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カテゴリ:教学 基礎講座
釈尊最初の説法 四諦 ―苦からの脱却― つづきです。 二、集諦(じったい) ―苦の原因― 「集」(じゅう)とは、集起(しゅうき)・招集(しょうしゅう)のことで、ここでは「煩悩が集まり起こる」という意味と「煩悩によって生死(迷いの世界)の苦を招き集める」という意味から「集諦」といいます。 仏教では、私たちが苦しむ原因は煩悩にあると説きますが、煩悩の中でも三界六道の煩悩は見思の惑といわれるもので、見惑とは真実の道理に迷う理性上の惑であり、思惑とは物事を思慮するときに起こる感情的な迷いをいい、これらは、貪・瞋・癡の三毒が根本になっています。 また、『四諦経』には、苦の原因として、欲愛(よくあい)・有愛(うあい)・無有愛(むうあい)の「三愛」(さんない)が説かれています。欲愛とは心身の欲望を満たそうとする情愛をいい、有愛とは物質や思想さらに生存そのものに対する執着をいい、無有愛とは生存を否定する考えに執着することをいいます。 三、滅諦(めったい) ―苦を離れた理想境― 「滅」とは、苦の因である煩悩をすべて滅し尽くした状態をいい、この世の無常を超越し、執着をなくすることが苦を消滅した悟りの境地なのであり、これを滅諦といいます。この状態を涅槃寂静の境地ともいいます。 四、道諦(どうたい) ―理想境に至る修行― 道諦とは苦を消滅するには正しい修行が必要であるということです。釈尊は、聖者となるためには「八正道」(はっしょうどう)を修行せよと説きました。 八正道とは、 (1)正見(しょうけん)(仏教の道理にかなった正しい智慧) (2)正思惟(しょうしゆい)(正しい考えと意思) (3)正語(しょうご)(妄語や悪口等を排した正しい言動) (4)正業(しょうごう)(殺生や偸盗等を離れた正しい行為) (5)正命(しょうみょう)(身口意の三業を清浄にした正しい生活) (6)正精進(しょうしょうじん)(善法を求めるための正しい努力) (7)正念(しょうねん)(涅槃の理想とそのための修行を忘れることなく常に思う心) (8)正定(しょうじょう)(正しい智慧による精神統一)のことです。 (大白法・370号) つづく お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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