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カテゴリ:富士の信仰と化儀
位牌について
位牌の起源 現在、仏教の葬儀には必ず位牌が安置され、一般にも仏壇には位牌がつきもののように考える人が多いのですが、位牌は神座と呼ばれ、この神座とは『霊(たましい)の座』という意味で、もともとは儒教のものであり、仏教のものではなかったのです。 神座にも、木主・神主・位牌などの種類があり、共に祖廟に安置し、儒教流の先祖を礼する際の道具でした。 これがどうして仏教において用いられるようになったのかというと、昔は神道・儒教・仏教の三者の関係が密接であり、その中で互いの儀式を援用した結果、ついには位牌も、仏教で用いるようになったのです。 四悉檀(ししつだん)による位牌 それでは、仏教本来の物でないものをどうして排除しないのかと思われるかもしれませんが、それは、仏教の化導の方法である四悉檀によるのです。 その四悉檀の中に、第一義悉檀の上からいえば、上古より今に至るまで、日有上人の仰せのように、即身成仏・不改本位の外、紙や木の位牌、あるいは神座は必要ありません。 しかしながら、世界悉檀の上からは見えないものをして眼前にあるように慎み拝していくことを教え導く上において極めて有効であることから、しばらく用いたのです。 世間でも“孝は百行の基”といわれるように全く宗教心の無い人には、まず先祖を敬う心を生ぜしめ、それからだんだんと信行成仏の難行に導き入れる方便として位牌が必要だったのです。その位牌には、日蓮正宗の本分の位牌である《事の位牌》と、本宗とは無縁の《理の位牌》とがあります。 日有上人の御教示それでは《事の位牌》とはどのようなものでしょうか。これは『化儀抄』の一一七条に、 「神座を立ざる事、御本尊授与の時、真俗弟子等の示し書き之れ有り、師匠有れば師の方は仏界の方、弟子の方は九界なる故に、師弟相向ふ所、中央の妙法なる故に、併ら即身成仏なる故に他宗の如くならず、是れ則事行の妙法、事の即身成仏等云云」(富要 一―七七ページ) とあります。この法門を聴聞した下野(現在の栃木)金井法華堂の下野阿闍梨はその聞書に、 「一他門跡云く、云何なれば富士方に神座を立てざるや、仰に云く他門跡に立つる所の神座は理の神座なり、只当宗は(事の)位牌を本と為す故に別に位牌を立てざるなり、事の位牌とは、本尊の示書是なり、其故は本尊に当住持の名判を成されそれに向つて示す人の名を書けば、師弟相対して中尊の妙法蓮華経の主と成れば・其当位即身成仏是なり、去る間別して世間流布の神座を立てざるなり、我が名字計りは書いて立つれば弟子計りにて師匠無く師弟相対にも即身成仏にも非ざるなり、又は理なり云云」(富要 一―九四ページ) と残されています。 御本尊を根本とする大事すなわち、世間一般でいう神座・位牌は弟子(凡夫)の名ばかりを書いてあるもので、師弟相対の義が成り立たないから《理》といわれるのです。 そして、真実の成仏の《事の位牌》とは御本尊の「示し書き」、いわゆる授与書きの部分の名前のことで、これについて日興上人は 「所賜の本主の交名」(富士一跡門徒存知の事 全集一六〇六ページ) と仰せられております。 すなわち、御本尊を賜わった人の名前のことと仰せられております。また、現在御本尊様の授与書きの個所に自分の名前が記されることは、常住御本尊を下付された場合に限りますので、事実の上では《事の位牌》たる御本尊の授与書きに私たち個々の名前が書かれることはほとんどありません。 しかし、本門戒壇の大御本尊様は「一閻浮提総与」の御本尊であり、「願主弥四郎国重 法華講衆等」とありますし、『日女御前御返事』には 「日蓮が弟子檀那等・正直捨方便・不受余経一偈と無二に信ずる故によつて・此の御本尊の宝塔の中へ入るべきなり」(同 一二四四ページ) とあり、信仰の上から見れば、私たち御本尊を信ずる正法の信徒はすべて事の位牌たる御本尊の授与書きに名を列ねている境界にあるのです。 宗祖滅後の師弟相対 末法において本従の師とは日蓮大聖人であり、弟子とは大衆でありますが、大聖人滅後においては御本尊を書写あそばされる血脈相伝の御法主上人が師であり、仏界であるのに対して、賜わった示し書きの弟子は九界と解釈されます。 この師弟・因果が和合一如して余念なき処を事の一念三千の妙法蓮華経といい、日蓮大聖人の仏法は地獄は地獄のまま、餓鬼は餓鬼のまま、その当位を改めることなく成仏する教えなのです。 宗祖滅後の「師弟相対」とはここに初めて論ぜられるもので、それは血脈相承に他ならないのです。したがって、現在の創価学会が主張するごとく血脈をないがしろにして勝手に御経や題目を唱えても、真実の師弟相対の意義は顕われませんから、即身成仏を遂げることはできないのです。 お題目を認めた《事の位牌》 この意義をこめて、本宗で用いる位牌は妙法の題目の下に故人の戒名等を認めますが、これは御本尊の示し書きに準じて師弟相対の意義を顕わした《事の位牌》なのです。したがって、日有上人は、通途の位牌を禁じられる一方で、 「又仏なんどをも当宗の仏を立つる時」(富要 一―六七ページ) と仰せであり、ここでいう「仏」について第五十九世日亨上人は位牌のことであると釈されております。このことから日有上人の当時、既に現在のような、仮の位牌が立てられていたことがわかります。また、日達上人は「位牌というものは亡くなった人の姿をそこに顕わす」と仰せられております。 更に日亨上人は、 「漫(みだり)に第一義にのみ止まりて位牌造立を無用とし追善孝養の為めに位牌神座を安置する底の信行の嫩葉(どんよう)(=出たての若い葉)を傷くること無くんば幸なり」(同 一―九四ページ) と仰せられ、信心が未だ決定しない者に対しては、かたくなに位牌を否定して信仰の芽を摘むことのないよう注意されております。 いずれにせよ本宗のしきたりとして、位牌は五・七日忌あるいは七・七日忌になりましたらお寺に納め、過去帳に戒名・俗名等を記入して仏壇に備えて追善回向をすることが大切なのです。 (大白法第390号) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2008年09月27日 19時51分07秒
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