錬金術

錬金術

 彼等は秘密主義を貫く奇妙な集団だった。
彼等は、鉛や銅等の卑金属を金や銀に変える事で、途方もない富を手に入れられると信じていたうえに、
不老不死の霊薬(エリキサ)と呼ばれた謎の物質を発見する為の研究にも取り組み、
その霊薬によって人間の寿命を延ばす事が出来ると考えていた。


錬金術の起源

 彼等の正体は錬金術師であった。
錬金術師は中世ヨーロッパの各地で盛んに活動していたが、
彼らが実践した錬金術と呼ばれる謎めいた科学は、それよりもはるか以前から存在している。
錬金術の起源は、遅くとも2000年前の古代ギリシアにまで遡る。
その証拠に、錬金術を意味する"alchemy"という英語のそのものの語源は、金属鋳造の意味を持つchumeiaというギリシア語にある。
 初期の錬金術師達は、古代社会における文化と学問の一大中心地だったエジプトのアレキサンドリアで、様々な実験を行っていた。
このアレキサンドリアで、ギリシア語のchumeiaがアラビア語のal-kimiyaに変わり、そこから現在の"alchemy"という英語が派生した。
 もっとも、錬金術は古代の中国とインドでも行われていた。
中国では錬金術が行われていた事を裏付ける最も古い文献は、紀元前144年に時の皇帝が発布した勅令で、
そこには錬金術によって作られた黄金から貨幣を鋳造した者は死刑に処す、という警告が盛り込まれている。
また、インドにも、紀元前2世紀頃に書かれた錬金術関係の資料が残っているが、
アレクサンドロス大王がインドに攻め入ったのが紀元前325年だった事を考えると、
インド人がギリシア人から錬金術の原理を教わった可能性も否定できない。


錬金術師達

 錬金術師達は必ずしも男ばかりとは限らなかったようで、
ユダヤ婦人マリアという、いささか正体のはっきりしない錬金術師がいて、現在でも使われている台所用品をいくつか考案した。
一説によると、ソースを作る時に使用される湯せん鍋が、ベンマリーと呼ばれるのも彼女の名前に由来しているらしい。
 ローマ帝国がエジプトを征服してからは、アレキサンドリアをはじめとする
エジプト各地で活躍していた錬金術師達も、人目を忍んで活動を続ける事を余儀なくされた。
ローマ側は、錬金術で造られた黄金が、革命分子の資金源として利用される事を案じいていたといわれている。
事実西暦296年にエジプトで反乱が起こった時には、錬金術によって金と銀を製造する方法が記されている写本290冊を
破棄せよという命令が、当時の皇帝ディオクレティアヌスから出された。
 こうして錬金術は、アラブ人がビザンティン帝国からアレキサンドリアを奪い取った西暦642年まで、
社会の片隅でじっと息をひそめることになった。
それでも新たな支配者となったアラブ人が、たちどころに錬金術に興味を示したおかげで、
ギリシア語でかかれた錬金術関係の文献は、その多くがアラビア語に翻訳されていった。
 そうした時期に活躍した錬金術師の中でも最も大きな業績をあげたのが、『アラビアン・ナイト』にも登場する
アッバース朝のカリフ、ハールーン・アッラシードに仕えた、ジャービル・イブン・ハイヤーンだった。
このジャービル・イブン・ハイヤーンは、錬金術を実際に行っただけでなく、
その後何世紀にもわたって活用された酸の製造方法も考案している。


中世ヨーロッパの錬金術

 11世紀から12世紀にかけては、十字軍戦士がイスラム勢力との戦いを終えて帰還するのに伴って、
錬金術が西ヨーロッパに伝えられていった。
 大昔の人が言うように、金属変成の作業を実践すれば本当に巨万の富を手にする事が出来るのか、
その答えを求め更に何世紀にも渡って研究が重ねられていった。
 この問題については、迷信と伝説とあてずっぽうの推論が
大手を振ってまかり通った中世ヨーロッパの科学界でも、見解が真っ二つに分かれていた。
当時を代表する思想家の一人だったアルベルトゥス・マグヌス(1193~1280年)等は、
錬金術で黄金を作るのはあながち不可能ではないだろうが、出来上がった黄金は純金よりも質が落ちるはずだと考えている。
もっとも、他ならぬ錬金術が秘事中の秘事として行われていた為、
実際の作業で用いられたと思われる技術については、公の場で検討される事はめったになかった。



賢者の石  水銀に秘められた力


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