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カテゴリ:やさしい教学
《日霑上人さま》 つづきです。 日霑上人さまは、このときのお気持ちを 『降るもまた、ふらぬも天の御心を、しひるおろかや、人のなげきに』 『山の井の、水さへつきて、里人の、なみだにあほぐ、法の一雨』 と和歌をよまれました。 日霑上人さまは、江戸時代の終わりから明治時代にかけて、歴史の変わり目のときに猊下となられ、ご隠尊猊下となられたのちも日本各地を歩いて布教し、法論によって邪宗をうちやぶるなど、宗門の発展のために力を尽くされました。 そして、明治二十三年に七十四歳で、尊いご生涯を閉じられたのです。 この四国でのお話は、日霑上人さまが五十九歳のときのことで、法華寺とは、現在の『讃岐本門寺』のことです。 (大白法・358号) ************************** いかがでしたか? ちょっと、ひら仮名が多くて読みにくかったことでしょうね。 「やさしい教学」とは、法華講員の親が子に読んで聞かせるという趣旨で作られております。 しかし、小さい時から御宗門の歴史を学べるなんて、うらやましいです。 おいらが、この話を読んで、思い出したのが阪神大震災でしたね。大震災の後、御宗門の日顕上人が追善回向の御法要をなされたのを会長さんは、偽善者とか言ってましたからね。(当時のオイラもそう思ってました。ごめんなさい( ・・)( -.-)( _ _) ) おいらは、なんて慈悲がなかったのか。亡くなった人たちに対し、お題目を唱えてあげようとも思わなかったのですから、情けないです。 「化儀抄」に 一、他宗他門等の人死せば知人ならば訪ふべし、但し他宗他門の本尊神座に向って題目を唱へ経を読まず、死去の亡者に向って之を読むべし、惣じて法界の衆生の死去の由を、聞き受けて之れを訪ろうべし云云。 とあり、 他宗の人が死亡した時でも、その人が知人であるならば弔いたくなり、故人のために読経・唱題し回向たくなるのが慈悲の心ではないのかな。 心法の変化がおこれば、そういう心が湧いてくるのではないのかな。 亡くなれば、もうその人はもう謗法はできないのですから。 会長さんは、本有の王法として天皇を持ち上げるが、昭和天皇の崩御の時に、追善回向の法要を顕正会ではしたのか? あ~、自分の尊厳を持ち上げさせるだけで、精一杯かな ( ´△`)アァ- まあ、会員以外は、カスみたいなもんなんでしょうね。 ほんと慈悲の心があるのか? お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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