総本山寛師会(於 常唱堂)H4.8.18日寛上人について理境坊住職 小川只道御尊師 5
日寛上人について 理境坊住職 小川只道御尊師つづきです。真の広布へ共に精進 最後に、日寛上人の広宣流布観こいうことにつきまして述べたいと思います。『撰時抄』を解釈された『撰時抄愚記』というものがございますが、その中に 「一葉落つる時は皆秋を知る。一華開ける日は天下の春なり。豈広宣流布に非ずや。況や逆縁に約せば日本国中広宣流布なり。況や如来の金言は大海の塩の時を差(たが)えざるが如し。春の後に夏の来るが如く、秋毫(しゅうごう)も差うことなし。若し爾(しか)らば終(つい)には上一人より下万人に至るまで、一同に他事を捨てて皆南無妙法蓮華経と唱うべし。順縁広布、何ぞこれを疑うべけんや。時を待つべきのみ」 と仰せられております。 ここに日寛上人の広宣流布に対する一つの確固たる御意を感ずるわけでございます。 もう一つ挙げますと、享保九年、覚応日相という方、後の三十一世日因上人ですが、細草談林で学ばれていた頃に、下総に寺院建立の発願をするわけでございます。そして、それを日寛上人に申し上げる、それに対して日寛上人の御返事がありまして、その手紙の中の一部ですが 「たとえ小庵たりとも本門の本尊を安置し奉り信心強盛にこれを祈らば見よ見よ十年、二十年に下総・上総をなびかす大地になるべきこともまたはかりがたし、ただただ好もしきは是好良薬今留在此乃至於後五百歳中広宣流布の経文なり、この経文むなしからずんば一閻浮提尚広宣流布す、況や日本国中をや、日本国中、なおしかなり、況や下総上総をや、たのもしたのもし」 という御文を贈られているわけです。覚応日相、後の日因上人は勇気百倍して当時の江戸の檀越に浄財を募って一寺を建立され、これが現在の東金の本城寺であるわけです。 こういうことから、日寛上人の広宣流布に対する大確信、そうした御心を深く感ずるものでございます。 今日、これを創価学会という信徒団体に当てはめてみますと、創価学会は一時はたくさん折伏して三百万世帯だか六百万世帯だか判りませんが大勢の人を正宗につけた、そういう点はあると思います。しかしながら、謗法を犯して注意されたら日蓮正宗を出ていくということになってしまう。このことにより広宣流布という概念が一夜にして変化してしまう創価学会の人が、本当の意味での信仰をして、大聖人様の仏法を学んでいたのか、また日蓮正宗の広宣流布を思って修行していたのかという点について、私は大いに疑問があるわけでございます。 皆さん方法華講は、大聖人様の本当の仏法を学んで、それぞれの指導教師と共に本当の意味の広宣流布をめざして御精進なされ、更に皆さん方の身の上におきましても、大きな功徳を積まれますことをお祈り申し上げて、つたない講演ではございましたが、本日の話とさせていただきます。たいへんごくろうさまでございました。(大白法370号)******************************いや~、最近の顕正会員のご宗門への帰伏への流れはすごいですね。元々は、真面目な方が多いから、正法を求めて自らお寺へ出向いていく方もおられる。時が来ているのかねえ~、会長さん。(爆)おいらが、入信した頃なんて、携帯電話なんて一部の幹部しか持っていない時代で、ほとんどポケベルだった。(爆)49(至急)連絡くれみたいな。ヾ(´ヘ` )ッ ヤダヤダァ!!携帯電話(おいらはギリギリまで持たないようにした)が普及し始めると、顕正会員のために発明された様なものだとか、上長が言っていたな~ (~▽~;) ソンナアホナ・・・富士の地下水まで達した教学のある会長さんも、まさか携帯電話でネットが見れる時代が来るとは想像できなかったでしょうからね。会員さんを、ずっと騙し通すつもりだったのかも知れないが、元会員がこれだけ顕正会の矛盾に対し声を上げると、もう騙し通せませんよ、会長さん。