テーマ:旅にでよう★(531)
カテゴリ:旅はいつだってワクワク♪
植物園を出たのが13時30分。 「バス13時50分だったろは?早歩きで行くぞ。行きは40分もかかったけど!普通だったら15分あったら着けるはず」 出口近く、園の敷地に隣接したチャペルから日曜の礼拝であろう賑やかなゴスペル風賛美歌が届いてきた。 耳に心地よく、しばらく聞きいっていた。 園を出た道路の向かいに大統領府。 2階建てだが、周りの家とは明らかに異なるどっしりとした構えだ。 庭には五色のセイシェル国旗がはためいている。 「喉か湧いてたまらん。ジュースとかなんか、買うといてなー」 先を行くハニーに大声で投げかけた。 帰り道はフランシス・レイチェス通りを真っ直ぐ行き、今度は間違えず進んだ。 途中、金色に輝くドームが見えてきた。 イスラム教徒の礼拝堂、モスクだ。 こちらは礼拝時間が過ぎたのか、人っ子ひとりいない。 通りは日曜日の昼下がり、町は相変わらずひっそりしていた。 ハニーは行きと同じく何故かそこのまま真っ直ぐ進めばバス・ステーションに当たる競技場沿いの6月5日大通り(5th June Avenue)を行こうとせず、6月5日大通り(5th June Avenue)へ左折した。 来た道と同じ道を行くらしい。 「なんでかな~(苦笑)」 考えてみれば、急ぎ歩いてバス・ステーションへ行かずとも、今歩いているこの通りが帰り先であるバルバロンへ通じる路線上なのだ。 この辺りの停留所でバスを待てば良いのである。 そんな思いを横切りながらも、彼女について歩くよりもなんとなく待つほうがリスクが大きいように思えた(笑)。 やがて道の正面に、見覚えのある大きな白い教会が見えてきた。 アルバート通り(Albert st.)である。 バス・ステーションが間近に見えてきた街角。 色とりどりのパラソルをさした移動キオスクのワゴンが止まっていた。 ―そうか。わざわざこの進路をとったのは行きのあのパラソルを思い出していたんか!さすがはマイハニー― 前を行くハニーは振り返りワゴンを指さしていた。 私は満足そうに大きくうなずいた。 通り過ぎるとき、アイスクリームを買い求める赤ん坊を抱いたクレオール、椰子の木、青い空、セピア色のワゴン、初老の売り子の男の笑顔。 「今回の旅のベストショットかも?」 そう思いつつデジカメに収めた。 残念ながらそうはならなかったのは、この数日後の大失態だ。 私はドバイのグランド・ハイアットから旧市街のクリークに向かったタクシーの降車時、たぶんズボンのポケットからカメラをすり落とし、紛失してしまった。 ―ショックのあまり思い出したくないドバイの旅の思い出―とはこのことだったのだ。 悪いことは忘れて良い事を想おう。 今しがたの赤ちゃんはかわいかった。 セイシェルで赤ちゃんといえば、私たちふたりの第四子に結びつく。 2009年3月末、予定日より2ケ月も早く、わずか1560gで生を授かった、愛しい愛しいわたしたちの子を。 ―――「12月1日付けをもって、私は育児休業を取得することにしております。めったにないチャンス、たっての願いをご支援くださった方、機会を与えてくれたハニー、何より子に感謝したいと思います。よく定年退職後を第2の人生と例えることが多いようですが、そのことが新しい世界を自らが切り拓いていくこと、であるとするならば私も同じ心境であります。何も育児休業という短い期間をさすのではなく、育児や仕事、数ある趣味も含めたこれから20年、30年先を見据えた人生設計をそう捉えています。昨年、子を授かる機会に恵まれたリフレッシュ休暇にセイシェル旅行を計画しました。私にとってハニーと2回目の新婚旅行です。本当に新婚さんさながらに、旅立つJRのプラットホームから旅の最後までずっと手と手をとりあって愉快で楽しい旅を送りました。その旅の前に私はハニーに、今子どもたちがすくすく成長していることに感謝しつつお互い高齢なので何かと問題や苦労があろうともぜひもうひとり子を授かりたい、今まで以上に育児をしていきたい、そう伝えておりました。先ほど申しました新しい世界を切り拓いていくとこ、それが冒険です。そして、私は日常にこそその冒険を見出していくべきだと考えております。世界を分け隔てることなど決してできませんが、則を弁え世界と正しく向き合えばより正しい方向は導きだせると信じて疑いません。そのことを皆様の仕事にも反映されることお祈りいたしております」――― ハニーも妊婦期間、また出産にあたっては尋常ではない苦労をした。 高齢出産特有の妊娠中毒症に悩まされていたのだ。 妊娠10ケ月検診で、かかりつけの総合病院の産婦人科から早期の別の総合病院への入院を勧められた。 翌々日、その入院先にて受診したら、即転入院を告げられた。 100キロ先の町の病院へ救急車で向った。 その日にわが子が誕生した。 それが私たちの大切なセイシェル・ベイビーである。 数日後、入院先から―受信メール表示― ―昨日、みーりに会ってきたよ。思ったよりも小さかった。よく動いていたよ。 朝、点滴もはずれたのでやっと身軽になった。体重がなんと3日で6.8キロも減ったのだ― 今6ケ月になるが成長順調で身長60センチ、体重6キロ、首すわりもよく、寝返りもよくする。 彼女にも、わが子にもこの大切な縁を感謝しよう。 ―――「今日、これらの氏神様と、ご対面した赤ちゃんとが深くご縁を結ばれたわけです。 ご両親と赤ちゃんも、生命の誕生によりご縁・絆が結ばれているわけですが、縁とは今風に申せば、出会いであります。 私たちは自然の摂理のなかで生命としての出会い、生きて 暮らしています。 そこで気づかれるはずです。ご両親も、お互いの親御さんから生命を授かりました。 子を授かり感謝することはご自身の親にも感謝することであります。 そして、その親御さんもそれぞれの親御さん、そのまた親御さんもそれぞれの親御さんから。 私たちの生命という営みははるか彼方から、はるかな時間の流れを脈々と受け継がれているのです。 命を紡いでいく、ご縁が幾重にも幾日幾夜にも結ばれているわけです。 人間の力の作用だけでは説明できない、生命の尊さは、自ずと自然・宇宙への畏敬の念と、先祖への感謝が生まれるということであります。 たくさんの出会い、があります。 それを奇跡と呼ぶのだと思います。 奇跡、科学で立証できないことを奇跡と呼ぶのではありません。自然そのものが奇跡なのです。 宇宙の開闢をご一緒に簡単に紐解いてみましょう。 まず、分子も原子も原子核すら存在しない形のない超高温の物質、粥状態の混沌があります。 そして約150億年前、謎めいた光を放つビッグバンと呼ばれる始まりがありました。 そこから、灼熱の物質が不思議な力の作用でお互いに結合し、巨大な組み立てをはじめ、宇宙が誕生し、誇張し続けます。やがて温度が下がるにつれて、またある力の作用によって、星、銀河といった結合物が生まれて、その周縁として、奇跡に近い、いや奇跡そのものの惑星が誕生しました。 はじまりとされるビッグバンから人間の知性にいたるまで、全て同じ進化の過程が進行して、粒子、原子、分子、星雲、細胞、有機体、生物、そして人間という奇妙で滑稽な動物へと、「より複雑性が増す方向」へ進んでいます。 すべてが同じ鎖で繋がれ、同じ運動法則により引き起こされているのです。 私たちは、サルの子孫であり、バクテリアの子孫でもあるのです。 私たちの体を構成する物質は、かつて宇宙を作り上げた物質にほかならないのです。 私たちも、いわば星の子なのです。 このように自然の現象すべてが奇跡なのです。 神社神道の真理や、古事記などに描かれた世界、教えは、このようなことだと考えられています。 高天原にかむずまります、からはじまる大祓の祝詞は宇宙開闢から受け継がれた悠久の生命賛歌でもあります。八百万の神が宿るとはこのことだとも考えます。 幸せはそのような出会うことからはじまります。 私たちは幸せであることを願います。私たちは幸せを求め続ける生き物です。 この広い、広い宇宙に比べて、私たちが生きている時間は、私たちの存在そのものも、想像を超えたどこかの誰かのまばたき程度の一瞬のちっぽけな存在でしかありません。 先祖を敬うことは、生きているのではなく、生かされているということ。 それが、神様に感謝することでもあります―― (2009年 2月 まるくんの社頭講和より) さて、バス・ステーションに着いた。 13時45分、なんとかバスに間に合いそうだ。 行き以上に帰りはヘトヘトである。 「ジュースはよくれ」 「え?なに言よん?」 「え!?買わんかったんか?!さっき売りよったろわ。あったら買うといて言うたろわっ!」 「よーゆーわ。『買うとかんでえん?』て聞いたら、『うん』言いよったやん」 「アホか!聞こえんわ!それに、普通聞くんなら『買うとくよ』だろわ!植物園でも言うたろわ!」 「そんなん、知らんよ!」 「ほんまにもぉー!」 ほんまにもう、ときどき頭に血がドボドボ逆流するくらいおもろいわ(怒)。 つづく みーり、8ケ月になりました。 先々週お尻をもちあげてのほふく前進からハイハイの上達がめざましいばかりか、もうつかまり立ちもします。 世界がどんどん広がって、おうちのなかを「わたしカモメよ」状態。 もっとのびやかもっ自由に、 あなたのおかげで笑顔と笑い声がたえない家庭に感謝です。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2009年12月06日 18時30分31秒
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