※写真は今日買ってきたテクスチャーの違う「黒谷和紙」(1枚の大きさ:900mm×600mm)
《レクチャーより》
紙が中国で発明されたのは2000年前。朝鮮半島を経由して、1500年前に日本人は初めて「紙」をみた。そして、それまで木や石にしか刻めなかった日本に仏教の伝搬により一気にその技術が広まる。
黒谷町に根付いたのは300年前で、平家の落武者が子孫へ残す仕事として始められた。
... ハタノワタルさん(黒谷和紙職人)によると、より庶民的で破れにくいのは黒谷和紙との事(越前和紙は、貴族御用達とか)先人の使われ方は、値札・襖紙・障子紙・傘紙など。ジャンジャン使えるところ、民芸なところにグッときた。
その秘密は原料となる「楮(こうぞ)」。一年で収穫可能で刈り取っても蘇生。循環型。(紙の原料には他に、ガンピ・ミツマタなどあるそうですが、こちらは繊維が細かく繊細にはなるが収穫に3年や10年)当地方での農閑期に楮を収穫し、皮を履いで?炊いて?叩いて?ほぐして?紙漉きの暮らし。
よって「紙」の表情はその産地によって採れる原料の違いや配分、工程によって異なるのだとか。納得。因みに、原料の仕上げをまちの高齢者、紙漉きを若い女性、乾燥が男の仕事だったとか。
この間のマタギツアーにしてもそうですが、年間通して土と山と関わる暮らし。「地の利で循環型で永続可能な暮らし。」ハタノ氏は「土に向かおう」と仰います。
同氏はデザインワークの仕事をされてましたが、いま全国で活躍されてます。驚いたのは黒谷町に来られて15.6年になるそうですが、5年前には一人で隆盛期の職人より紙漉きした枚数が多かったこと。ここに本物、本気を感じた。今はシフトチェンジされて、製造する一番でなく、使用する一番に。
まだ書きたい事はありますがここで。(これからの「丹波布」のこと等も絡めて...)
さいごに建築への可能性も沢山感じた今日でした。特に日本は間と間の「結界(縁・淵)」に紙や簀などを用いてきた。それは堅固なものでなく曖昧だったり、見透かしたり緩やかに結界するもの。次の空間にいざなうのが上手い。それと、これから堅固に間仕切っていく箇所にも使用を考えてみたり。
※今日の体験
主催:NPO北近畿みらい 【北近畿みらい塾~第一回「黒谷和紙」講座】
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