テーマ:旅にでよう★(531)
カテゴリ:旅はいつだってワクワク♪
![]() 二月に一度の日曜日のお昼はパパ’ズカレーつくりw 香辛料を気候や湿度の按配で配合・投入する 鶏一羽のぶつ切り完熟トマト、ヨーグルト、エトセトラ完全北インドスタイルw 大鍋につくり、翌々日あたり半分食べ終えるころには、南インド風にひよこ豆投入してダールカレーw 肉も溶けるころにはひき肉をいれキーマ、ベイリーフやレモンリーフで風味をスリランカスタイルに、 そのあとオクラを大量に、夏野菜を色とりどりとバリエーション変えてw そして最後は日本のジャワカレー中辛あたりと別ににんじんじゃがいもタマネギで日本の味にホッw 弁当にもあらゆるものにソースがわりにwと、一回作り始めるだけで10変化のカレーです。 あとは、ベーコエッグをのせたり、トンカツ、エビフライ、かき揚げ、とっぴんぐも気分しだい、 そのうちカレーうどん、カレーラーメン、エトセトラ朝昼晩でもいいくらいw なくなる寸前、ひよこ豆を和えてすりつぶり素揚げにして、エジプト風コロッケ=ターメイヤw 肉団子を作り、別鍋でトマトとコリアンダー、ヒヨコ豆投入して溶かし込んだスープはアラビア風タジンやレバノンスープにはやがわりw パンに閉じて揚げればカレーパンwエビ天に隠し味で添えて天むすw 鍋の底に最後は大量レタスと自家製チャーシュウ投入しチャーハンにしておしまいw だいたい10日間ぶっつづけの世界一周旅行になるのだよw 鍋底こげるので、ウチはいつも大きな鉄の中華鍋でカレーします。 ********************************************************************* ![]() ![]() ![]() 私たちは、いながらにしても旅している。 四季を旅している・・・・。 たとえば・・・・翻って、我が家の庭と畑の3月では・・・・・ 家の庭を旅してみよう ************************************************************************ ![]() ![]() たとえば、エジプト ルクソール編――― その時、走馬灯のように思い巡らしたことがある。 私は、あるいは私たちはいかに朧で危うく、儚い「情報」の上を綱渡りのように怯えて渡っていたことかを。 しなやかに暮らす人々をいかに軽蔑の視線で追っていたかを。 ――――――カイロに暮らす人々が私たちをつけ狙うスリばかりではない―――――。 ゲジラ島のシェラトンで部屋に入るなり電話が鳴り響き、受話器を取りたじろく私に、「部屋はどうですか?気にいらなかったら、別の部屋を要求することができますから、バスや設備、照明器具はおかしくありませんか?」とまくしたてて尋ねてきた空港からホテルまでの送迎に付き合った運転手とも入国審査の手伝いをしてくれた男とも違う、私たちには「存在が?」だった男。 「部屋は変えなくてよい」 と私が告げた後、2名のポータが入れ替わり立ち替わりやって来て尋ねる。 「部屋はどうか?」 それは当方の思い違いだったのだろうか。あの時、私は妻に言った。 「きっと、チップを要求しとるんじゃ。払わないものだから嫌がらせしとるんよ」 私たちは夜も深まった入国だったために両替できずじまいで、エジプトポンドもドルの小額紙幣さえ、持ち合わせていなかったのだ。 大勢の親切にきっと老婆心で答えていたのかもしれない。 インテリ・ヤスルは10月○日生まれの2○才と言った。 ビザ取得の関係で私の生年月日くらいは知っていてもおかしくはない。 -全力でお守りします--と相手を思いやったやんごとなき方達の結婚式と同じ日に婚約を交わし、学生時代アルバイト先であった八重洲地下街にある煎餅屋の隣の洋菓子屋のくだけた店員に「占いに凝って勉強しているから」と練習台にされ、差し出した私の手の平を見て即座に「28才か35才で結婚する」と、言い切った言葉がいつまでも余韻が残り、意地でも28才になる一日前に式を挙げ、翌日の誕生日はディズニーランド10周年のパレードを私のバースデーを祝う式典だと、勝手に勘違いして舞浜で舞い上がり、翌日は颯爽とオリンピック航空にて一路アテネへ向かい、着いたその足で郊外の日本大使館で婚姻届を提出、めくるめく記念日続きに浮かれる最中、初日のカイロ博物 館で結婚指輪をなくした(しつこいけど、ネチネチ責められるんだなー、これが)。 自分でも気の毒なくらい落ち込んでいる私を勇気づけるため偽って言ってくれた同い年の同じ誕生日とは彼のいたわりであったのかも知れない。 ルクソール東岸へファルーカで西岸に渡り、ハトシェプスト葬祭殿などがある中期エジプトの首都であったテーベの遺跡巡りは、テーイップという男にまんまと嵌められ、目を覆うばかりのオンボロタクシーに乗せられた。 カイロを旅立つ前、ヤスルが言った。 「ルクソールではどんなことがあっても西岸の遺跡巡りのタクシーの上限は50ポンドです。それ以上は絶対払う必要は有りませんよ」 助言も虚しく、何と全然風が吹かずに二人の少年の手漕ぎとなったアンチ優雅な船上にて、私はテーイップにやり込められ60ポンド払ってしまい、一人茅の外だったくせに私を責め立てる妻を横目にしつつ、何故か心地よい「風」が私にだけ吹いていたような気がしたのは、テーイップの明るくどこか憎めない役者のような人柄だったせいかもしれない。 この地を訪れることがナイル川巡りの最大の目的でもあったのだが、メムノン神像は顔が欠け歪で、 草原のなかにポツンと佇んでいるのみだったし、ラムセス4世の神殿跡も「ああそうなんですか」とばかりに、隣接した丘の上からロバで農耕する年老いた女と子供たちのやりとりを眺めていたし、有名なあまりにも有名なツタンカーメンの墓の見学は狭い通路を降りて、そこには落書きのような壁画があるのみで早々に抜け出したし、入場料を払った引換えの5枚のチケットは、岩山にへばりつき点在している王家の墓は風化した死者の町と、ミイラにロマンもなく、[どこもかしこも同じやん」で、結局、2枚を残したまま、王家の谷を後にした。 そして、一番楽しみにしていたハトシェプスト葬祭殿。そこへの階段を半分もそこそこにして座り込み、デル・エル・バハリという音の響きにのみ充分余韻に浸ったとして、「せっかく来たんだから中を見ようよ」にも、何処吹く「風ととも去りぬ」ばかりに、「ここにおる」と妻一人を行かし、トンビが舞うのを口を開いて眺めたりしていた。 結局、「死せる町」巡りの一番の思い出といえば、テーイップにつきるのだった。 がめつい商売人であるはずの彼も、パピルス売りの店へ押し込もうとする彼の思惑にそうは乗るまいという私の「妻の調子が悪い。とても疲れているようなんだ」という方便に、 「それはいけない。はやくホテルで休養しなくちゃ」と受け取るはずの店のマージンをあっさり逃してまで船着場までタクシーを飛ばすのだった。 さっきまで元気だった妻に訝りもせず・・・・・・。60ポンドはナイル川往復も含まれていた・・・・。 得したの我々だ。 翌朝、彼は私たちがアスワンへ向けて出発することは知っていたのだが、私たちが宿泊していたウインターパレスの外のポプラの木陰に座り私たちを待っていたかのように、「バナナ島へのツアーはどうだい?50ポンドにしとくよ(笑)なに? 今からアスワンだって?うちのタクシー使いな、150ドルだよ!マッサラーマ(さようなら)!」 手を振り笑顔で去っていった------。 省みれば、エジプト人に対し勝手な烙印を押し、意識してあるいは無意識のうちに遠ざけようとしていたのだ。 私の陰がそのまま相手に陰を落とすことを知らずに。 彼らは皆「愛すべきお人よしさん」だったと、もう去ろうとしている時に懺悔する。 つづく 旅行写真満載w ![]() 旅ブログ まるくん最後のブログです 充実しております(笑w ![]() お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
|
|