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有名なアーティストが亡くなったとき、残念だなと思うことはあっても、悲しいと思うことはあんまりない。
ロバート パーマーが亡くなったときはちょっと悲しかったけれど。 2016年1月10日、デビッド ボウイが亡くなった。 このときは、珍しく目頭が熱くなった。 もちろん、デビッド ボウイと面識があるとかじゃない。 ファンだけど、崇拝するほどでもない。 生きてきた中で最も特殊で過酷な時間を過ごしていたときに、デビッド ボウイのジギースターダストというアルバムにすがりついた。 彼の曲に救われたという感覚はないし、その歌声に涙したとかじゃない。 ただ、追い詰められた状況の中で、一緒にいてくれたのだ。 26歳の時、ベトナムのハノイに1年ほど長期出張し、社長とジョエルさんと同じ家で寝食を共にしていた。 その社長とベトナム人の扱いについて激論を交わし、パスポートを取り上げられて、2か月間部屋に謹慎になったことがある。 白い壁の六畳一間で、ベッドと机と簡単な洋服ダンスだけがある。 湿気が多く、常に床と壁はしっとり濡れていて、天井と壁の接合部分にカビともシミともいえぬ、模様が浮かび上がっていたのを覚えている。 その部屋で、毎日反省文を書き、英語の勉強だけをするよう命じられた。 最初は、自分の考え方を正当化し、反省することに抵抗することで自分を保っていた。 ところが、毎日、反省の言葉を紙に書いていると、おかしいのは自分なのではないかと思うようになってくる。 心臓がドンドンとなって、自問自答の声が頭の中を支配するようになり、物音に敏感になる。 階段を上り下りする音、社長とジョエルさんの話し声、足音、ドアを開ける音… 何もかもが自分を責めているように感じた。 そして、一生このままなのかもしれないという思いにとり憑かれた。 そんな中、デビッド ボウイのジギースターダストを聞いた。 このアルバムは、出張に出る前に会社の先輩にもらったものだ。 それまでデビッド ボウイといえば、レッツダンスのようなダンディで渋いポップスを歌う人という認識しかなかった。 だから、ジギースターダストを聞いた時は衝撃だった。 決して歌が上手いという感じじゃない。 でも、アルバム全体に流れる緊張感が自分と同調した。 耳の壁に曲がこびり付くくらい、繰り返し繰り返し聞いた。 不協和音がひたすら心地よかった。 アルバムの中でジギーが自殺すると、頭の中で俺も自殺した。 だから、今でも追いつめられると、iPhoneを握りしめヘッドホン姿で近所を歩き回りながらジギースターダストを聞き、エアーソングする。 デビッドボウイ、ありがとう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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