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顕正会 『叱狗論』

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2008年01月14日
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カテゴリ:教学 基礎講座
 小乗と大乗―苦界の海を漕ぎ渡る船―



 これまで仏教の基礎的なことについて述べてきましたが、それらをまとめる意味で、今回は小乗と大乗について述べてみましょう。



 この「乗」(じょう)とは乗り物の意味で、仏の教は人々を迷いの此岸(しがん)(現実界)から悟りの彼岸(ひがん)(理想界)に渡す乗り物ですから、仏教を乗り物に喩えて「乗」というのです。




  ◇◇ 小乗の教え ◇◇



 小乗とは劣乗(れつじょう)ともいい、小さな乗り物、劣った乗り物という意味です。これは自分だけの悟りや救済を目的とする自利の教えですから小乗というのです。天台の判釈によれば、釈尊が十二年間にわたって説かれた阿含教で、経(きょう)・律(りつ)・論(ろん)の三蔵を説いたものを小乗教といいます。




 この経・律・論の三蔵とは、経は四阿含経、律は四分律(しぶんりつ)・摩訶僧祇律(まかそうりつ)・五分律等(ごぶんりつ)、論は六足論(ろくそくろん)・発智論(ほっちろん)・大毘婆沙論(だいびばしゃ)等で、これらを所依(しょえ)として日本で成立した宗派が、倶舎(ぐしゃ)・成実(じょうじつ)・律(りつ)の三宗です。




  ◇◇ 大乗の教え ◇◇



 大乗とは音訳して摩訶衍(まかえん)ともいい、大きな乗り物、勝れた乗り物の意味で、こらは小乗の教えのように自らの悟りや救済を求めるだけでなく、他の人々をも広く救済し仏道を得させることを目的とする自覚覚他(じかくかくた)(自ら悟り他を悟らせる)の教えです。



 この大乗の教えも、大聖人が五重の相対判(そうたいはん)で示されるように、権大乗教と実大乗教とに分かれます。ここでは一往、大乗一般について述べることとします。




  ◇◇ 小乗と大乗の対立 ◇◇



 釈尊滅後、弟子たちはその教えをどのように習い伝えるかについて、保守的態度をとった上座部(じょうざぶ)と、進歩的態度をとった大衆部(たいしゅうぶ)とに分かれました。



前者は教えや戒律というものを文字通りに解釈して伝統を重んじようとし、後者は文字に捕らわれずに仏の教えの真意を把握し、その精神を顕そうとしたのです。



 これらを総称して部派仏教(ぶはぶっきょう)といいますが、次第に形骸化して、仏教本来の宗教的立場を失ったために、この両者の対立の中で大衆部を中心として、仏教をより思想的に高度に掘り下げ、釈尊本来の精神に復帰させようとしたのが大乗仏教です。



 この大乗仏教の立場から、それ以前の上座部系の仏教を指して、軽蔑の意味で命名したのが小乗であり、自ら小乗とはいいません。




  ◇◇ 小乗と大乗の相違 ◇◇



 そこでもうすこし詳しく両者の教えの違いについて、その主なものを示してみましょう。



   一、声聞乗(しょうもんじょう)と菩薩乗(ぼさつじょう)



 小乗を声聞乗、大乗を菩薩乗ともいいます。小乗仏教では、仏である釈尊に対し、弟子たちはただ仏陀の教えを聞き、それに従って修行しますが、その修行によっては決して仏陀となることはできず、せいぜい声聞の最高の悟りである阿羅漢果(あらかんか)を得られるにすぎないとされます。



 更にこれは、あくまで自分だけの完成や解脱のために修行するという、自己中心的な教えともいわれます。



 これに対して、大乗仏教では「一切衆生悉有仏性」(いっさいしゅうじょうしつうぶっしょう)の立場から、どんな人でも菩提心を起こせば菩薩になることができ、その誓願と自覚をもって六波羅密等の修行を積むならば、誰でも仏になることができると説くのです。



たとえ今生にかなわなくとも未来には必ず仏になることができるとされます。



 ですから、大乗教は一切衆生を救済し社会全体を浄化向上させる自利利他の教えといえるのです。



   二、有(う)と空(くう)



 部派仏教はアビダルマという綿密(めんみつ)な教学を研究しました。アビダルマとは「論」とか「対法」(たいほう)とか訳されますが、これは「法に対するもの」の意味で、法とはここでは仏の説法としての経典を指すので、経典に対する説明・注釈・研究などをいいます。



 釈尊は当時の外道が問題にしていた「何があるか」というような実体の有無(存在論、実在論)によっては、人間の苦悩を解決することはできないとして、有(存在)について問題にすることを禁じていました。しかし、このアビダルマではそのことを論じています。



 本来仏教が主眼としていることは、私たちが存在するか否かではなく、私たち人間に関わる生滅変化の現象なのです。その現象が「いかにあるか」 (状態)それを私たちは「いかにすべきか」「いかに対処すべきか」(態度)ということです。これを縁起説(えんぎせつ)といい、四諦(したい)・八正道(はっしょうどう)や十二縁起(じゅうにえんぎ)などの仏教の基本法理は、すべてこれを説いたものです。



 このように、大乗仏教は「偏空」(へんくう)に捕らわれた小乗の教えを破して、法華経で説く中道実相(ちゅうどうじっそう)を明かす三諦円融観(さんたいえんゆうかん)には及ばないまでも般若の空を強調し、釈尊の教え本来の正しい縁起説を復活させたのです。




  ◇◇ 大乗仏教成立の意義 ◇◇



 以上のことからもわかるように、小乗の教えは理論のための理論が多く、仏教本来の目的から遊離(ゆうり)したものでした。これに対して大乗の教えは、より信仰的・実践的でありながら、その説かれる教理の内容は、小乗教では遠く及ばない高度なものです。



 釈尊滅後から大乗仏教に至るまでの思想的展開をみたときには、上座部系統のいわゆる小乗教は、仏教を部分的に据えた見方であり、大衆部の立場から興ってきた大乗仏教こそが、一切衆生の救済を目的とした釈尊のまことの精神を伝えるものといえます。



  ◇◇ 大聖人の大小相対 ◇◇



 大聖人の大小乗に対する判釈は、一般的な相対判としての御文は多くありません。観心本尊抄の文底下種三段(もんていげしゅさんだん)を明かす御文の中で、「一品二半(いっぽんにはん)よりの外は小乗教」と示されているように、法華経本門の立場から見れば、たとえ大乗の教といえども小乗教に属すると説かれているのです。



 さらに種脱相対(しゅだつそうたい)の立場から見れば文底下種の南無妙法蓮華経こそ唯一の大乗であり、その他の(ごん)・(しゃく)・文上本門(もんじょうほんもん)もことごとく小乗教とみなされるのです。ですから真の大乗の教えは、末法出現の大聖人を待たなければ、明らかにならなかったといえます。


(大白法376号より転載)





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最終更新日  2008年01月14日 20時16分16秒
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