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たまたまイギリス支店のDavidが二日前にFacebookに投稿した広島の原爆の写真に目が止まった。
私の周りにはDavidという者が何人もいるのであるが、以下の記事を投稿したのがイギリス人のDavid、そして最初にコメントを書いたのがアメリカ人のDavidである。 両方のDavidとも何年にも渡り一緒に仕事をしている。 特にアメリカ人のDavidは61歳でリタイアする2年前までは二十年間一緒に仕事をしてきた仲である。 そのアメリカ人のDavidが書いた一言のコメントに私はカチンを来て、直ぐに機関銃の様にバタバタとキーボードを叩いて反論を書き、投稿した。 そしたらイギリス人のDavidからハートマークのイイネを貰った。 グローバル企業で働いていると色んな国の人々と話が出来るのでこの二十数年間で随分社会勉強をさせてもらった。 同じDavidという名前でもイギリス人とアメリカ人では考え方が違うのが面白い。 私は日本人が誰もいない米国企業で働いているが、この二十数年間、8月6日の広島原爆投下の日と8月9日の長崎の原爆投下の日だけは出来るだけ仕事をサボってやらないようにしてきた。 そんなことをしても全くの無駄であるのだが、米国企業で働く日本人の私としては自己満足としての無駄な抗議活動を自分の中だけでやっている。 今までに同僚達が私に依頼した仕事をその日に終わらかったことに対して、何か理由があったのかと聞いてきた奴もいたが、私は広島に原爆投下された日に働く気分にはならなかったとハッキリ言ってもそれ以上言葉を返してきた奴は誰一人いなかった。 アメリカ人のDavidが書いた一言のコメントに私はカチンときた理由はデトロイトを広島原爆に関してのコメントに書いたことである。 これはアメリカ人のDavidが皮肉のジュークなのは十分に分かっている。 Daveには二十数年間散々世話になっており、日本人を差別するような奴ではないこともよーく判っているので、直接に彼のコメントに反論するのではなく、それとなく判る形で反論した。 確かにデトロイトを広島以上とは誓う形に壊滅状態にさせたのは日本の車のメーカー達であるのは事実である。 それは7年前の日記に詳しく書いた。 デトロイト支店からシカゴ本社に来ていた社員から街の状況を聞いて、日本では考えられない廃墟の街となっていることに私は驚いた。 デトロイト市が破産宣告し、街は廃墟化になったのは第二次世界大戦で広島や長崎やに原爆を落とした飛行機を製造していたデトロイトを日本人は60年かけて仕返しをしたとニュースやネットに書かれたものだった。 原爆で一瞬で広島市の市民の10万人以上の人が殺され、長崎市民の7万人以上が殺された。 しかしデトロイト市が破産に追い込まれたことでそれ以上のデトロイト市が間接的に亡くなっていることも事実である。 詳しいことはモータウンを廃墟にさせた日本人 [2013年8月31日投稿]を読んでほしい。 町が破綻すると警察職員も消防署職員も大幅にリストラされた。 警察職員が減ったことから街の治安が悪くなり、ギャング同士の抗争や薬物関係で殺された人は急激に増えた。 うちのデトロイト支店の者が飲み屋さんでの喧嘩で人が殺され、警察に通報しても警察が来るのは数日後なんて日本人の私には信じられない 救急車が来てくれないので何でもない交通事故で亡くなった人達は無数にいるらしい。 まぁ学者さんが何処からかの統計で広島や長崎の原爆で亡くなった人達よりもデトロイト市で亡くなった人の方が多いというのも眉唾ものだと私は思うが、実際にそこに住んでいる者の話を直接に聞くとそういう数字もまんざら嘘ではないことが判る。 それは経済戦争で車の聖地であるデトロイトが日本に負けたからであり、原爆という人間がどんな戦争でも絶対に使ってはいけない武器を使った戦争とは違うのだ。 あの時に日本が戦争で負けるのはどの歴史家が見ても明らかであり、原爆を使用する理由は何もなかったのだ。 アメリカとしては原爆によって早く戦争を終わらせることができたと言うだけでなく、戦争を早く終わらせたことにより日本兵の多くの命を救ってやった爆弾として崇められている。 ぶざけんじゃねぇぞ!と言いたいが、戦争で負けた日本にはそれを言う資格がない。 それが戦争というものだ。 勝てば官軍負ければ賊軍であるのは世界の常識であることは日本史を見ても同じである。 ただ一つだけ言いたいのはアメリカは日本人を人体実験に使ったことである。 長崎原爆はプルトニウムを使った爆弾であり、広島に投下された原爆はウランが使用されていた。 この事実は有色人種なら爆弾の人体実験をしてもいいという白人の人種差別が根底にあるからである。 更に言えば、広島と長崎に原爆を投下したのはソ連に対しての最新兵器のデモンストレーションだったのだ。 それをすることでアメリカはソ連に威圧感を与える目的があったことは多くの世界の学者達が指摘している。 私がFacebookのコメントに書いたように被爆二世達の健康被害に関しては私は専門家でもないので言及は避けるが、広島大学の原爆研究グループの長期調査結果報告では被爆二世の白血病発症率は特に両親ともに被爆者の場合に高くなる遺伝的影響があると結論づけられているという事実だけは言っておく。 第一に”被爆二世”なんて言われていることだけでも広島と長崎の原爆はまだ完全に片が付いていないことを示しているものだと私は思う。 お前、米国企業のために働いている者がよくそんなことを言えるな!とこのブログの読者達は思うかもしれない。 その通りである。 そんなことを言える資格は私には無い。 ただ私はこの二十数年間、8月6日の広島原爆投下の日と8月9日の長崎の原爆投下の日だけは出来るだけ仕事をサボってやらないようにしてきただけの情けない男である。 アメリカ人は飲み会などで宗教や政治の話は殴り合いの喧嘩に発展することが’あるので避けるのが一般的になるが、二十数年間一緒に働いているとあえてそういうタブーな話をすることがある。 それが私にはとても良い社会勉強になった。 どの国の人がどんなことを考えているかという現実を知ることが出来るからである。 親しいベトナム人の同僚からは「日本は広島や長崎の仕返しをいつアメリカにするのだ?」と真面目に訊いてきたことも面白かった。 アメリカ人達が一番に私の言っていることにいつも矛盾を指摘されるのはこれだ。 「ほそみち、お前がそこまで原爆が卑怯な兵器だったと主張するならなぜ日本はNuclear Non‐Proliferation Treaty(核拡散防止条約)に一貫して反対しているのだ?」 その通りなのだ。 それを言われると反論の仕様がない。 実は私も核拡散防止条約に合意するのは残念ながら反対せざるを得ないと思っている。 ぶっちゃた話、アメリカの核の傘に入らないと日本は世界で生きていけないことは明らかなことだからだ。 隣の住人が拳銃を持っていたなら自分の家にも拳銃を置いておかなければ安全ではないからだ。 その拳銃を使うかどうかは別問題としても家に拳銃を置いていることを隣の住人が知ることにより、隣の住人が拳銃を使うことの抑止力になり、結果的に平和な状態を維持できることは広島・長崎の原爆投下依頼の世界の歴史が現実にそれを語っている。 しょっちゅう戦争をしているアメリカと違って日本は戦後75年間一度も戦争をしていないのは日本が偉いのではなく、アメリカの核の傘に入っているからであるのは新聞を読んでいるものなら誰でも判っている事実である。 〇〇党の政治家さんの言う通りにアメリカの核の傘から抜けだしてしまえばあっという間に尖閣諸島や竹島も取られてしまうことは言うまでもないだろう。 アメリカの核の傘がなければ北朝鮮に拉致された人は一人も帰ってこなかったかもしれない。 残念ながら国際政治というものは武力を伴わないと発言力は無力に等しいことは人類史が始まったからのどの時代を見ても証明しているものである。 例えば北朝鮮にしても核開発が成功していなければアメリカ合衆国の大統領が小さな小さなアジアの国の元首と二度も合うことはなかったことからしてもそれを証明している。 ベトナム人の同僚は西沙諸島に進出してきた中国によってベトナム人が遠い古の時代から漁業を営んできた領域を奪われてしまい、カンカンに起こっている。 中国の南シナ海への進出によって周辺の国の領土が事実上奪われている事実に日本人は危機感を持っていない人があまりにも多すぎる気がする。 それは私が普段ベトナム人の同僚やフィリピン人の同僚達といつも話をしているからだろうか? おっと、政治的な話はしないでおこうと決めていたのに...ついつい書いてしまったではないか。 まぁ気が重い話はこのぐらいにして、オリーブオイルの話をしてみたい。 この土曜日もバイク日和だったのでいつものウィスコンシンへのバイクツーリングの帰りに嫁さんのお気に入りのロンググローブのオリーブオイル店で三種類のオリーブオイルを買ってきた。 前回のスタンダードのガーリックのオリーブオイルも美味しかったので、もっと美味しいオリーブオイルがあるのではないかと嫁さんも私も期待しているのだ。 と言ってもコロナウイルスの規則で店内ではマスク着用が義務付けられているためにテイストができない。 だから店員さんに何か美味しいのない?って相談するしかないのだ。 まぁ私も美人姉妹の店員さんと話すのも楽しみにしていたのだが... 店員さんがそれなら試用の小瓶があるので幾つかのオリーブオイルを買って帰ったらどうかとアドバイスしてくれた。 前回はスタンダードなガーリックだったので少しピリ辛のSpicyなものとロースト版、それに店で一番の人気だと話してくれたTuscan Herbにした。 今回Spicy版とRoast版の小瓶は売り切れだったのでお姉さんの方の店員さんが倉庫の樽から瓶に入れてきてもらった。 私は知らなかったのだが、嫁さんによるとトスカーナのハーブオリーブオイルはイタリアの有名なものらしく、シーフードに合うらしいのだが、嫁さんはパンに付けて食べるのでそれが合うかどうかは賭けだった。 ガーリックのオリーブオイルはパンによく合った。 それがあればバターを付けるのも惜しいと思った。 結果は前回のも含め、トスカーナのハーブオリーブオイルが一番美味しかった。 私は味もそうだが、ハーブの良い香りの方が印象的だった。 ガーリックのガツンとした味もいいのだが、このハーブオイルの方が何だか贅沢な気分になるのだ。 繰り返すが、匂いが良い! 最後にこの写真を掲載しておく。 日本ではアパートやマンションではない限り、一軒家では郵便は家にある郵便受けに配達してくれるが、アメリカではそうではない。 少し田舎町に行くと以下の写真の様に街にある一か所の郵便ポストが並べてある場所に取りに行く。 それは街の中の人達が誰も他の人の郵便物を覗かないし、盗らないという信頼の上で成り立っているものだ。 車でもう30分ほど走った更に田舎町では街の中心街にある郵便局に取りに行くことになる。 ※追記 [8/10/2020] ”くろねこの母さん”への返答コメントが長くなりそうなので、ここに追記することにした。 くろねこの母さんのお父さんが原爆の光を見たというのは...運が悪ければ”くろねこの母さん”がこの世に存在しなかったことになるので恐ろしい話である。 アメリカ人の同僚達と第二次世界大戦のことを飲み屋さんなどで話すと堂々巡りになるのは仕方がないことである。 私が広島・長崎を持ち出せば彼らは真珠湾攻撃を持ち出す。 アメリカ大使館に勤務していた外務省の不真面目な職員達が日本とアメリカが戦争するかしかないのギリギリの線で葛藤していた頃に奴らは同僚の送別会で飲み会を開いていたのだ。 だから東京からアメリカ大使館に宣戦布告の電文が届いていたのにそれに気付かなかったことから日本は奇襲攻撃をした卑怯な民族とアメリカではとらえている。 東京本部としてはちゃんと戦争の手順を踏んでいるにも関わらず、外務省の不真面目な職員によって一番卑怯な国民にされてしまったのだ。 まぁアメリカにとっては寝起きにいきなり爆弾を落とされたことは事実であり、それによって米軍艦6隻が沈没し、約2400人のアメリカ兵士が殺されたことも事実である。 礼儀を重んじる日本国民が馬鹿な外務省の職員のお陰で世界で飛んでもない目に遭ったのだ。 どこかの政治家が言ったが、私も外務省は解体すべきであると思っている。 911のNY同時テロの時も日本人の旅行者やアメリカ在住の日本人達が日本に帰れなくなったりしてパスポート発行や様々な用件で日本大使館だけが頼りだったのだが、なんと、日本大使館の職員連中はそういうややこしい仕事をしたくないので、大使館の目印である日本の国旗を降ろして隠したのだ。 あの時は特にNYの旅行者やNY在住の日本人は大変な目に遭ったことが記憶に新しい。 海外で困った時に駆けつけるのはどの国でも大使館なのだ。 まぁ海外で暮らしたことがある人は何度かは大使館や領事館に行っているのでご存知だと思うが、彼ら職員の横暴な態度に腹が立たない人がいるなら教えてほしいぐらいである。 お前ら、パスポートを更新したいんだろ?みたいな態度で来られる。 まぁ、それは横に置いておく。 原爆という卑怯な武器を使いやがって!と言っても、宣戦布告無しの奇襲攻撃をやりやがって!という砂の掛け合いになる。 映画「戦場にかける橋」で詳しく描写されているが、日本軍は捕虜協定に従わずに捕虜になったアメリカ兵やイギリス兵のクビをはねていたことも事実である。 お互い様とは私は認めたくないが、アメリカも日本にしても一部の財閥がお金儲けの為に戦争を始め、犠牲になったのは一般国民であることはどちらの国でも同じなのだ。 原爆を落とされるぐらいなら日本国民は石油を止められても山に芝刈りに行って暖炉で温かさを確保するだろう。 石油を止められて工業製品が製造できなくなったとしても大袈裟に言えば日本国民は江戸時代に戻るだけであり、それなりに十分に幸せに暮らせることは出来たのだ! キューバなんか今でもそうだが、人々は幸せに暮らしているではないか。 そして何と言っても第二次世界大戦を体験した人達はアメリカでも日本でも極僅かの人達になっているので、世代が違う人達に75年前の広島や長崎の原爆のことを言っても仕方がない面がある。 うちの会社の駐車場を見てみても殆どがTOYOTAやHONDAの日本車であることからみても75年前の戦争のことを同僚達との飲み会で持ち出すものではないことは私もよく判っているのであるが... これは私が日本人だからであるが、戦争の話をするとカチンとくることがある。 日本人にとって”この前の戦争”と言えば第二次世界大戦のことであるが、アメリカ人にとってはどの戦争?ベトナム戦争?みたいな感じになるのがカチンとくるのである。 実は私が渡米した1990年代後半の時期もアメリカは戦争中だったし、現在もアメリカは戦争中であることをご存知だろうか? 以前に調べてみたのだが、私がシカゴで暮らし始めてから7つの戦争があり、その内の3つは今でも続いていることは読者もニュースでご存知だろう。 1. コソボ紛争(1998–1999) 2. アフガニスタン紛争(2001–2014) 3. イラク戦争(2003–2011) 4. ワジリスタン紛争(2004–現在) 5. リビア内戦(2011) 6. 対ISIL戦争 (2014––現在) イラク内戦やシリア内戦など... 7. アフガニスタン紛争(2015–現在) 私のブログの古くからの読者は御存じだと思うが、米国企業の大手はミリタリー枠という就職枠があり、国に命を賭けてイラク戦争などを戦った兵士が民間企業に優先的に採用される。 命を賭けて戦争に行った者達は少々いい加減な仕事をしていても滅多にリストラされることはない。 もし予備兵をして登録されている者達は法律により、民間企業は解雇できない。 戦争によって顔や腕にナイフの傷を受けた社員達と一緒に仕事をしているとアメリカは戦争中なんだという実感が沸いてくる。 そして地雷などで死んだ仲間の兵士の話を聞くとまるで映画の話をしているではないかいう感覚になる。 私がアンティークを集め始めたのは第二次世界大戦前後の新聞である。 というのはシカゴで働き出して戦争の話を同僚達とするとあまりにも日本人とのギャップが大き過ぎるからである。 第二次世界大戦と言えば日本国民全員がどれだけ酷い生活を強いらえて戦争をしていたことかはNHKの連ドラ「カーネーション」を始め星の数だけあるが、アメリカ人の同僚達の感覚はそう言えば70年ほど前に日本と戦争したなぁ...みたいな感じであり、私と同年代の同僚でも親達が日本との戦争でそんなに生活が苦しくなった話は聞いていないと言うのである。 私と同世代の親なら第二次世界大戦を経験しているのであるが... あまりにも日本人私ととアメリカ人の同僚達との第二次世界大戦の感覚のギャップが大きかったので私は第二次世界大戦前後の新聞を古書専門のアンティーク店で買い漁ったのだ。 私は幾つかの新聞を読んで本当に驚いた。 ぶったまげた。 これマジで... 新聞の記事もそうだったが、新聞に記載されている広告には私は声を出して驚いた。 詳しくは2014年10月29日に投稿した 真珠湾攻撃の翌日のシカゴの新聞の見出しは「JAPS ATTACK U.S」だった。 を読んで欲しい。 東京大空襲があった日にシカゴのダウンタウンではファッションショーが開催されていたのである。 私はElk Grove Village市に去年まで住んでいたが、現在でも存在する大きな靴屋さんが職人さんを募集しているし、その町では毛皮のバーゲンセールもあったのだ。 ある新聞の記事ではアイスホッケーの試合でシカゴ・ブラックホークスの選手がルール違反をしたことが写真判定でハッキリし、チャンピオンシップの番狂わせが起こったことが大きな記事になっており、日本との戦争の記事は何頁目の紙面の半分ぐらいに収まっていた。 ちょっと待てよ!っとその時に私は一人で突っ込んでしまった。 東京大空襲、1945年3月10日の夜、10万人以上の日本人がアメリカの戦闘機から投下された爆弾によって焼き殺されたというのにシカゴのダウンタウンではファッションモデルのオーディションの告知の広告を見た時は文字通り私はひっくり返ってしまった。 これじゃ私と同世代の同僚の親達も日本との戦争のことをあまり覚えていないのも当然だと理解した。 でもそれは私がシカゴで働き出してからもアメリカは戦争中であり、アメリカ兵はアフガニスタン戦争やイラク戦争で殺されていたにも関わらず、私は夜中にギターを持ってブルースバーに通っていた。 ニュースを聞くとアメリカは戦争中であることを思い出すが、普段はアメリカが戦争しているなんて全く感じないものである。 広島・長崎で使用された原爆の人体への影響のことを考えるとFacebookに書いた様に人類が使うものではないと思うが、911のNY同時テロをやられたアメリカはアフガニスタン戦争やイラク戦争で劣化ウラン弾を容赦なく使用している。 劣化ウラン弾は爆発力が強力であり、破壊力とコストのコスパを考えればそうなってしまうのだろう。 ご存知の様にウラン弾のデカい奴を広島で使用されたものであり、アフガニスタンやイラクで沢山の奇形児が生まれていることを記事にしたのは私の知る限り大手のメディアでは産経新聞系の雑誌だけである。 世界で唯一の被爆国である日本のマスコミこそがそれを取り上げて世界に発信する役目があると私は思っているが、何しろ日本はアメリカの核の傘で助かっているのだからそんなことが絶対に出来るわけがない事情も私は理解しているのが悔しい。 私は100年前に製造されたコカコーラのグラスや瓶を集めているのはこのブログで何度も書いているので読者も覚えてくれていると思うが、私のアンティークの基本は第二次世界大戦時の新聞である。 これはアメリカという国民を理解する生のデータとして凄く良い第一級の資料になる。 日本では1945年8月15日に天皇の玉音放送を聞いて日本人全員がひっくり返っている時にシカゴの人達は何をしていたのかをアンティーク店で買った新聞を読むと私は口が開いたまま言葉にならない記事があった。 シカゴの新聞に掲載されている4コマ漫画では日本との戦争に反対する皮肉のジョークが堂々と掲載されていたりする。 こんなことを日本で行ったら憲兵隊に逮捕されて刑務所に入れられただろう。 さすがに民主主義の国、アメリカだと感心した。 面白いと言ったら誤解されるかもしれないが、私がアンティーク店に入ると先ず戦前戦中戦後の新聞を漁るのは歴史的な観点からも面白いからである。 人類歴史上初めて臨界に達した最初の原子炉はシカゴ・パイル1号と呼ばれ、私がよく行っていたシカゴダウンタウンのサウス地区にあるブルースバーから車で10分ほど行ったシカゴ大学のフットボール競技場の観客席下に秘密裡に建造された。 これが広島・長崎に投下される原爆のマンハッタン計画に繋がっていく。 原発は安全な電力施設だと日本でもアメリカでも言われていた。 我々日本人は震災による福島原発の問題が起こるまでは何となくそんな風に思っていたと思う。 あの震災から時々TVの討論会でよく言われるのが”そんなに安全な原発ならなぜ東京や大阪に作らないのか?”という問題である。 一般人を見下す官僚達のその回答がどれだけ計算されたものであっても原発事故発生時に東京や大阪の都市部の住人が被害が及ばない福島や福井といった地方に建設した理由は誤魔化せるものではない。 しかしシガゴの住人は違う。 電力を多く使うのは都市部であり、原発が安全な電力施設ならシカゴ周辺に原発を建設した方が送電による電力のロスも少なくて済むと考えるのである。 日本の様に原発を受け入れてくれた地方に交付金をばら撒き、地方の人達だけにリスクを負わせることはしていない。 この地図を見てほしい。 シカゴの中心から少し離れた所に原発がある。 私の日記で時々オーロラにあるOUTLETのショッピングモールが登場するが、原発はもう少し南に行ったところにある。 福島の原発事故と同様な事故がシカゴの原発で起これば、シカゴダウンタウンの街もシカゴ郊外に住む我が家も完全にOUTである。 私もこんなに身近に原発があるなんてことはシカゴで暮らし始めてから随分後に知ったことだ。 我が家からシカゴのダウンタウンまでは車で40分ぐらいで行けるので、シカゴのダウンタウンから原発まで同じぐらいの時間で行けると思う。 東日本大震災のあの津波の映像は全世界で放映されたし、勿論私の同僚達も何度も見て驚き、私の所にきて目の前でネットで義援金を$100単位のお金を振り込んでくれた。 それは日本人の私に対する敬意の現れであり、それをわざわざ私の目の前でやるのはアメリカ人らしいカッコの付け方であることを勘弁してやってほしい。 そして彼らは不思議だと言うのである。 ニュース番組やネットの動画を観た限りでは原発が何基もある地域にはそれだけの電力を使うだけの用途がないのではないかと言うのである。 確かに配信された映像では漁業の町だったり農業地帯であり、あれだけの原発を稼働させて電力を供給しなければならない大きな工場群も都市も無い。 日本人の私はそういう危険な施設は地方にお金を給付し、地方の人々にリスクを背負ってもらっているとは言えなかった。 東京周辺には原発を建てられるだけの十分な土地がないと誤魔化していた。 シカゴのダウンタウンの目と鼻の先に大きな原発があり、大量に電力を消費する都市の住人達はそういうリスクもキチンと負っているアメリカ人に日本人の卑怯な部分を知られたくなかった。 私もズルいのである。 第二次世界大戦の日本軍の戦略を考えてみても弱者の国民を犠牲にしていくやり方が原発建設にも受け継がれていると私は考えてしまう。 ゼロ戦は世界で一番早く走行し、世界で一番機能性に優れた戦闘機であったことは間違いないが、それは日本人エンジニアが優秀であったわけではなく、アメリカ人エンジニアがそんな非人道的な戦闘機を作れなかったことが後々になって我々も著書などで日本人の零戦神話の真実を知るようになるのである。 ゼロ戦は機能性を重視するために機体を出来るだけ薄い金属で作ったのであるが、それは一発銃弾を食らえば簡単に空中分解してしまうお粗末な戦闘機だったのだ。 アメリカ人エンジニアは戦闘機の空中戦で優れている零戦と同様の機能性を求められたが、一発銃弾を食らえば即死になるような戦闘機はどうしても設計することが出来なかっただけなのだ。 早い話が、人の命を軽く考えた戦略なら恐ろしい殺人兵器を作れてしまうということだ。 しかし日本人には日本人の素晴らしいところもある。 戦後の日本国民が非常に貧しかった時代でも日本政府が力を入れたのが子供の教育である。 食うものや着るものはなかったが、子供達はちゃんと学校には通わすことができた。 デトロイトは日本の車のメーカーに経済戦争でコテンパンにやられてしまい、破綻した。 警察官や消防署職員などを大幅にリストラしたばかりではなく、学校の先生達も大幅にリストラしてしまった。 その結果デトロイトではあの当時は高校生の内の5人に1人だけが無事に卒業するという事態になってしまった。 戦後間もない日本では家が焼かれても食うものに困っていてもほとんどの日本国民は子供達を学校へ行かせた。 それは官僚が偉いのではなく、一般の日本国民が素晴らしかったのである。 だから戦後20年で世界一速い列車である新幹線を持てたのである。 同僚が初めて東京支店や大阪支店に出張した時に世界で一番早い新幹線が全く時間通りに15分置きにプラットフォームに来ることに皆感動するのである。 それはアメリカやヨーロッパの国々では絶対に見られない光景である。 日本人はほそみちの様に素晴らしいエンジニア達がいるのだろうと褒めてくれたようであったが、私はその言葉にカチンきて反論した。 あれだけ早く走る新幹線が時間通りに15分置きに来るのは駅員さんなどの縁の下の力持ち達が真面目に一生懸命に働いているからだと説明したやった。 例えば新幹線の全ての車両を非常に短期間でまるでアスリートの様に掃除をするオバサン達がいなければ新幹線を時間通りに15分置きに走らせることは出来ないことを話してやった。 I totally agree with you!(その通りだ!)と彼は言った。 東京支店から大阪支店に向かう為に東京駅から新幹線に乗った時に出発待ちで止まっていた新幹線の車両を掃除するオバサン達を見たらしのだが、無駄のないしなやかな素早い動作に彼はずっと見ていて飽きなかったと言う。 〇〇重工の東大出身のエリートが開発した新幹線が素晴らしいのではなく、車両を掃除するオバサン達の様な多くの底辺で働いている者達の勤勉さや真面目さの積み重ねが新幹線を時間通りに走らせているのである。 私の技術は現場の工場のオペレーターのオッチャンやオバチャンに叱られながら磨いてきたものなので、底辺からトップまでのことが理解できることが私の強みである。 シカゴの研究開発部で働き出してからは滅多にユーザー訪問はしなくなったが、それでも今年の初めの様にうちの会社のオランダ工場の現場に行って作業することは何年かに一度はある。 机の上のキーボードを叩いてばかりいるエリートエンジニアには私の仕事を引き継ぐことは出来ないのである。 還暦前になって分かってきたことであるが、若い頃に京大出身の後輩に先を越されて悔しく思いをしていたことが結果的には現場での自分の技術を磨くことが出来たので、それが現在の会社で非常に役立っていることに気付いた。 オランダ工場でもシカゴの工場であっても現場の人達の気持ちが理解できることは大きな人生勉強にもなっているのだ。 今年の年末には日本に帰国する積りであるが、人種の坩堝と言われてるアメリカで働くことが出来たお陰で生のアメリカ人の考えが少しは理解できるようになったと思う。 日本で幾ら本を読んでも絶対に知り得なかったことが沢山ある。 そして更にグローバル企業で働いていたことにより色んな国の人達と一緒に働くことができた。 アメリカでもマツダの2人乗りのオープンスポーツカーのロードスターは根強い人気がある。 アメリカではMazda MX-5 Miataと呼ばれている車であり、うちの会社の駐車場でもちらほら見かける。 私は会社の駐車場でたまたまMazda MX-5 Miataの隣に私の車を停めたことがキッカケでその車の持ち主と帰宅時に少しだけ話したことがある。 マツダという車のメーカーは日本でも有名なのか?と訊いてきたので、私はマツダ社は広島の原爆によって焼野原になった広島市民達が必死で働いて作った車のメーカーだと話してあげたらそいつは驚いていた。 TOYOTAやHONDAなどの車と違ってマツダ車のロードスターは正しくFun to driveの車であり、大好きな車だと言うのだ。 休日にMazda MX-5のオープンカーを飛ばすのが快感だと力説していた。 私も彼もそうであったが、あの時から75年後には広島市民が作った車をアメリカ人が好んで購入し、広島市民がアメリカ人に車を運転する楽しみを与えることになるとは... そういう時代なのである。 広島に縁がある”くろねこの母”さんにはこの話を伝えたかったのだが、余計なことを書き過ぎたような気がする。 申し訳ない。 ※追記 [8/10/2020] ”くろねこの母さん”やこのブログの読者に話したいことがもうひとつあったので、もう一度追記することにした。 同僚のBrianとは社内のジャズ仲間、彼は私と違って毎週シカゴダウンタウンのジャズバーなどでウッドベースを弾いている。 ジャズの腕はプロである。 私と違ってお金を貰える演奏をしている。 本業はうちの会社の研修トレーナーの親分であり、うちの会社のエンジニアやサービス、そしてユーザー達の研修の全ての責任を背負っている。 勿論マネージャーなので研修のトレーナー達を管理する立場でもある。 要するに会社の偉いさんでもある。 彼はミリタリー枠でうちの会社に入ってきた。 ミリタリー枠を日本の会社に置き換えると自衛隊出身者の特別待遇入社というものだろう。 私の以前の日記に度々登場したA君みたいな飛んでもない馬鹿がいるが、ミリタリー枠で入社してきた者達の多くはBrianの様な優秀な者である。 私はミリタリー枠で入社してきた者がなぜ優秀な奴が多いのか疑問を持っていたことがあるが、それはBrianとジャズの相手をしてもらった時によく理解できた。 アメリカでミリタリーに応募する者達を大きく別けると二種類になる。 メキシカンや外国人がアメリカのグリーンカード(永住権)を取得したい者達と学費や就職面でミリタリーから援助を受けたいものである。 勿論純粋に国の為に命を賭けて働きたいという者もいるが、上記の二つのタイプが大半を占めると言っていいそうだ。 Brianは中学時代に父親を亡くしており、シングルマザーで育てられた。 姉が二人いてBrianは末っ子である。 勉強が出来たBrianは大学へ行きたくても大学へ行くお金は家にはなかった。 シングルマザーが公立大学大学でも年間の授業料が三万ドルもかかるので、4年間で12万ドルもかかってしまう大学に子供達3人を行かせることはできないのは言うまでもないだろう。 アメリカではそういう若者達はミリタリーに入る者が多い。 何年間かミリタリーで働くと政府が大学費用を負担してくれるのである。 しかもアメリカでは命を賭けて国を守ってくれた者達を雇うのは名誉なことであり、民間企業も喜んで受け入れてくれる。 ミリタリーで何年も働いているので仕事の能力も実証されているし... 勿論1年や2年で辞めた中途半端な者はダメだが。 ミリタリーで十分な貢献をしたBrianはシカゴの有名な私立大学に無料で行けることになった。 アメリカの私立大学の入学試験ではセンター試験の成績だけでなく、国に命を賭けて貢献した若者をWelcomeするのは民間企業と同じである。 アメリカの私立大学となると現在では年間の授業料は6万ドルなので4年間で24万ドルにもなる。 Brianはミリタリーに入ったことによって、学歴も就職も手に入れられたのであるが、それは自分の命を何年も賭けて戦場で働いてきたことへの報いである。 そういう目的でミリタリーに入る若者は多いが、政府から除隊後の生活を保障してもらうまで務め上げるのは並大抵なものではなく、単にミリタリーに入ったからといってその後の生活が保障されるものではないと言う。 Brianの話を聞いて泣きそうになったのだ。 Brianの母親がミリタリーに入るBrianに何度も泣いて謝るのである、お母さんが学費を出してやれなかったのでお前がミリタリーに入ることになったと... Brianも私の息子とよく似ており、典型的なマザコンなので、母親を心配させることは絶対にしたくなかったのだが、勉強が出来たBrianはどうしても大学へ行きたかったのでそれだけは母親に認めさせたと言う。 Brianはミリタリーの守秘義務から何処へ派遣され、どんなことをしていたのかの詳しい話はしてくれなかったが、ミリタリーから私立大学の推薦状を書いてもらい、全て授業料を政府が負担したことを考えれば、彼はミリタリーでかなり貢献したことが推測される。 そりゃ自分の命を賭けて掴んだ大学への道なので、必死に勉強するだろう。 米国企業では求人の応募時には大学の成績証明書を添付するのであるが、人事部にいるバイク仲間の話ではミリタリー枠で入社してくる者達の大学のGPA(成績)は普通の者達よりも遥かに高い。 やはりどんなことであっても自分の命を賭けて何かをやった人は強い。 私の大学時代のことを振り返ると恥ずかくなってくる。 Brianは大学の成績がほとんどAで卒業したので相当に苦労しただろうと言うと、ミリタリーで仕事していた頃と比べれて大学で勉強するのは苦労でも何でもなかったと言う。 冷房の効いた図書館で好きだけ本が読めるなんて最高の時間だったらしい。 ただし...ミリタリー推薦枠で入社してくる者達の中にはA君のようなどうしようもない馬鹿が若干含まれており、優秀な人材を提供してくれる代りにそういう役立たずも面倒みなければならないという裏事情もそのバイク仲間から聞いている。 A君なんか今までに30回ほどクビになってもおかしくないほどのチョンボをし、私を含め皆に迷惑かけているが、クビにならないのはそういう大人の事情もあるのだ。 しかし今回のコロナウイルス騒ぎでA君は彼のプライドを見せてくれた。 ご存知の様に現在でもアメリカは感染者が増え続けており、イリノイ州だけでも約200万人、毎日1000人以上のイリノイ州の住人が感染している。 因みに昨日の感染者数は前日より少し減って1315人になった。 シカゴは大阪市と人口的にもよく似ており、姉妹都市になっているが、大阪で毎日1000人の感染者が発生したらどんな騒ぎになるかは想像できるだろう。 勿論誰もが出勤したくないのであるが、A君は言うのである、僕はミリタリーで身体が鍛えられているから感染しても重篤にならないので出勤すると申し出たのである。 はっきり言ってAが出勤して頑張ってくれても彼には大した仕事を任せられないのであるが、それでも出社してラボに行かないと絶対にできない仕事は色々とあるので彼はそういう仕事を引き受けた。 彼は週に3日か4日出勤してくれている。 私にしてもA君がイギリスのケンブリッジ支店から送られてきた小包を開封し、中からプロトタイプの電子基板を取り出して開発中の製品にネジで留めて取り付けてもらわないと自宅のコンピューターからリモートコントロールできなかったのだ。 彼の会社に対する貢献度は仕事の内容に関わらず文句なく素晴らしいものであった。 我々エンジニア達や上の者達が彼にUnsung Hero Award(縁の下の力持ち賞)を推薦したのは自然なことであった。 そして彼はそれを受賞し賞金も貰った。 本来なら私の時の様に皆が集まっている中で拍手に迎えながら賞状と賞金をA君に受け取るところだったのだが、現在のAll-hands meetingは各個人のPCの画面の中で行われるのでA君の顔が一瞬だけ映っただけになった。 少し残念であった。 私は去年Ace Awardというその年の一番優秀なエンジニアに与えられる賞を受賞したが、彼が受賞したUnsung Hero Awardは私の賞よりも何倍も価値がある賞だと私は本気で思っている。 私が幾ら優れた技術を持っていても、彼がケンブリッジ支店から送られてきた小包を受け取って開封してくれないと私は何も出来なかったんだから... 私の仕事なんて私より若くて頭の良い奴は社内に沢山いるので、幾らでも代えがきくが、幾ら頭が良い者を並べたところでA君のようなことを出来る奴はいないのだ。 トイレ掃除なんて学が無い者でも誰でも簡単に出来ると思ってしまうが、ところがどっこい、誰もがウンコが詰まっている便器に躊躇せずに両手を突っ込んで詰まりを直せる勇気のある者はそうはいないものなのだ。 私は学生時代にそういうバイトも経験しているのでよく判っている。 コロナウイルスに感染して重篤な状況になるかどうかはミリタリーで身体を鍛えていたかどうかに関わらないと私は思うのであるが、A君は会社がこういう状態の時にミリタリー魂の意地を見せるのである。 ミリタリー時代は”俺が国を守る!”であったが、現在のA君は”俺が会社を守る!”なのである。 アメリカ人はこういう馬鹿な奴が多いのであるが、私は全く嫌いではない! そしてA君がトムクルーズに似ているなんて思ったことは一度もないことを本人の前では未だにどうしても言えないことであることもこのブログにだけは言っておく。 因みに何だかんだ彼を馬鹿にしていても彼とは今でも親しいバイク仲間なんだよなぁ... お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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