赤ちゃん時代 (追加)*赤ちゃん時代*☆おなかの中で 初めてお医者さんから妊娠したことを告げられた時、おかあさんは飛び上がるほ ど嬉しかったです。 だって、赤ちゃんが欲しくて欲しくて仕方なかったんだもの。 なのに、お医者さんは開口一番「産みますか?」って聞いたんだ。 「おめでとうございます」って言ってもらえると思っていたので、「えっ?もち ろんです!」って答えたものの、心は???でした。 あとで看護婦さんが「今はね、産みたくないって言う若い人が多いのよ」と教え てくれました。そうなのか・・・ちょっと気持ちが沈みました。 でも、それからずっと順調に育って、逆子になってあせったのと、おかあさんの 腰痛を除けばなんにも心配することがありませんでした。 あの頃は大嫌いなレバーもがんばって食べてたな~・・・ あなたがいくつぐらいの時だったかな・・・ 「おかあさんのおなかには、なんで模様がついてるの?」って聞いたとき、「ま りちゃんがおなかの中でボンボコ蹴っ飛ばすから、ひびが入っちゃったんやんか ~!」って言ったけど、ごめんなさい、あれはうそです。 20年たっても消えないおなかの「模様」は、あなたがおかあさんのおなかの中に いたことを忘れないための「しるし」です。 ☆あとにも先にも 予定日よりちょっと早かったけど、12月12日の夜からおなかが痛くなって、つい にきた!と思いました。 お医者さんに電話したら、間隔がまだまだなんで、朝まで我慢してと言われまし た。え~、そんな~! 朝になって、おとーさんが会社に行く時に車で産院まで送ってもらいました。 9時ごろ神戸のお母さんが来てくれて、腰をさすったりしてくれていたので心強 かったです。 おかあさんとしては、入院したらすぐにでも産まれると思っていたのに、なっか なか出てきません。 何時ごろか忘れたけど、点滴の管をつけられて、白い粒薬を渡されました。 説明はあったはずなのに、全然耳に入ってない。痛み止め?と思って飲んでいた のに、ますますおなかが痛くなってきました。 (それが陣痛促進剤だったと気がついたのはずっとあとになってから。全く無知 な母でごめんなさい) いよいよ分娩室に入る時、おかあさんはストレッチャーで運んでくれると思って たら、歩いてだったのでとほほでした(と、どこまでも考えの甘い母であった) 台に上がってから、どのくらい時間が経ったのか全然わかりません。 腰がバラバラになりそうなほど痛かったけど、助産婦さん(?)が「赤ちゃんも がんばってるよ、お母さんもがんばって!!」と励ましてくれました。 さらに時間経過。あれほどウンウンゆったのに、産まれる瞬間はツルンとあっけ ない感じでした。 看護婦さんが「女の子ですよ♪」と言ってみせてくれました。 1982年12月13日、午後7時9分。 おかあさんの体を離れて、初めての『ご対面』でした。 「だっこしてもいいですか?」って聞いたら、「とんでもない」って言われて、 ちょっとがっかりでした。今だったら、胸に乗せてくれたりするのにね。 あとにも先にもこれっきりの、おかあさんの入院生活。 とにかく、無事に産まれてきてくれてありがとう! ☆人見知り 人見知りする子は頭がいいっていうけど、本当かな?というできごと。 6ヶ月から10ヶ月頃、それはもうひどかった。 特に男の人が苦手でしたね。 ある時、家の事情で実家に連れて帰らなければならなくなりました。 おじいちゃん、おばあちゃんにも慣れて機嫌よくしていたのに、2週間ほどして おとーさんが迎えに来てくれた時、だっこしたらのけぞって大泣きしたんだ。 おとーさんはすごいショックを受けていました。 いくらなんでも2週間でおとーさんを忘れるなんて! それとも、よっぽどこわかったのかな?(笑) ☆歩けたよ♪ まりちゃんは赤ちゃんの時、誰の子か?と思うほど太っていました(おかあさん が赤ちゃんの時の写真にそっくりだから、おかあさんの責任には違いない/笑) ほっぺたなんか、パンパンにへちゃむくれてて、おばあちゃんが「○潮ちゃん」 と、あだ名をつけたほど。 「そりゃぁないでしょ!」と一応反論はしたけど、本当に似てました(爆笑) 顔の大きさの割に足がグニャグニャしてて、「この子は歩けるようにならんかも しれん!」とかなり本気で心配していました。まったく、おばあちゃんときたら 何を言い出すやら! でもご心配なく、つかまり立ちも伝い歩きも人並みにこなし(?)、10ヶ月を過 ぎたある日突然、自分一人で記念すべき第一歩を踏み出しました! すぐにどっす~んとなったけど、あの時の得意げな顔は忘れられません。 歩くようになってからというものは、むくれてた顔も普通の子供の顔になり、ボ ンレスハム状態の手足もスルスルと細く(でもなかったな)なり、皆で胸をなで おろしました。 (元気がなによりとはいえ!) |