イノシシの年
去年の白内障手術からずーっと書いてなかった日記です。書こうかなと思うことも度々あったんですが、書けば嫌な思いのアンコールになるだろうし。去年はロクなことがなかったようだけど性格的にホラ、ワシっていつまでもクヨクヨする方だから。 職場で担当替えがあって、そこでの作業の仕方が話し合いもへったくれもないものだったり、「何のためにこれするの?」と聞けば『それは自分の一番嫌いな言葉であり、言われたことだけしとけばイイんだ』と主張するオヤジ。言われたことだけしとけば作業トラブルは自分の責任なしとでも言いたいのか。 そのころ、兄から母親が入院したとの電話があってチョコチョコ東京に行くようになり、週3回の出勤を休みがちだし出れば面倒だし^^;で一カ月単位で休みに決定。母親を看て兄の家に帰り、好奇の眼で屋内を点検すると洗濯機の排水ホースの取り回しが良くないので修正。テレビの天気予報の画面に以前の住所の地域が映ってるので「なんで?」と聞けば、引っ越し後の設定の変え方がわかんないそうで初期設定を変更してGoo。「オマエは便利だな~」と、子供の頃から変わってないことを皮肉られながらも家事手伝いで上京毎に宿泊費を捻出しております。 断捨離が進行している母と兄の家、今までもかなりのものを岡山に持ち帰っていますがオッサン御幼少のアルバムが残っていました。オッサンの爺さんの田舎の畳屋の風景やらパンツ一丁でザリガニ取りしてたり初めて見るオヤジやおふくろのの若い頃の写真があったりで、これはデジカメで残さないとダメでしょう。アルバム5冊、写真にして1500枚。正月の前後に目の下のクマも気にせず二眼レフの原板サイズの写真を背中を丸めて一枚ずつ接写。 母親が認知と足腰の衰えで入院してるのにこんなことしてて・・・今は、時々上京で一緒にいる時間を作りながら機嫌よく一日を過ごしてくれればと思います。何年振りかで見舞ったオバハンの顔やら名前も覚えてて帰る時は気を付けて帰れだの「昨日は病院で気に入らないことがあって朝ご飯食べなかった」なんぞと言ってるのを聞くと、どこが認知症かとも思いますがまだら模様なんでしょうね。付き添うしかできないバカムスコ。猪突猛進で走るのは新幹線。