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カテゴリ:旅 / 小さな旅
ヴァンジの大男たち
----人間にある限りない未来 時折雷鳴の轟く激しい雨は、 レストランを出る時にはすっかりあがり薄日が差していた。 エントランスの壁のタイル絵を横に見て庭園に入る。 ふかふかに茂った芝生は雨を吸ってか、 生き生きとして真っ直ぐに伸びている。 ぬかるむことのない広々としたなだらかな斜面に、 ヴァンジの彫刻が点在していた。 物干し竿を数十本も突き差したような、 そんな中に見上げる程の大男が歩いている。 いや、動いているわけではないが、 本当に歩いているように見えるのだ。 傍に立つと、私は小さな子供ほどになってしまう。 普段、人の顔をしげしげと観察することはないが、 彫刻となれば別、遠慮することなくじっくり眺める。 その表情の豊かさに驚く。 ある時期から、人間をテーマにおいたというヴァンジならではだ。 その顔の殆どは左側に膨らみを持ち、右側の頬肉は少ない。 人間の顔は左右対称ではないから、 自分はどっちだったか・・と思わず水に映してみる。 骨格は頑丈で日本人とは異なる体躯。 勿論、作品としてのデフォルメはあるが、 その多くは彼と同じイタリア人がモチーフと思える。 ユーモラスな大男があちこちにいて楽しい。 塀を攀じ登るかと思えば、ガラスに顔をへばりつけ、 横たわり、そして屹立する。 そのどれもが、大きな眼球を持ち遥か遠くを見詰めている。 ヴァンジは、人間に限りない未来のあることを信じ、 願い、祈り、それを伝えているのだろう。 館内の作品は、リアルな表現で度肝を抜かれるものもあるが、 素材の美しさに目を奪われる。 ことに、 石そのものの美しさを余すところなく生かしきった、といえよう。 中でも、椅子に掛けた女性像は、 三種類の、美しい見事な御影石で作られていた。 一つは頭部、もう一つは花柄の薄いピンクのワンピースに見立てた胴部、 そして脚部と使い分けられている。 しかも、見る角度によって、観者は三人に出会える。 像の左後ろに立てば初々しいおかっぱ頭の少女に、 正面近くからは妊婦に、 そして左前からやや右背後に至れば、 ロッキングチェアーに掛けて寛いでいるような優しい老女に、である。 さすが、ミケランジェロの再来とも評され、 イタリアを代表する現代彫刻家ジュリアーノ・ヴァンジである。 いつかまた、ユーモラスな大男達に会って、 一緒にのんびり遠くを眺めたいと思う。 もしかしたら、 彼らは時空を超えてゆっくりと歩いて来るかもしれない。 それは私の一大傑作の生まれる時だろうか。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 更新をオサボリするうちに、もう師走! 今年もあと1ヶ月。 なまけていた間にも、 お訪ねくださって有難うございました。 お寒くなりました。皆様ご自愛ください。 raku-sa ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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お久しぶりです。
だいぶ前の話なのですが、箱根に行った時、彫刻の森美術館で丁度ヴァンジ展を開催してたような記憶があります。 その時は特別な想いは残らなかったのですが、今こうしてraku-saさん的ヴァンジに出会うと、あの日の記憶が甦ってきます。 ありがとうございました。 (2007年12月02日 09時30分54秒)
「ある時期から、人間をテーマにおいたというヴァンジならではだ。」
最近、美術でも小説でも映画でもテレビのドキュメンタリーでも「人間」を登場させていても「人間をテーマ」にした作品が少ないように感じます。 ヴァンジ、知りませんでした。ミケランジェロやロダンは好きなのですが。 (いつも美術を鑑賞するときは、作者の名前もタイトルも説明もろくに見ず、無手勝流な見方なのですが)以前、西洋美術館で、片腕のもげたギリシャだったかローマ時代の男性像を見ましたが、そこから発するエネルギーに驚嘆しました。数千年生き残っているものは違う ―圧倒されました。 raku-saさんの文を読んでヴァンジを(もう見てるかもしれませんが)ぜひ意識して見たいと思いました。 現代人は精神と肉体を分離して見がちですが、彫刻は(とくにすぐれたものは)、身体に魂(精神)を“みる”いい訓練にもなると、ぼく自身は思っています。 (ブログ、なんとなく再開しております。休止の意図と異なり、ホームベースとなるホームページ(?)できておりません。言行一致せず失礼いたしました) (2007年12月12日 11時44分25秒) |
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