過去~第一部19歳で化粧品会社のルート営業に就きました。当時そのメーカーのブランドイメージは低く、地域でのシェア争いでは常に最下位の状況。自身はといえば、高校を卒業したばかりの知識、経験、営業力すべてにおいて未熟な青臭い男でした。 高卒という学歴コンプレックスと、どうしても社会から認められたいという強烈な願望をエネルギーにして、青臭い19歳は猛烈に市場にアタックしました。 しかし、何の武器も持たない新人営業マンが、担当販売店に対しできることは店内の掃除くらいしかありません。 そこで営業車には掃除道具一式を積み込み、時間を作っては商品の並び替えを兼ねた掃除を半ば押しかけ状態で続けました。 結果、担当販売店からの絶大な信頼を得ることができたばかりか、誰よりも商品知識、構成、他社製品に関してまでの情報通となり、急激に営業成績はトップクラス入りしました。 その後、担当地域全体を商圏とした経営者として自分を仮定し、ライバルメーカーを取り扱う地域有力販売店に対し、新規取引攻勢を仕掛けました。 当事付き合っていた彼女がライバルメーカーの営業マンと婚約するという衝撃的な事件も手伝い、私怨と使命感のエネルギーで執念ともいえる飛び込み営業を続けました。 記念すべき最初の新規契約店は通算2年数ヶ月、述べ300回を超える訪問によって口説き落としました。この成功体験を皮切りに、その会社に在籍した8年は、ほぼ毎年、営業コンクールトップの記録を打ち立てました。 しかし、気がつけば惰性と守りの日々。そんな自分に誇りを失いかけていたとき、妻が懐妊、私29歳の春でした。 父になることを自覚したとき、こんな言葉がハッキリと脳裏に浮かびました。 「このままじゃいけない。生まれてくる子供に誇りを持って生きる姿を見せなくては」その冬、10年にわたるサラリーマン生活に終止符を打ちます。 社宅を追い出され、住む家すら定まらない中、縁あって「実演販売」の代理店業務を始めました。 目の前で展開する、流れるようなマシンガントークと実験を交えて健康器具を魔法のように実演販売する光景に衝撃を受けました。 しかし、「俺には無理だ。これはもって生まれた才能がないとできない。 俺にはその器なんかない」しかし、設立した事業を辞めるわけにも行かず、逃げられる状況ではありませんでした。 第二部へ |