YA GAGE ――「魂」のなかの死――
12月より連載でお届けしてきた、150億年前のはじまりとされる、――その『時』から人類誕生まで、――そしてこれらの各章に万華鏡のように隠されてきた、アタシなりの「気づき」の幸福手帳も、、、いよいよ最終節です。
私「たち」を遥か彼方への冒険に誘ってくれた科学的発見の礎になってくれた膨大な量の宇宙物理学、分子生物学、古生物学、考古学、歴史学、哲学、地質学、などの書物たちに感謝いたしたい。
人類はかくして誕生しました―――。
約300万年前は東アフリカにわずか15万人だったのが、200万年前に地球各地に数百万人、一万年前は2000万人、200年前には10億人、そして現在60億人、遠からず100億人になろうとしています。
我が人類は世界各地で分化してきたと思われがちですが、人種という概念があるとお思いですか?
植物学や動物学には亜種という概念がありますが、ヒトに適用するのは誤りです。
私たちは皆、「サピエンス・サピエンス」なのです。
ヒトに亜種、、つまり「人種」というものはありません。
混交はきわめて進んでいて、組織、細胞、分子いずれのレベルにおいても、人種による区別などは何の意味ももたらさないのです。
では、人類の人類たる所以は何でしょうか?
チンパンジーなどを観察してみてください。
ある種の行動が人間そっくりなことに気づくはずです。
ウブなオスはなかなかメスに言い寄れません。
人間社会が母子相姦のタブーの上に成り立っている、と指摘した有名な人類学者がいますが、このタブーはチンパンジーにも存在します。
では、愛や意識などの情動によって定義できるのでしょうか?
情動より高度な意識が存在します。。。。。
―――それは、「死の意識」です。
誰もが、かけがえのない存在で、死は取替えしのつかない出来事だと悟ること。。
これこそが、『反省的意識』の定義の核心をつくのだと思います。
それが、自己、他者、世界、時間を意識するということなのです。
「私たちは」、同一の起源をもっていることをお届けしてきました。
いかなるヒトも、これを読んでみて、同胞愛が生まれてきませんか?
はたして、人間はとても、とても脆弱な生き物でもあります。
もし、赤ちゃんが「人間社会」以外で育てられたなら、いかなる人間的能力も発揮できずに、立って歩くことさえもできないらしいです。
今日、私たちの尊厳ともなり、また責務でもある、このもろく壊れやすい『自由』を獲得するまでには、私たちの「起源」の全過程を、「誰かのまたたき」のような速度で、1ケ月に渡りお届けしてきました―――。
一貫して「気づき」がテーマと申しながら、気づいているのはアタクシ自身と片手で数えるほどの(もない><)わずかなカフェの読者というココロもとない1ケ月でありました。。。。。。
正直、ほとほと疲れてもいます。。。。
「何者かに」つき動かされるように、かなりの『魂』を傾注してきましたもので・・・・。
ウブなあなた方のために、次回に今タイトルの総集編をお届けすることにして、
サヨウナラ。
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jambo!buana!
ハロンボ~~♪
JAMBO BUANA(VIVI)!
HABARI GANI MUZURI SANA
NASINDOWA NA MALI SHINAWE
KIDEGE KUKUWAZA KIDEGE
NINGEKUOA DADA
こんにちわ、みなさん。
僕は恋に陥ってしまい、
大好きな人と結婚したいのに、
お金がなくてどうしようもない。。。
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ジャンボ、ブアナ(ビビ)!みなさん。
今回は、アフリカはスワヒリ語の
ちょっぴりせつない(笑)詩
を書いてみました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
って・・・・・・・w
PCの後で、、、なにか、、、気配を感じるのですが・・・・・
な、、、なんですの?フテキな微笑浮かべて、、、ハニーチャマ♪・・・・・・・@@
つづく