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カテゴリ:富士の信仰と化儀
謗法について(一)
日蓮正宗の信心にあって、日々自ら信心に励んでいくということは大切なことですが、謗法をしないということ、謗法を排した信心をするということを、常に心に懸けておかなくてはなりません。 「何に法華経を信じ給うとも謗法あらば必ず地獄にをつべし」(曽谷殿御返事 全集一〇五六ページ) 等の日蓮大聖人様の厳しい戒めがあるからです。 謗法とは正しくは「誹謗正法」の略であり、大聖人様が建立あそばされた三大秘法の正法、下種の仏法を誹謗することです。しかし、積極的に御本尊の悪口を言ったり、三大秘法を誹謗しなくても、他の信仰を兼ねて行じたり、あるいは三大秘法を信ぜず、他の教法を専ら信行することも誹謗正法となります。 なぜならば、本因下種の南無妙法蓮華経は成仏得道の根本種子ですから、他の教えと比較したり、並列して信仰すること自体謗法になるのです。 ゆえに、大聖人様は、 「今末法に入りぬれば余経も法華経もせんなし、但南無妙法蓮華経なるべし」(上野殿御返事 同一五四六ページ) と仰せられました。 大聖人様が『立正安国論』をはじめとする諸御書に示された謗法厳戒の御精神に背くことのなきよう、私たちは常日頃から戒めて信行に励まなくてはなりません。 謗法を法の上から述べることは、「富士の信仰と化儀」という当欄の趣旨ではありませんので、ここでは宗門上古の第二祖日興上人と、そして聞書きが多数残っている第九世日有上人の御教示を中心に、謗法に対する考え方、また具体的実例をもって、私たちの謗法を戒める一助となるよう話を進めて参ります。 一、自行の謗法と化他の謗法 第五十九世日亨上人は、大聖人様が御書に説かれた謗法には、「対外的化他」の意味と「対内的自行」の二通りの意味があるということを、指摘されています。(富士宗学要集第一巻一四九ページ) 「対外的化他」の意味では、たとえば御書に、 「外道が仏教をそしり・小乗が大乗をそしり・権大乗が実大乗を下し・実大乗が権大乗に力をあわせ・詮ずるところは勝を劣という・法にそむくがゆへに謗法とは申すか」(妙一女御返事 全集一二五九ページ) という、念仏・禅・律・真言の各宗の教えを破折する意味であります。 これに対して、「対内的自行」としては十四謗法がこれに当たります。しかし十四謗法の一つひとつを弟子信徒の信行にあてはめて諌められたことは、あまりありません。 むしろ謗法にも浅深・軽重があり、強盛な信心の人にたとえわずかな謗法があったとしても、重い罰を受けることはないとの大聖人様の 御教示があります(阿仏房尼御前御返事 全集一三〇七ページ)。 このように、諸御書を通じていえることは、対内的自行の意味の謗法よりも、対外的化他の意味で、大聖人様は謗法の語を多く使われたということを日亨上人は指摘されております。 これは、宗門草創にあって、大聖人様の御化導が必然的に他宗に向かっていったことによるもので、日興上人の時代を経て、宗門としての形が整ってきますと、日有上人の『化儀抄』のように、対内的自行の面でも具体的事例をもって、はっきりとした教示がなされるようになります。 『化儀抄』五十七条には対内的自行における謗法の定義として、 「法華宗の大綱の義理を背く人をば謗法と申すなり」 とあります。 すなわち、誰が見ても明白な謗法であって、本宗の信心として成り立っていかないような姿をもって謗法というのです。 この御指南から我々が気をつけなければならないことは、もし他人が知らずに謗法をしているのを知ったならば、慈悲の心をもって注意してあげることは大切なことなのですが、日常ささいなことで信徒同士が個人の感情等に任せて、人を謗法呼ばわりしてはならないということです。 二、日興上人の身延離山 大聖人様の謗法厳誡の御精神を、行体の上にそのまま行じられたのが二祖日興上人です。その象徴的事例として身延離山を挙げることができます。大聖人様が晩年九カ年を過ごされたのは身延の地でした。 地頭波木井実長が民部日向と結託して行った、いわゆる波木井四箇の謗法によって、これを戒めても改め改心することのなかった実長に峻別をつけ、日興上人は決然として身延を離れ、富士上野の地に移られたのです。 この場合では、波木井実長が師である日興上人の再三にわたる教導・指南を受け入れることなく、このままでは大聖人様の仏法を令法久住せしめることさえ危ぶまれた上での御決断でした。 波木井四箇の謗法とは、『富士一跡門徒存知の事』によれば 一、立像釈迦仏を造立供養して本尊とした 二、神社参詣をした 三、山岳信仰のフクシ(福士)の塔に供養した 四、九品念仏道場を造立 が挙げられています。 このことに触れられている日興上人の『原殿御返事』と合わせてみますと、実長がまず本尊に迷ったこと、次に安国論の正意に背いて社参を行ったこと、そして謗法者への供養をしたという、この三点についての顕著な謗法があったゆえの離山でありました。 大聖人様の御法門にうとい波木井実長に、民部日向という師敵対の魔が入り込んで大謗法をなさしめた様相ですが、更に深く考えれば『五人所破抄』に、 「下種結縁の最初を忘れて劣謂勝見(れついしょうけん)の僻案を起し師弟有無の新義を構え理非顕然の諍論を致す」(全集 一六一五ページ) と適確な指摘があります。 実長が初発心の師である日興上人の導きによって大聖人様への帰依が叶ったにもかかわらず、その最初の師の恩をすっかり忘れて、法門の大綱についての制誡・教導に信順することができなかったことが、謗法を犯す大きな原因であったといえます。 三、五老僧の謗法 大聖人様御入滅後の五老僧について、その謗法を明確にして残されたのが『五人所破抄』と『富士一跡門徒存知の事』です。両抄は日興上人が直接お書きになったものではありませんが、日興上人の御意を体して、お弟子の僧侶によって書かれたものであります。 これによれば、五老僧は天台沙門として申状を書いたことが判ります。他にも種々五老僧の謗法を指摘されておりますが、要は、末法下種の仏としての大聖人様御出現の意義、あるいは天台宗における像法過時の法華経と、末法文底下種の法華経との違いが判らなかったのです。 五老僧たちはこのような法門の迷乱に加えて、日興上人の血脈付法の御立場を尊重し、そのもとに一結する信心を持たなかったことによって、行体も必然的に誤った姿を顕わしていったというのも、むべなるかなというべきでしょう。 彼等の謗法の主な事例を上げれば、 1、本尊の迷乱…釈尊一体仏等に固執して、十界互具の漫荼羅御本尊が宗祖の御本意であることを理解できなかった。殊に宗祖御真筆御本尊を粗末に扱った。 2、修行の誤り…像法過時の如法経・一日経という法華経書写の行や一部読誦という摂受行を重んじ、末法の専唱題目・折伏正意の修行ができなかった。 3、社参…民部日向が波木井実長に勧めたように、五老僧たちは一様に立正安国論の意に背いて、悪鬼乱入の神社参詣をした。 4、祈国…国が謗法であるにもかかわらず、諸宗の僧とともに天長地久の祈願をした。これは大聖人様が佐渡御配流の赦免後、幕府より祈国の願いがあったのを断られた、その御意に背くもの。 日蓮大聖人様をあくまでも末法の仏様と拝した日興上人は、以上のような波木井実長や五老僧の誤りを厳しく指摘し、また行体の上に謗法厳誡の精神を弟子門下に示してこられました。 次に示す日有上人の化儀抄等の聞書きも、その根本精神は当然ながら日興上人の様々な制誡に基づいていることはいうまでもありません。 それが血脈相承をお受けあそばされた御歴代上人に受け継がれて、富士の清流という宗風が築かれてきたのであります。 (大白法第396号) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2008年10月23日 21時10分22秒
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