『丹波布の服展(1/7~1/15)』へ。
丹波布伝承館の方とも対話できて、どういう方が、どんな思いをもって作ってらっしゃるかも僅かですが掴めました。
ここでは事業内容はマル秘!?としておきますが、お話すると思いは共通していたので双方盛り上げって興奮、人つながりとなった有意義な訪問でした。
「丹波布」自体、いい素材、いい工程なのでプチ☆リポート 。

1.先日他界された日本のプロダクトデザイナー柳宗理氏の父、柳宗悦氏(「用の美」を唱、民藝運動の発起、日本民芸研究会の第一人者)によって京都で発見され『丹波布』と銘名。昭和6年のこと。それまでは「佐治木綿」「縞貫」と呼ばれ物議を醸したようですが、販路のことも考えてこの名に祈るような気持ちがあったとか。
2.柳宗悦氏が惹かれた理由。
「なべて縞物は無難である。押しなべて美しい。…(略)丹波布は当たり前の人の作った織物である。それだから美しいのだ」との事で日本工芸研究家の上村六郎教授に調査を依頼。
3.因みに「丹波焼」も柳氏によって銘名されましたが、『丹波布』の方が先。もしかすると「丹波」ブランドの宣伝効果は、農産物より、この二つで全国区になってきたというのは私の自論です。
4.背景(「丹波布」より)。日本の染織はそれぞれの土地の歴史と、文化の推移の中で、人々の生活を反映しながら、その激しい消耗性に堪えて、消長を繰り返しつつ生き残ってきた。しかし残念な事に都市を中心にした地方活力低下によって生産は減り、最早や古き良き時代は去った。
5.渋く物柔らかな布はたとえ日本を代表する民芸品であっても、今日の移り変わりの中でどうやって残って行けるか心もとない。パッと見、平凡で良さがわからない。こうした物に時々出合う。しかし、話をよくよく聴き見てみると非凡。
6.今では非凡な工程。大きく分けて「糸紬ぎ」「染色」「機織」。今時こうした色や糸に、そして織り上がりにお目に掛かれるとは嬉しい、と言われるのは次の工程から。私たちの先祖が永年かかって生み出した縞物(しまもの)。
7.【糸紬ぎ】綿はいまでは輸入品。一部青垣町で栽培されています。昔は地の綿100%。そして『丹波布』の特徴である横ラインに入る白い「絹糸」。伝承館の方に言われて初めて分かりますが、白く光るようなアクセント。つくる方も考え処だそう。

8.綿の花を開花後から種を取って綿だけにする体験は、伝承館でできます(綿繰り)。因みに経糸(たていと)はすべて木綿。近所に「
わたや」という屋号あるのはこのせいか、、!?。

9.次に「糸車」で「依り」をかけて綿から糸にしていきます。これが「紡ぐ」作業。人によって太い細い、その人でも時よって太い細い。ここに手仕事の技や味やら。工業製品の均一の糸も展示してあります。写真は回している所で、車は竹なので軽く、一日やっても疲れないそうです。

後編へつづく...