に竹と骨で作られた本家中国版の麻雀牌セット自体を見つけるのが困難なのである。

こうなったら1920年代製の麻雀牌を買おうと本気で考えていた。
と言うのはアメリカに麻雀が伝わったのは1920年代初頭であり、その頃は中国からの輸入しかなかったので中国式麻雀ができる牌が全て揃っているからである。

ご存知の様にアンティーク集めをしている私にはアンティークとしても価値があると考えた。
しかしGちゃんはそんなVintageの麻雀牌を買っても価値はあまりないと言うのだ。

Gちゃんの家にある何代も前から受け継いだ麻雀牌が価値があるのは骨の割合が多い高級な牌だとかそういうものではなく、Gちゃんの家に来てくれた100年来の沢山のお客様がその牌で遊んでくれた時間が麻雀牌の染みとなって歴史を刻んでいるからであり、私がお金を出して100年前のVintageを買ったからってそれが決して麻雀牌の本来の価値になるわけではないと27歳のGちゃんにまで説教されてしまったのだ。
竹と骨で作られた牌だからその牌で遊んだ人達の時間が牌に刻まれていくので、プラスティック製の牌を買わない私の選択は正しいと言ってくれたが...

私もアンティークを何年もやっている者、現在では手に入らない貴重な材質で作られた100年前の物ならそれはそれで高いお金を出して買っても絶対に価値はあると主張した。
しかしGちゃんは”それはmerchandise value(商品価値)でしょ!”と生意気なことを言われたのだが、悔しいがGちゃんの言う通りだと思い、私は凹んでしまった。

その通りなのだ、勿論高級牌は色々あるけれど、その家の家宝になる麻雀牌はお爺さんやその前の者達が同じ麻雀牌で遊んだ歴史が刻まれているのを自慢するものであって、牌の骨の割合が多いか少ないかは二の次のことなのである。
Gちゃんの父親が私の息子に望んだ様に親戚や遠く離れた家族が家に集まってきてくれて一緒に笑って時間を過ごすことに価値があると考えている。
中国は広いので一概には言えないが、中国人にはそういう目に見えないものに価値観を持つことが多い気がする。

決定的だったのは息子からの一言であった。
うちの家は貧乏であることは最初からGちゃんの親が知っているのに今更そんなカッコをつけなくてもいいと...
Gちゃんの親は私が息子の学費ローンを未だにアメリカ政府に返していることは最初から知っていたことであり、自分が高級車に乗るわけでもなく、家が買えるほどのお金を子供の教育につぎ込んだ私を父親として逆に立派だと言ってくれていたらしい。

だから息子はそういう物に高いお金をかけるのは自分が貧乏人であることを反って強調しているものだと...
確かに...私みたいな貧乏人ほどそういう物にお金を使って見栄を張るものなのだ。
嫁さんも息子とGちゃんも麻雀牌を買うならVintageではなく新品だと言われた。

背伸びしなくても自分の背丈に合ったシカゴで買える麻雀牌を買うのが一番だと知らされた。
中国人の同僚が教えてくれた店には竹と骨で作られた中国式の麻雀牌で新品を買えるのはたった一種類しかなく、私はそれを買ったのだ。
牌の骨の割合は想像していたよりもかなり薄かったが、店員の話だと現在の麻雀牌はこれが普通だと言う。
骨太の高級な牌を求めるなら年代物の未使用同然のものが注文できるみたいたが、GibsonかFenderのギターがもう一本買えるぐらいだったので...
購入した麻雀牌セットでも私には決して安くはなかったのに...

でも買った麻雀牌セットは気に入っている。
麻雀牌の箱がギターの指板に使うローズウッド(シタン紫檀)で作られていることもある。
何だか触った時の感覚がギターに似ていているのだ。

それに骨で作られた牌はプラスティック製の様に機械では作れないので手作業で作られたことが判るので面白い。
よく見てみたら”東”でも”南”でも4個並べるとほんの少し違うのだ。
150個ほどある牌を手作業で文字が彫られた牌は私にとっては勿体無いぐらいだと思った。

竹と牛の骨を使って手作業で作られた牌、手にするとプラスティック製の牌には無い温かさがある。
牌のサイドは竹独特のザラザラ感が気持ちが良い。
確かにこの牌だと楽しんだ時間分の使用感が竹や骨の中に染み込んで行くだろう。

何かの縁があって中国で作られた麻雀牌が私の自宅に来てくれた。
私の息子の子供やその子供が私が買った新品を使い続けてくれればGちゃんが言った様にその麻雀牌に本当の価値が生まれてくるのだろうなぁ...

150個ほどある麻雀牌、その内に1個でも失くしたらそれで終わりになる。
プラスティック製の牌なら失った牌を買ってくれば済むことであるが、竹と骨で作られた牌は使用感が付くし、月日と共に渋い色になってくるので失くした牌を新しく買ってきてもそれがどの牌なのか直ぐに判ってしまう。
それじゃゲームとして成り立たないのだ。
100年前に作られた麻雀牌でもそれが未使用であればその価値は当時に買った値段のままだというGちゃん意味が私には分っている積りである。




追加 [12/30/2019]

購入した牛の骨と竹を使用して手作業で作られた新品の麻雀牌を触っていると私はアンティーク魂に火が付いてしまった。
やはり手作業で彫られた麻雀牌はプラスティック製と違って手で触った時に何とも言えない心地よさがあり、魅力を感じるのだ。
私は中国からアメリカに麻雀が伝わった1920年当時の輸入麻雀牌セットをあれから色々と調べていた。

そして私が購入した新品の麻雀牌セットがアメリカに輸出された1920年製のレプリカであることがメーカーのウェブサイトに載っているのを見つけた。
牛の骨(Snow white cattle bone)と優雅な竹(Delicate slabs of bamboo)を使用しているのは同じらしいが、骨の割合が違うことまでは説明していない。

1920年代にアメリカに中国から輸入された麻雀牌セットがどれも高級セットであるのは恐らく当時のアメリカのドルが現在とは比べ物にならないぐらい強かったのだろう。
1920年初期のアメリカの1ドルは中国にとって大きな価値であっただろう。

亡くなった親父が60年代にカリフォルニア大バークリー校に会社からコンピュータの勉強をしに行かせて貰った時は一ドルは360円だったことを親父が話してくれたので覚えている。
私が新婚旅行の為のハワイ旅行を嫁さんと計画していた1985年には1ドルが240円前後だった。
私は1986年に結婚したが、翌年に結婚式をして、新婚旅行はハワイと行く積りをしていたので、嫁さんと二人で旅行会社に行ってハワイ旅行のパンフレットを貰いに行ったのを覚えている。

忘れもしないその年の9月、竹下登大蔵大臣のNYのプラザホテルでのG5の会議により為替レートが変更になったことにより、一年後ぐらいには1ドルが一気に170円前後になるのであるが、私が申し込んだ時の旅行会社の新婚旅行向けのハワイ旅行の値段はあまり変わらなかったと記憶している。
要するに1ドル110円辺りの現在の為替レートから考えると当時はドルで日本の製品が現在の2倍買えたのだ。

私は経済学者でも何でもないので確かなことは言えないが、1920年代当時の中国から輸入された麻雀牌がどれも高級な物であるのはアメリカ人はそんなに高いお金を出さなくてもそういう高級な麻雀牌を買えたのだと思う。

そういうことを色々と調べて判ってくると、オリジナルの1920年製の物を買いたくなったのだ。

ネットオークションで検索していたら、1920年製のオリジナルの中国からの輸入された麻雀牌が他よりも安い値段で出品されたいるのを見つけたのだ。
牌も一つも欠けていなし、骨の割合も半分以上である立派な物であった。
残念なのは牌の左上にアメリカ人でも牌が読めるようにアルファベットや数字の文字が彫ってあるが、これはアメリカに輸入されたものは全てそうなので仕方がないのだ。
それが嫌なら、Amazonやネットオークションで買うのではなく、私が購入した様に、中国人用に特別に輸入された品物を扱っている店に行く必要になる。

12月初旬に出品されていた麻雀牌には$340辺りでは出品されていなかったお買い得品なのだ。
ご存知の様にアメリカでは11月末からクリスマスまでの期間は大セール時期であり、クリスマス後にはギフト用のチョコレートみたいなものは二束三文で売られることになる。
だから私は人々の購買意欲が失せた年末になると麻雀牌の値段も下がるのだろうと思った。





大きな間違いであった。

嫁さんに凄く良い麻雀牌がネットオークションで出品されているので買わせてくれ!と話したら、「アカン!もう買ったやん!」と叱らえたが、以前に狙っていた$1000もする物ではなく、$340だと話したら「まぁ、それなら許したるわ。」と言ってくれた。
これは我が家のちょっとした財産にもなると思った。

私はパソコンの画面に打ち込み始めたのであるが、念の為にその前にGちゃんに見てもらおうと思った。
Gちゃんは30日だというのに研究室で働いていたが、私が送ったそのネットオークションのリンクを見て「オヤジ、その麻雀牌は買ってはいけない。不良品。」という返事が直ぐに届いた。

牌が一つも欠けていないこともちゃんと確認しているし、骨の部分にクラック(ヒビ)がどの牌にも無いことを私は確認している。
不良品であるわけが無いと私はGちゃんに言ったが、Gちゃんは今は仕事中なので、明日にシカゴの自宅に行く為に仕事を終わらせている最中なので、自宅に着いてからちゃんと説明するから絶対にその時まで買うな!というメッセージで終わった。

あーあぁ、Gちゃんに相談しなければ良かった...と思った。

どうせ、そんな物に高いお金を使うのは何とかかんとかと説教されるだけだろうと思った。

そしてその後にGちゃんは研究室からアパートに帰る徒歩の間に短いメッセージを送ってくれた。

なるほど...危ないところであった。
そんな麻雀牌を買えば中国人のGちゃんのお父さんと麻雀する時に恥じをかくところであった。
問題は字が彫られている表面ではなく、裏面であった。

読者は以下の牌の裏面の写真を見て、致命的な不良品であることが判断できるであろうか?

以下の写真の物は私が買おうとした致命的な不良品の麻雀セット。



そして以下の写真の物は$1000以上の値段がついている不良品でない麻雀牌。



そうなんだ、Gちゃんが一発で不良品だと判断したのは竹の模様だったのである。
アメリカでは竹の模様で牌を特定するような能力はないので不良品にはならなかったと思うが、中国人にとっては竹の模様で牌を直ぐに覚えてしまうのでそもそもそういう牌ではゲームが成り立たないのである。
Gちゃんは半荘を二回もやれば竹の模様から多くの牌を覚えてしまうと言われた。

確かにGちゃんが不良品だと言った牌なら私でさえ何個も記憶できると思う。
だから竹の木材の中でも牌に使える部分は限られたところだけなのだ。
1920年当初ではアメリカで麻雀ブームが起こり、アメリカ特有のジョーカー牌を使用する安易なルールまで考案された。
しかし中国人は”アメリカ人には竹の模様で牌を記憶するような芸当は出来ないだろう”と高を括ったのだと私は思う。
返品が当たり前のアメリカ社会でこの麻雀牌が結構使われた形跡があることから、竹の模様が問題になったことはないのだろう。

安い値段でネットオークションに出品さえている物にはちゃんとした理由があったのである。
私は牌が一つも欠けていないことや骨の部分にクラックがなく、5つの引き出しのある格納箱も100年経った物にしてはまだしっかりした物だったので”合格!”と判断したのだが...

明日は息子夫妻がワシントンDCからシカゴの自宅に来るのに...その前日にまたGちゃんに恥じを書いてしもた!

カッコ悪いオッサンである。





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最終更新日  2019.12.31 15:17:14
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