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カテゴリ:映画
久しぶりに先日映画を観に行ってきました。
半年振りくらい?・・・。 観たかったダルドリーの「愛を読むひと(原題・The Reader)」 この邦題は私個人は最悪だと思っています。 この邦題のせいで恋愛物と誤解されて、 恋愛物を期待して観に行った人に評価を低くされてしまうように思うのです。 原作は読んでいましたので、 ストーリーは知っていました。 著者としては、恋愛物を書いたのではなく、 ユダヤ・ナチス問題を書き、 時代に人生を変えられてしまった人達について書いているのだと思っています。 大好きな監督スティーブン・ダルドリーがこれをどう表現するのか ![]() ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 前半は濃厚なラブシーンで、 観ていて気恥ずかしい程でした。 相手の少年マイケル(デヴィッド・クロス)、 15歳設定だけれど体出来すぎだし・・・ と思ったら、ラブシーン撮影時は18歳だとのこと。 そうでしょうねえ、15歳であんな仕事しちゃったら、トラウマになりそう。 まあ、そんなことはさておき・・・。 後半・・・。 ユダヤ殺害の戦犯として、 ナチスの看守だったハンナ(ケイト・ウィンスレット)が裁判にかけられます。 文盲のハンナが出来ることのない犯罪で罪を問われ、 陥れられ有罪になります。 ハンナの文盲を知るマイケルはその真実を暴露することでハンナの刑を軽くできるのですが、 文盲をひた隠しにするハンナは罪をかぶります。 文盲に対して「そんなことを隠すために・・・」という思いがしますが、 当人にとっては尊厳に関わる重大事でした。 そして収監され、牢獄での日々。 ある日、マイケルは牢獄のハンナへ朗読したテープを送ることを思いつきます。 かつてベッドで読んだように・・・。 ハンナはマイケルからのテープを聴き、 いつしかその読まれている本を手にし、 マイケルの声に導かれるように言葉を会得していきます。 (原作ではそこでナチスに関する本まで読むようになる、とありましたが、 映画ではカット) 釈放の日が近づき、 唯一の連絡先であるマイケルの元に刑務所から連絡が入り、 ハンナの身元引受人を頼まれます。 ハンナの釈放の直前に刑務所を訪れるマイケル。 そこでの話し合い。 そして・・・・。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ いつも作品の中にいくつもの隠しテーマがあり、 観終わるとあれこれ考えてしまうのがダルドリーの作品の魅力です。 今回はやはりユダヤ・ナチス問題。 アウシュビッツの悲劇のみを考えれば確かにドイツ=悪者、ユダヤ=被害者なのですが、 ユダヤ人がそれまでにヨーロッパ諸国でしてきた行い (そして現在のイスラエル問題とアメリカとの関係) を考えると、 果たしてユダヤ人は完全なる被害者なのか、 という疑問を抱きます。 (それはナチスの行いを正当化することでは決してありませんが) この映画で、生き残ったユダヤ人女性が裁判で証言しますが、 その彼女が経験談を本にして、その後裕福に暮らす姿が、 ハンナが生涯を終えた独房の後に出され、 その対比に含みを感じてしまいました。 また、裁判でのシーンで、 人は法によって裁かれる、それも、その時代の法によって・・・。 と語られるのですが、 この辺りはもう一度観たいと思います。 ドイツ人によるナチスへの批判。 しかし、傍観者は果たしてナチスを批判できるのか。 ハンナは裁判中に裁判官へと問いかけます。 「あなたならどうしますか?」 戦争時に看守という仕事をまっとうしたことによって裁かれるハンナ。 このことはいつの時代でも、 誰にでも問いかけられる問いなのではないでしょうか。 他にもまだまだたくさん語り所があるのですが、 今日はこの辺で・・・。 あっ! 映画では、原作にはないラストシーンがあり、 そこで救いを感じる事ができ、 嬉しい想定外でした。 こういう映画を観ると、 「映画って本当に良いですね~」 と言いたくなります。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2009年06月30日 12時35分32秒
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