10月のバラ 【13】

10月の薔薇




10月のバラ―ナズラットサマンーン村


ナズラット5




ナズラット・サマーン村の結婚式の宴はまだまだ宵の口であった。       
この村は世界一有名で世界一ミステリアスな遺跡の高台縁に沿った町の一角にある。  
遺跡を目指してはるばる極東の地から訪れた私たちであるが、遺跡に心を打たれたれることはなく、この日常の狭間の祝宴に身を委ね、幸福な一時を過ごしている。  
 この時、私にも彼女にも間違いなく別の時間が流れていた。
300平方メートル足らずの空間がどこか別の星での出来事にさえ思えた。 
一期一会の人々の顔を一人一人数えながら、今度はしっかりと肉眼で見まわした。壇上のブルース・ウィリスことパンチ歌手は息上げながらも、休憩を挟むことなく歌い続けている。バンドメンバーはドラムにギターにキーボード、ベースそれにタンバリンの5人。彼らもご苦労なことだ。タンバリンのお兄さんは一心不乱に音を止まさずタンバリンと格闘しているかのようだった。バンドマンの晴れの日も見事に成就した。そして、コロンボさん。入れかわり立ちかわりステージに上がってくる来客を心得たとばかりの気っぷの好さであしらったり乗せたりの対応をしている。          
「腰はこうやって振るの!」よっ!ナズラット・サマーンの宴会部長。いっちゃってる。ステージにいるべきもう一人の仕切り屋禿鷹じいさんの姿はなかった。宵も深まって、 ご老体の身にはお辛いのだろうか?まさか、いっちゃってるんじゃあ?違う意味で。  
ジョージやジョンは隅っこの方ですっかり鳴りを潜めていた。         
祭りはやはり楽しむすべを心得た者たちの劇場だ。              
人生はロンドなのだから。                         
ゲーリーは相変わらずじっとして動かないし、苦虫つぶしたような顔をしているが、彼の膝元には彼の息子(親父そっくりながらも愛嬌のあるミニラ)がちょこんと乗っかっており、ユーモラスな雰囲気を醸しだしていた。洒落っ気あんじゃん、おじさんっ。妻の横にデーンと座りこんだままのマツ・カメ・ウメさんらの「ギャハハハ」以外の声を聞かずじまいだ。また、笑っとる。まだ、笑っとる。    
黒人女が抱いてる赤ちゃんはとっくに眠りについた。でも強い母は子を肩に乗せた、まま体をゆすっている。リズムは彼女のためにあるようなものだ。     
派手シャツおじさんの姿がない。彼の役目は本当に全うしてしまったのか?まさか楽団員たちまでも宴にはご用済みなのだろうか。飽き足らず、迷路を練り歩いていいるかも。馬引きの子分は結局ここに姿をみせなかった。今頃馬の手入れをしているのだろうか。明日も灼熱の太陽と乾いた土埃の台地で私たちのような鴨を狙うモーセスに従っていることだろう。私は聞きはしなかったがひょっとして彼はモーセスの息子ではないかと、頭をもたげた。そのモーセスである。         
人々の顔を確認するように広場を眺めまわす私と眼があった。        
「楽しんでるかい?」彼の眼はそう訴えかけていた。             
彼までもが善良なる市民の顔に映って見える。モーセスの顔が別れ間際のテーイップの笑顔に重なり、またテーイップはモーセスの顔にすり変わるのだった。   
ステージ上のパンチ兄さん一座のバンドマンが奏でる音楽はますますヒートアップ
していく。聴覚は旅の重要な記憶の一部となるが、私が口ずさんでいたのはもっとw別の音だった。
 それは、モーセスに引導されてあの角を曲がった時に耳に飛び込んできた行列の楽団の音であったり、アスワンでのプリミティブなヌビアのお祝いや戦闘を鼓舞するときの音であったり、日頃慣れ親しんでいる、愉快な一時の渦中の音であったりした。デッドオアアライブの「ラッキーデー」であったり。愉快で踊りだしたくなるような、晴れた日の私のテーマソングだ。決して、「河内音頭」ではない。
ましてや、カイロの ハーン・ハリーリのテープ屋「アル・サウィ」で買った「アラブ歌謡大全」ではない!(無理矢理写真に収まってもらった、うら若き店員はムチャ可愛らしかったけど・・)
そう、今夜はまさしく「ラッキーデイ」であった。
しつこいが「河内音頭」ではない。
が、そのラッキーデイよいつまでも、と願うのは叶わぬことだった。 

   
 いつまでもこの広場で戯れているわけにはいかない。時間は決して止まらない。相棒はモーセスに唆され、今度はアリたち新婚さんの前へ進み出て、 よせばいいのに例の棒を両手に掲げて腰振りに興じている。                
ビデオをまた奪い取って「お前も行け」と、モーセスの子分2号が相変わらずニタニタして無言で圧力かけてきた。彼はどこかで見たことがある、というかこめかみあたりに顔が浮かんでいるのだが、なかなか名前と顔が出てこない。      
私はまた(誰が期待しているわけでもないのに)一人羞恥心を露にして、ご両人とは最初の馬車以来の接近にもかかわらず、挨拶一つできなかった。       
おまけに、すでに何も持ち合わせていないことに(これまた、期待されているわけでもないに)、一人で気後れしていた。 
ジョンウェインに地元の煙草を渡された。本日、 彼とは始めて正面きっての遭遇だ。  
「これを新郎に勧めてあげなさい」彼の「流し目」の残像がガラガラと音をたてて崩れていく。私はますます自分が小さくなってしまい、藤椅子からそうそうに引き上げた。  
私の晴の日の物語の潮時でもあった。                    
いつまでも、ここに留まっているわけにもいかず妻に伝えた。         
「明日、ギリシア行けんかったらいかんから、もう帰ろうか」         
彼女は「今」を楽しむ術を知っている人だったので、心残りな素振りもせずに、シャイマーやお世話になったオババたちに段取りよく挨拶を交わしはじめた。   
モーセスこそは、心残りの様子で、                     
「ホテルまで送ろう」と申し出た。また、馬に乗せられ「20$」じゃ、割に合わん。 
「もう充分してもらった。二人で帰れるから大丈夫」にも納得しない。     
というか、当方の英語のボキャブラリーが少し増えただけで、しらん顔するのだ。「私は英語のわからない生粋のアラブ人です」                
結局、モーセスの子分2号がニタニタしながら道案内することになった。                                         


 あの夜の出会いを、 至福の一夜の全てを、今でも夢心地で邂逅するときがある。ナズラット・サマーン村のある一角で繰り広げられた結婚パーティーは幼い子供たちまで巻き込んで、眠りも知らずに明け方まで続くことだろう。        
しかし、-通り過ぎて行く-人である私たちがいつまでも留まっているわけにはいかなかった。幕は自分で降ろさねばならないのだ。              
私は表裏一体の出会いと別れのけじめをつける術を知らず、共に親しみ楽しんだ多くの今宵の「同志たち」へのお礼もそこそこに、いや言葉すら交わすことなく去
る。今度は子分に従いながら、広場へたどり着いた電球のアーチを潜り、電球がなくなるとすぐに真っ暗になる小路を歩いている。後ろ髪を引かれるヘンデルとグレーテルの心境で。  
パンチパーマの兄貴の歌声がどんどん遠のいていく。             
振り返ればオババたちの姿が見えるはずだったが、後ろ髪を引かれる思いをしながらも前へ進むことを使命であるかのように振り返らなかった。         
せめてオババたちにだけでも丁重なお礼をすれば・・いや、私はその時、予定調和のごとく根拠もなく心に期するものがあったのだ。              
      

---また、必ず、 ここに、帰ってくるから・・・---予定調和・・・?   
オババたちはこちらを見つめてるだろうか?今度こそ高らかに笑いもせず澄んだ瞳で。 
それより何より子供たちとの別れがいじらしく、胸がうずく。         
彼女らはいつか人生の狭間で私たちのことを、妻の周りを輝かさんばかりの気品を思い出してくれるだろうか?                        
今の彼女たちにとっては、別れのつらさというか、ゲームが終わった虚しさくらいにしか捉えることはできないはずだから・・・。               
その時、 一斉に背後に近づいてくる歓声が土壁が迫る狭い通路に響いた。    
シャイマーをはじめいつものメンバーが私たちがいないことを察して追いかけてきたのだった。子供たちのほうが、ずっと敬虔で情念深い。           
シャイマーは誰より素早く妻に飛びつき、ともに不慣れな抱擁を頬と唇で交わし
た。シーワが次は私とせがんでいる。妻の服袖は何本もの手で引っ張られ伸びきっている。シャイマーは何度も口づけを交わした後、我に帰ったように踵を返して、
一目散に広場へ駈け戻って行った。                     
一度も振り返ることなく。
最後の最後まで強烈な印象だけを残して。         
彼女は全力で走り去ることにより、幼いながらも彼女なりに別れのけじめと日常へ帰って行くことを潔しとしていたのかもしれない。              
それとも、それは深読みしすぎで、たんに去る者は追わず、より楽しい祭りに還っただけなのかもしれない。きっとそうだろう。                
いずれにせよ彼女が去ったのではない、私たちが彼女の目の前を駈け抜けていったのだ。
シャイマーが去って、妻を巡り争奪しあう無法地帯と化した。         
「客に迷惑だ、はやく広場へ戻れ」                     
子分2号は子供たちを蠅を追い払うように手払いしていた。          
妻はなされるがまま、困惑している。                    
私は私でギザのキザ屋君とゆったりと和やかに握手を交わしていた。      
シーワも抱擁交わしたし、もうそろそろいいかなと、どんどん広場から離れていく子供たちのことも考えて親心でもう戻りさいと、バイバイしながら手で払うような恰好をしたら、子分にますます火を焚きつける恰好になってしまい、子分はますます凶暴になってシーワたちを追い払ってしまった。ありゃりゃ、とんだ幕引きになってしまった。  
だが、まだ、間に合う。女の子たちは一斉に振り返り、私たちは同時に叫んだ。 
「バイバーイ」とシーワたちは叫び、                    
「マッサラーマ」と私たちは応答した。











 


                     



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