メルマガ試し読み
木枯らし吹きすさぶ箕面山荘からお送りしています。さて、今回の話題は『儀式』『儀式』とは??【誕生から、育児、結婚、死に至るまで人間の生活にはさまざまな儀式が伴っている。こうした人生の節目の儀式とは別に、普段の衣食や、地方の祭礼などの中にもさまざまな習俗、習慣、しきたりがある。これらの風習の中にはその由来が忘れられたまま、あるいは時代とともに変化して元の原型がわからないままに行なわれているものもある。】だそうです。なかでも仕掛けウォッチャーの好奇心をくすぐるこの言葉【時代とともに変化して元の原型(意味)がわからないままに行なわれているものもある】・・来た来た・来た来た・来た・来た来た・来た・来た・来た・・・・・・・・・来ましたぁあああああ!!このニュースどうぞ。『大阪発「節分」全国に=無言で一気「丸かぶりずし」-なぜか北海道、九州の若者も』 節分の日に、巻きずしを無言で一気に食べる-。大阪限定だった風習「丸かぶりずし」が急速に全国に広まっている。解説すると、節分の日に今年2005年の恵方(えほう=福を招く方角)申酉(真西よりやや南寄り)の方角に向かい、かんぴょうや甘辛く煮たしいたけ、卵焼きなんかを海苔大判一枚で巻いた巻き寿司丸ごと1本を無言でムシャムシャと家族全員一丸となって一気に食すことにより、家内安全、無病息災、一族繁栄なんかを祈ろうという大阪発の新儀式のこと。この儀式のため大阪人は毎年節分の日を複雑な気持ちで迎えるのだ。なぜか?以下は、平均的な大阪人の節分当日の様子である。節分における従来の儀式である『豆まき』と比較するとかなり身体的、精神的、経済的な負担が大きいこの新儀式。自虐的ギャクで知られる大阪人が生み出した苦行のひとつである。なぜなら、店頭で売られる節分用巻き寿司は細巻きではなく太巻き(ぶっといヤツ)なのである。太巻き寿司を一気に端から丸ごと1本無言で平らげる。言葉で書くと一見簡単そうだが、実際は数々の困難に出会う。まず、太巻き寿司を1本という量の困難さが挙げられる。最初の一口から半分くらいまでは何とか一気にいける。問題は残り半分に差し掛かるころからはじまる。単調な食感にまず飽きが来る。しかし、一気にという儀式上の定めから間違っても漬物などに手を伸ばしてはならない。食感に飽きが訪れれば当然、脳からは「満腹ですよぉ~」の信号が送られる。つまり、巻き寿司残り半分からは気力の勝負となるのだ。さらに苦難は続く。家族みんなが同じ方角を向き、無言で太巻き寿司を口に咥えている姿ほどマヌケな図はない。しかし儀式の定めにより『無言』を求められる。笑いなぞはもってのほかなのである。笑いを封印されたら大阪人にはキツイ。さらに、「結構キツイよねぇ」「ふぅ~ まだ半分かぁ がんばろうね」なんて、励ましや自嘲の言葉すら禁句なのだ!笑いをかみ殺しつつラストスパートにかかったとしよう。そこには身の毛もよだつ苦難が待ち受けているのだぁああ。・・・・・・・・・・・・・・・ふぅ~ 勝手な妄想はこのくらいにしておこう。真面目に読んだ方スイマセン・・・。ただ、ネットに流れたニュースがいい加減なんです。「無言で」「一気に」なんて大阪人もビックリです。そんなわけで、業界の意図的な思惑から生み出された日本ならではの『儀式』的行事は私達の周りに溢れかえる。・婚約指輪はお給料の○ヶ月分・バレンタインデーにはチョコ・七草粥・土用のうなぎどんどん儀式離れが進むこのごろとはいえ、どっぷりと深く刷り込まれた暗示に対する畏れや条件反射的な従順反応は簡単には消し去ることが出来ないのである。ふふっこれはチャンスです。。ネット社会が浸透すればするほど、新たな儀式的行事を創造することの可能性が高まるような気がする。例えば、たくさんのネットショップが集団となり明確な意図を持って情報を一気に流布し「節分は巻き寿司まるかじりですよ」に変わる儀式を生み出すことなども楽しそうだ。それによって新たな需要が起こり、景気に刺激を与えるきっかけとなればよろしいのではないか。是非、ネットショップ店長さんたちには思わずぷぷっと吹き出すような仕掛けを考案していただいたいのである。