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マレーシアで悠悠自適に暮らす酔っ払いマダムの日々

15年間チャレンジ日記その2

第2回 辿り着かないジレンマと続く挑戦

自分A:ダメだった・・・。だいたい、1年間で渡航費用プラス海外での当座の生活費なんて、だいたい、いくらかかるか見当もつかないのに、貯まる訳ないんだ。悲しい、悔しい、情けない・・・大見栄きって「私は海外で働くから、日本で就職なんかしないんだ。」なんて宣言している私の立場はどうなる。
自分B:負けちゃいけない、負けちゃいけない。何か他の手を考えよう。
・・・そう、いつも私は自分Bに支えられてきた。人間、100%強く、挫折を知らない人間なんて居ない。(おりましたらご一報を)私もそう、その一人。
1年間の、ことさら安い給料での契約社員生活は、私に、社会人生活の過酷さと厳しさ、そして少しの“つきあい”という名の不可思議な大人の夜の交流を教えてくれこそすれ、元々求めていた“資金”や“海外生活情報”というものは、一切与えてはくれなかった。
今度こそ行き止まりだと思う反面、自分Bは、ここでも何か次の手を考えているらしかったが、とりあえず海外情報へのアンテナを張り巡らせながら、時を待った。
自分Bは、いつも只口を開けてぽかんと待つのではない。餌を探すライオンの如きギラギラとした視線で、獲物=情報、を待つのだ。待つは待つでも待つが違う。(いや、当時それしか出来る事がなかったのだが。)
そして程なく、うまいこと私のアンテナにひっかかった、1枚の地下鉄のつるし広告があった。「日本語教師養成過程~君も海外でチャンスをつかもう」とかなんとか。
“ここで全課程を修了した生徒には、学校側から自動的に海外の派遣先が用意されるに違いない。日本語教師と言うのも悪くはないな。”
「これ!これよこれ!」と、自分AB共にご満悦。もうすでに頭の中では、外人の生徒さんの前で授業をしている自分の姿を想像していた。
即刻連絡先をメモし、資料を請求し、入学手続きを完了するのに何日もかからなかったように記憶している。
只、ここで直面するのが、またまた“資金問題”~入学金と学費の捻出である。
短大まで出させてもらって今更親に学費の面で泣きつくのも、と思ったので、入学金のみパパローンにしてもらい、学費は自分で稼ぐことにした。
只、昼間の時間は不規則で授業があるので、ここで私の得意技である“大酒飲み”を活かして、夜の時間、水商売のホステスなる職についた。
この時ひょんに選んだこの商売と、こんな長い付き合いになるとは、勿論当時は夢にも思っていなかったのだが。
結局それから1年間、昼間は学生、夜はホステスの2部制の生活をしながら、何とか「日本語教師養成過程終了証」なるものを獲得したのだった。
しかし!この当時、この認可はあくまで認可であり、調理師や美容師のように、免許ではなく、そして制度そのものもまだ新しく、世間の認識も薄く(私の認識が一番薄かった)、まだ実際に職業として通用する代物ではない、ということで、就職先など皆無に等しかった。そりゃないじゃん、と思ったが遅かった。
私は1枚の紙「日本語教師養成過程終了証」を手にして、途方に暮れてしまった。
ただ、途方に暮れるにいいだけ暮れたその後、又自分Bに励まされることになる。
「又次の手を!」
自分A:次の手って、もう何があるというの?もうやるだけやったじゃない。
自分B:青年海外協力隊、の説明会が来週あるよ。とりあえず、行ってみたら?
そうか・・・その手があったか。倍率はかなり高いと聞くが、私はかりにも養成過程は終了している。日本語教師としてなら、他の人より有利に違いない。
またまた私の目の前には、近い将来の、外人のたくさんの生徒さんたちが広がった。
行ってみようか。その説明会。





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