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顕正会 『叱狗論』

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2009年09月20日
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長らくお待たせしましたm(__)m

さて、いよいよ本門の戒壇ですよ。


その前に、折伏理論書を振り返ってみましょう!


日蓮大聖人が弘通あそばした仏法は三大秘法である。ゆえに法華取要抄には


「問うて云はく、如来滅後二千余年に竜樹・天親・天台・伝教の残したまへる所の秘法
何物ぞや。答へて曰く、本門の本尊戒壇題目の五字となり」
と。


三大秘法のそれぞれに「本門」の二字が冠せられている意は、この三大秘法は本門寿量品文底の秘法であり、また久遠元初の独一本門の大法なるがゆえである。(折伏理論書・改訂版122頁)


「三大秘法のそれぞれに「本門」の二字が冠せられている」とありますよね。


本門の本尊は「事の一念三千の本尊」


本門の題目は「事の一念三千の本尊」を信じて唱える。


でっ!戒壇は?


もちろん「本門」の二字が冠せられていますよね?


もう一度、折伏理論書を振り返ってみましょう!


三大秘法は本尊と戒壇と題目の三つに分かれていても、合すればただ本門の本尊の一大秘法となる。そのわけは、本門の本尊おわします所が本門の戒壇であり、またこの御本尊を信じて南妙法蓮華経と唱えるのが本門の題目である。すなわち戒壇も題目もすべて本門の本尊より発するゆえである。ゆえに「本門戒壇の大御本尊」を、三大秘法総在の本尊と申し上げる。(折伏理論書・改訂版124頁)


つまり、戒壇だけが義(理)であるということが、道理が通らないのです。合すればただ本門の本尊の一大秘法と言っておきながら、本尊も事(本門の本尊)+題目も事(本門の題目)+戒壇は義(理)=三大秘法にはなりません。また、合すればただ本門の本尊(事の一念三千)の一大秘法 となりますか?


現在の浅井会長の主張なら、国立戒壇までは事の戒壇がないのですから、(本門「事」の戒壇)が欠けることになりますよね?


だから、二・五大秘法と言っているのです。顕正会員のみなさんは、そこが理解できていませんよね。三大秘法ではないですから、もちろん六大秘法にもなりません。



まあ、三大秘法が未完成で、本門の本尊も『義の本尊』、本門の題目も、『義の題目』なら道理が通りますが・・・ね。(笑)


ですから、本門の戒壇についてだけ義(理)ということには、ならないでしょうが!



また、小乗戒壇 奈良の東大寺、下野の薬師寺、筑紫の観世音寺、延暦寺の迹門の理の戒壇に対しては、日蓮正宗は本門の宗旨ですから事の戒壇とならないと可笑しいですよね。


顕正会員のみなさんにお聞きしたいのですが、仮に天台宗から大御本尊御安置の戒壇について詰問された場合に、義(理)の戒壇と答えるのでしょうか?



顕正会員のみなさんには、難しいかもしれませんが読んでみてください。


・・・・…・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



摧破異流義考 より


かかる「事」の二重の意義を、初めて体系的に明示あそばされたのは、日達上人であられるが、これを浅井の息子の克衛あたりが、小生の初めてなした大誑惑、と喚いているらしい。じつに恐るべき無知という以外ない。


そもそも、本尊・題目については「事」の二重の意義を認め、戒壇についてだけは認めない、というならば、三秘それぞれの円融相即性を否定する邪見となり、理の通ぜぬ闇者と呼ばれてもしかたがないではないか。


およそ、広宣流布以前に事の戒壇がなかったり、広宣流布によって初めて三大秘法・六大秘法が成就するなどということは、よくよく考えてみれば、大聖人が宗旨を成就せられぬまま御入滅されたことになってしまうのであり、本仏日蓮大聖人の円満無欠の御化導において、かかることがありえよう筈がない。


もとより三大秘法・六大秘法は、悉く一大秘法たる弘安二年の大御本尊に収まり、大聖人一期の御化導中において究竟しているのである。ゆえに日寛上人は、『依義判文抄』に


「三大秘法総在の本尊を明かすなり、総在の本尊とは題目・戒壇の功能を具足する故なり、亦一大秘法の本尊と名づく、題目・戒壇の功能を具すと雖も但是れ一個の本尊なるが故なり」(聖典八六七)


と仰せられているのである。また、事の戒壇について明かされた『三大秘法抄』に、「此の戒法(※事の戒法・事の戒壇)立ちて後、延暦寺の戒壇は述門の理戒なれば益あるまじ」(御書一五九五)


と仰せられている一節についても、広布を待って初めて事の戒壇が顕われるというならば、それまでは述門の戒壇によっても益がある、ということになってしまうではないか(むろん、すでに延暦寺には真言の邪法が混じり、像法適時の述門戒壇という意義すら喪失していたのが実態ではあるが)。


やはり、大聖人によって末法適時の大法たる事の一念三千・三秘総在の大御本尊が開顕せられた時、すでに大御本尊の当体のところに根源の本門事の戒壇は具足していたのであり、同時に、日輪の光明に月の明かりが消えるごとく、述門の理戒もその一切の利益を失ったのである。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・




顕正会員のみなさん、少しは自分の頭で考えてみてね!






最終更新日  2009年09月20日 16時24分04秒
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