モロッコ紀行【晴れた日に旅に】

 


                                       



        -晴れた日に、そして、旅へ- 



                                                                

つむじ風がやがて大きな砂塵となって青い空へ抜けていくように、またエキゾチシ
ズムがザワザワしはじめる。                        
雲に誘われ、青空に吸い込まれ、風に呼びさまされるままに、また旅に出る。  
モロッコへ。                               
旅ほどワクワク、ドキドキするものはない。                                                            

 倦怠の漂うバンコク国際空港を飛びたち、(-倦怠の漂うバンコク国際空港-こ
んな形容は関係者にとって迷惑千万かも知れないが、私の体験したことはこうだっ
た。   
トランジットの1時間は最悪だった。
オリンピック航空のエコノミークラスの最後尾の席を最後に立ち眠気まなこの私に
はトランジットカードが行き渡らなかった。     
眼鏡をかけた色黒いインテリ風ふかせた男は退屈そうに、ないからもういいと言っ
て、私を通した。
そして、1時間後に戻った私に男はこう言った。            
「トランジットカードがない!?なぜだ?航空券をみせろ」こうまくし立ててき
た。  
威厳と英語に弱い私は、ただ唖然とするすべしかなかった。          
それからもう一つ。
免税店でタバコを求め、マルボロ一箱抱えてカウンターへ赴いた。 
待っていたのは、うつ伏せして眠っている売り子の女たちだった。)      
少しうとうとしてから窓の外を眺めた。                   
機内の窓の外は漆黒の闇に変わり少しづつだが色どられていくようだった。   
地平線がすこしづつ色の線をつけていく・・。                
朝の空には色の手順があることを、その時はじめて体験して知った。      
淡く、濃く、青、紫、桃色づいてまたオレンジにかわり、黄金色、赤・・・・。 
人の手で織りなすことはまずもって不可能だろう。              
「何ものかの手」を感じたとき、人々の意識は成層圏外へと飛翔するのだろうか。
原始宗教とはそういう体験の啓示かもしれない。               
そんなことを考えながら、眼下を目線の地平線をあきることなく眺めていた。  
やがて2度目の機内食の時間になった。                   
オリンピック航空はめずらしく皆、スチュワードだった。          
「飲物は何にする?」恰幅のいいスチュワードが儀礼的に尋ねる。       
「赤ワインを」と当然の如く告げた。                    
まだ、日本人の多くは「ビールでいいや」という時代だった。         
スチュワードはうれしそうに、                       
「ナイスボーイ」と言って後で頼もうと思っていたのに一辺に2本持って来てくれ
た。 
ウヒャウヒャとワインをがぶ飲みした。                   
そして、その恰幅のいいスチュワードにもう2本追加するのに1/4ボトルでは、
そう時間はかからなかった。
それでもスチュワードはうれしそうに持ってきてくれた。   
あげくに「ギリシアは白も美味いぞ。白はどうだ」と無邪気に勧めてきた。   
「もちろん」と喜んで貰った。                       
また、2本持って来てくれた。                       
「フィニッシュ」と私にウインクしてみせた。                
そして、私の横のシートでいきなり寝はじめたのだ。             
勤務中でなければ一緒に杯を交わしそうな、そんな和んだ最後部席だった。   
ほろ酔い気分でまた窓の外に視線を移す。                  
高度はかなり下がり、眼下は絵にも描けないような砂紋のシーツが広がっていた。
「砂漠か・・・」                             
おそらく、この砂漠はアラビア半島のどこかだろう。             
その時、直観的に、次はアラブ圏の国のどこかへの旅になるのだと感じていた。 
飛行機はやがて海にでた。
すこしづつ高度を下げ、エリニコン空港へ向かっている。  

あの時の窓の下の風景を思い出す。                     

1991年8月14日のことだった。                    
第5次中東戦争(いわゆる湾岸戦争)の終結さめやまぬ時節の旅だった。
トルコ行きはそれまで危うい橋をわたる様相だったが何とか滑りこめたのだ。                                       

そして1992年7月10日、私は一路カブランカへ向かう機内にいる。    
アフリカとアラブ、ヨーロッパ、砂漠と地中海と大西洋が交錯したかの地、モロッ
コをめざしている。                            
イベリア航空はモスクワ経由だった。                    
シベリア湿原の上空で、地平線から顔を出す太陽をみた。           
モスクワへは8時間のフライトで着いた。                  
かなり早い時間だったからか、トランジット内に人はあまりみかけない。    
飛行機が降り立つとき感じたように、空港内設備もかなり疲労しているようだっ
た。  
それに合わせるかのように人々の顔もどこか心なしか暗い表情に見受ける。   
薄暗い空港内を散策する。                         
2階のアイリッシュ・バーでは数人の旅芸人風情の男たちがウオッカの瓶をテーブ
ルに何本も置き、黙々と飲んでいた。                    
アルコールの匂いが充満していた。私のロシアにこめた唯一の印象だった。   


1991年8月21日---ギリシアからの帰途に向かうエリニコン空港の売店で
求めた新聞の一面はゴルバチョフの顔が大きく載っていた。          
ギリシア文字の大きな見出しでは何を意味するのか全く読み取れなかった。   
帰国後、ゴルバチョフが失踪したことを大きく日本のニュースで取り扱っていた。
アラル海沿岸の村かどこかに監禁されている恐れがあるらしい。        
クーデターだった。                            
だが、それは世界中の嘲笑を浴びることになる茶番劇であることを知るのにたいし
た日月をようしなかった。
次の「国の顔」は単なるパフォーマンス好きの酔っぱらいだった。 
さらば、ロシア。さらば、モスクワ。                    
1時間後モスクワ空港の滑走路から眺めた飛行機のフラッグはどれもが旧ソビエト
連邦の赤の国旗、そのままであった。
トランジットは旅人の気鋭を削ぐ中継地なのか?    
憧れの地へ向かうのに、いつも何がしかの心痛を味あわねばならないほど、地球は
まだまだ、広かった。
そういえば、アンカレッジ空港での妙な大阪弁ももの悲しかった。   
マドリッドを早朝のフライトで立ち、いよいよ地中海を隔てたアフリカの大地へ。
地中海をものの5、6分飛ぶとリーフ山脈が湾曲した海岸沿いに見下ろせた。  
アフリカだ-------- 。                      
雲のかすかむこうは雪をかぶったアトラス山脈も見え隠れしている。      
ハッサン5世国際空港に降り立つと、今まで嗅いだことのないような匂いがした。
地中海周辺の町には独特の匂いを感じ取ることがあるような気がする。     
マドリッドではレモンと羊の頭のグリルの匂い、イスタンブールはレモン水の匂
い。  
アテネはミモザの花とオリーブの匂い、ローマはにんにくオレガノなどなど・・。
そしてベニスは冬だったのにマリーゴールドの花。カサブランカはどうであろう?
パスポート審査をいつもと同じようにドキドキしながら通過した後、バッケージを
待つ間、ツーンと鼻に突くような匂いがした。                
経験のない匂いにとまどった。
旅は5感の一つ嗅覚の発見の旅であるのかも知れない。 
しかし、空港をでる時、それは、突貫工事中の石灰岩の匂いだとすぐにわかった。
からっと晴れた日だった。                         
やはり、日差しが強い。                          
最初に目にしたのは、案の上と言うべきかナツメヤシの木々だった。      
空港の外の広場には、私達旅行客を歓迎するかのように緑星と真紅の国旗が何本も
はたはたと、はためいていた。                       
カサブランカへ向かうハイウエイにも100メートル感覚で旗を見かけた。   
ここは、王国。                                 

そして旗の意味するのは--------。                 
今日は、ハッサン国王の62回目の誕生日だった。              
何かとてもいいことがありそうな、そんな晴れた日だった。 



おわり





           


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