曖昧言葉ここ最近、ある言葉遣いが気になってしかたありません。「○○のほう お持ちしました」 「○○のほうでよろしかったでしょうか」 なんでもかんでも「ほう」がつく。 コンビニで、飲食店で、特に若い人に多いようだ。 もひとつは、 「○○になりますがよろしいでしょうか?」 「5800円となっていますがよろしいでしょうか?」 お勘定や単にシステムを説明するだけなのにいちいち、よろしいでしょうか?とくる。 あまりに、頓珍漢なよろしいでしょうか?には思わず突っ込んでしまう。 「よろしくありません」(キッパリ) ほとんど全員、えっ となる。 つまり、彼らの「よろしいでしょうか」は、本来の相手を気遣う「よろしいでしょうか」とは全く違うようだ。 共通する点は、言葉の曖昧さか。 仕事で人と会話すると、これまた突っ込むことが多い。 やはり、キーワードは曖昧さだ。 曖昧な表現の言葉で話す人。 話しの脈略が曖昧に終始する人。 すべて、突っ込む。 でも、ほとんどの人は学習しない。 そこから感じる共通するキーワードが存在する。 国会答弁の中継や大部分の政治家が代表格だ。 たまたま購入した本が、鋭く解説していた。 確か「アメリカインディアンの教え」を書いてる、加藤さんという心理学者だった。 言葉は、重要だ。 本人が気づかないうちに自身に浸透する。 そして、本人は気づかずに内面を他人へ発信してしまう。 ジャンル別一覧
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