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ボーカロイドによるボイスヒーリング

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与那観

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富良野の富士さん@ Re:「南無阿弥陀仏」は人生破滅の教えです(04/07) 全くこの通りと深く感嘆致します
2011.04.07
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法然上人と親鸞上人は二人して、我々末法の衆生の人間性を完全に見下して、真理に向かう尊い求道心を萎えさせ、無限に羽ばたける輝ける可能性を根こそぎ奪い取ってしまいました。彼ら仏教界の天才達が仏陀の真意を知らずに、仏様の出世の本懐を隠蔽するといった大罪をを犯すはずがありません。いいえ、そこにはもっと何らかの意図とする、大きな悪意があります。




お念仏にも当然、功徳はあります。常に人を見下して自画自賛する大変うぬぼれの強い人にとって、実はお念仏は良い薬なのです。例えば曹洞宗や臨済宗の人にはお念仏は効果抜群の薬になります。しかし薬は飽く迄も薬です。既に治った人や違う種類の病の人にとっては猛毒なのです。腹痛薬でも頭痛薬でも治ってもなお飲み続けたら、今度は副作用でもっと厄介な病気になります。



浄土信仰の教義は、「この現実社会は汚れた世の中であるから、この世に生きているうちは、苦しみがあってもしかたがない。しかし、西方十万億土の彼方に、阿弥陀仏の住む極楽浄土という世界がある。この阿弥陀仏にすがって、一心に念仏を称えてさえいれば、死んでから極楽に行き、幸せになれる」と説くものであり、駅で列車を待つ感覚のように、「この世の中では、どんなに頑張っても幸せになれない。阿弥陀にすがって、死んでから幸せになろう」という教えであるから、これを信仰していくと、その思想的影響によって、すぐに現実から逃避したがる、非常に諦めの強い、退廃的で優柔不断な性格、生き方になっていく。そして、現実を逃避する厭世主義であるから、ついには自殺まで走る例が多く出てくるのである。しかもそれだけではありません。ここからが重要です。




現在、元々浄土系仏教とは実は純粋仏教とは似て非なる亜流の教えでは無いかと疑問視されています。ゾロアスター教・ミトラ教の流れを汲み、その本流はユダヤ教にあるのではないかとされています。阿弥陀仏の原形モデルは古代エジプト西の楽園の神、トートとアモンで、永遠の光(無量光)と永遠の命(無量寿)をテーマとしてるといわれています。また、京都西本願寺には、親鸞も学んだという景教の、『世尊布施論』があります。この『世尊』とは釈尊ではなく、イエスのことです。これは中国で、七世紀に景教徒によって漢語に訳された景教の経典です。それが日本にも持ち込まれていました。内容は、イエスの「山上の垂訓」(マタイの福音書五~七章)等に関するものです。その後、アダムの創造と堕落、イエスの降誕、生涯、教え、さらに基督教的救い等についても述べていきます。ですからこれは仕組まれたことなのです。巧みなことに浄土の教えはキリスト教に回帰する仕組みになっています。これが大変危険なことなのです。




例えば浄土真宗から基督教に転落した元僧侶云く「浄土門は、例えれば肉抜きの牛丼のようです。肉汁と香りはすれど肉本体が抜き取られています。浄土門は、神とキリスト抜きのキリスト教の異端そっくりです。浄土門に救いがないのは、所詮は無神論であり養子論の阿弥陀だからです。門徒の方々が目覚めて肉抜き牛丼ではなく肉入り牛丼に出会って美味しく食されますようにお祈り申し上げます。」云々




キリスト教は世界一の信徒数を誇りますが、実は大変危険な宗教です。キリスト教徒は、自己のみが神に救済を予定されていると確信し、キリスト教徒でない者には救済が予定されていないとし、それを理由に、キリスト教徒を全員、救済される方に置いているのでなければ、あれだけ盛大に非キリスト教の有色人種を殺戮できなかったでしょう。キリスト教徒は、植民地時代に非キリスト教徒の有色人種を人間ではないと判定して殺戮し、神の救済を予定されていない範疇を作って、自己の救済予定を確信したのだと思います。絶対無限の神の前で人間はその違いが無限小になり、そこに平等観念が生まれたとキリスト教を美化する考えの限界がこれで明らかになります。

キリスト教が侵略、植民地、奴隷貿易の生みの親

一方、浄土真宗から基督教に転落する僧もおれば、逆に正しい教えに辿り着く方もおられます。平成21年4月に日蓮正宗宣照寺において、創立三周年記念法要が立宗会の法要と共に執り行われました。その時、江戸時代後期から150年続く「帰命寺」という浄土真宗西本願寺の元住職で、現在、日蓮正宗のご信徒となっている、吉田正信さんによる「入信して一年」と題する体験発表が行われました。大勢おられた檀家さんを説得され、勇気ある英断と大変なご苦労を乗り越えられ、正しい宗教に巡り会えた歓喜の現状を力強く語られました。



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Last updated  2011.04.11 18:12:35
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Re:「南無阿弥陀仏」は人生破滅の教えです(04/07)   富良野の富士さん さん
全くこの通りと深く感嘆致します (2012.07.03 16:56:47)


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