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カテゴリ:やさしい教学
命のかけた「抜け参り」 -加賀法華講のさむらいたち- ドーン、ドン、ドン、ドン。真冬のやみをやぶって、太鼓の音が大石寺の杉の林にひびきわたります。 「そこにいるのはだれだ!」 見まわりの僧がちょうちんでやみをてらすと、霜で白くなった御宝蔵の石だたみの上に十人ほどの人がすわっていました。 「われわれはあやしい者ではありません。唱題をしていました」 見れば全員さむらいのようです。しかも、よく見るとほとんどの者が二十代から三十代の青年です。見まわりの僧はすこしびっくりしたようでした。すると、うしろの方からおだやかな声が聞こえました。 「もしや加賀の法華講の方々ではありませんか」 それは搭中の老僧でした。 「ハイ、さようでございます」 自分たちのことをわかっていてくれたのがうれしかったのか、さむらいたちは全員、大きな声で返事をしました。 「御法主上人さまも、あなたがたのことをいつも気にかけていらっしゃいます。冬はかならず春となります。どうかしっかり信心してください」 「御法主上人」と聞いて、加賀(今の石川県)の法華講のさむらいたちはみんな襟を正しました。そして自分たちがきびしいなかで信心していることを、猊下さまがいつもしんぱいされていることを知って、思わず涙がこぼれてきました。この時の御法主上人さまは第二十六世日寛上人さまです。 「石だたみの上ではつめたいでしょう。今から丑寅勤行です。どうぞお上がりなさい」 老僧のやさしい心づかいに、さむらいたちは顔を見合わせましたが、 「ありがとうございます。残念ですが、わたしたちは午前四時までに吉原の宿に帰らなければなりませんので丑寅勤行にはでられません。また、登山させていただきます」 そう言って、みんなおしむように大石寺をあとにしたのでした。 むかしは登山も自由にできず、みんなたいへん苦労をしました。そしてこの加賀の法華講衆の登山を「抜け参り」と言いました。 ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆ 江戸時代には、大名は参勤交代といって一年おきに江戸(今の東京)にすむ生活をしていました。 加賀藩(石川県)は一番大きな大名でしたが、殿さまの前田綱紀(つなのり)さまも江戸にすんでいました。寛文三年(一六六三年)のある日、江戸下谷の常在寺にえらいお坊さんが来てお説法をされるという話が伝わりました。学問が好きだった綱紀さまはさっそくお説法を聞きにいきました。 常在寺は日蓮正宗のお寺で、そこには総本山大石寺から第十七世の日精上人が来られていました。 綱紀さまはお説法を聞き、日蓮大聖人さまのすばらしさや御本尊様の尊さを知ることができました。ほかの大名などにもその話をし、とくに水戸の黄門さまとはよく話をしました。家来にもお説法を聞きに行くように命令しました。 さっそく家来の何人かが日精上人のお説法を聞き、みんなかんげきし、つぎつぎに入信したのでした。 こうして江戸で入信した家来たちは自分の家のある加賀に帰り、こんどは加賀で日蓮正宗をひろめていったのです。 日蓮正宗の教えは日蓮大聖人さまの正しい流れをうけついでいますので、すぐにひろまっていき、またたく間に数千人の人が信心するようになりました。 ところが、江戸時代にはきびしいきまりがあって、自分の信仰を勝手に変えたり、お寺をかえることを禁止していたのです。そこで、日蓮正宗の信心をする人たちは、ほかの人にわからないように、かくれて信心をしたのでした。 ときには、信心をしていることが役人に知られ、仕事をやめさられたり、牢屋に入れられた人もありました。 しかし、そういうつらいめにあえばあうほど、加賀の法華講衆は信心が強くなり、二十もの講中に成長したのでした。 そういう加賀の法華講の一番のなやみは、総本山大石寺に登山できないことであり、一番の願いは戒壇の大御本尊さまにお目通りすることでした。 ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆ そこで、命がけの「抜け参り」をしたのです。殿さまの参勤交代のとき、とちゅうで吉原の宿(今の富士市)にとまりますが、その行列にくわわることのできた信徒は、みんなが寝たあとこっそり宿を抜け出し、大石寺をめざして十五キロの道のりを走ったのです。そして御宝蔵まえの石だたみの上で一しょうけんめいにお題目をあげ、夜があけるまえに宿に帰ったのでした。 参勤交代の道中は朝四時に起きて、一日十二時間も歩くというたいへんなものでした。加賀の法華講の人たちはこのうえさらに夜になっても寝ないで大石寺まで走って行くというのです。またぬけだすのが見つかれば大きなバツを受けるのです。 ほんとうに命がけの参詣であり、強い信心がなければ、けっしてできるものではなかったのです。 わたしたちは今、だれでも大石寺に登山できるようになりました。そのためややもすると登山の心がまえがゆるんだものになりがちです。 わたしたちはむかしの人に負けないようにしっかり勤行と唱題をし、感謝の心をもって登山しましょう。 (大白法 367号) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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ありがとうございます。
読んでいて、涙が止まりません。 大聖人様にお会いしたい、恋慕の思いは、いつの時代も純粋で、尊いものですね。 油断なく、ご開扉をいただくように、がんばらねば。 とっても暖かいお話。 またお願いします。 (2007年09月06日 08時33分09秒)
法華講を名乗れる有り難さが込み上げました…
この縁に感謝しております。 (2007年09月06日 15時11分32秒)
コットンあめさん、流星雨さん、紫苑さん、チョビンさんへ
ほんと、みんな色々ありますが、純粋な顕正会員を目覚めさせ、大聖人様がいらっしゃる大石寺へ参詣させることができるように 力を合わせて頑張ろう♪ (2007年09月06日 21時07分13秒)
おはようございます。拝読させていただきましたが、宗教に対して厳しい時代にあれだけの強い信心を保てた加賀の法華講衆がいらっしゃたのに、宗教の自由が認められている今日私達がいかに恵まれているのかと痛感せずには、いられません。とにかく、勤行・唱題行中心に折伏していかなくてはいけないですね。
(2007年09月10日 06時19分10秒)
くーまんさん
こんばんは。 コメントありがとうございます。 >今日私達がいかに恵まれているのかと痛感せずには、いられません。とにかく、勤行・唱題行中心に折伏していかなくてはいけないですね。 ----- そうですよね。むかしの人に比べれば、我々はすごく恵まれていますよね。感謝の心を忘れず法華講のみんなが少しでも前進できればいいなぁ~と思っています。 くーまんさん、これからもよろしくお願いします。 (2007年09月10日 21時53分25秒)
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