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2003/12/12(金)23:08

石川五右衛門は釜ゆでではなかった!?

石川五右衛門というと、誰でも知っている安土桃山時代の大盗賊。京都三条河原で釜ゆでにされたとことで有名な豪傑である。石川五右衛門のことを、浄瑠璃や歌舞伎の登場人物で、フィクションだと思っている人も多いようやけど、それは大間違いでおまっ。彼はちゃんと史実に記載された実在の人物である。もっとも巷談・稗史の類で、めちゃくちゃに脚色されてしまってスーパーマンみたいに描かれている五右衛門像というのは、まったくあてにはなりまへん。身長が2mを越える巨漢で、百地三太夫の弟子になって忍術を会得し大名や公家、豪商をねらう大盗賊になったなどと伝えられているが、ほとんどが創作だろう・・・ただひとつ確実なことは、彼が強盗・追い剥ぎなどの盗賊団の首領であり、文禄3年(1594)に三条河原で処刑されたということだけ。その時の記録は種種の文献に残されており、それによると、その時に処刑されたのは、本人以外に母親、妻を含め一族郎党19人(別の説では28人)となっているとのこと。ところで、石川五右衛門といえば、釜ゆでの刑。大釜でぐつぐつ茹でられて処刑されたと思いがちやけど、どうもそれは事実とは異なるようだ。というのは、スペインの商人でアビラ・ヒロンという著書で『日本王国記』によると、「頭目たちは生きながら油で煮られ妻子、父母、兄弟は五親等まではりつけに処せられた」とあるらしい。別の文献にも「釜にて煎らるる」とあって、釜ゆでにされたという記述はひとつもないと言われている。人間を油で煮るというのは、ゆでるのよりもずっと残酷でえげつのぉ~~ございまするぅぅぅ~~\(@0@)/~~~ヒェ~!妻子、父母、兄弟は、はりつけにされたというから、こちらは一般的な処刑法であった。親分の五右衛門だけが、油で煮殺されるという異例の処刑法をとられたのは、見せしめのため以外のなにもんでもなかったやろうなぁ~(* ̄^ ̄)(*▼_▼)(* ̄^ ̄)(*▼_▼)しかし、その残虐さが、かえってヒーローとしての五右衛門の地位を不動のものにしてしまったやから、皮肉なもんでおまっ。おしまい。。。

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