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木漏れ日の空間にようこそ !!

●社会と宗教思想iについて

宙に浮く地球


《はじめに・・》

当webページに記す一連の記事の内容は、捜査当局が、当方に
事情聴取に来れないと云う事情により、解決か不能になった事実を公開しているものです。即ち、自分達の間違い(落ち度とも言える)を棚上げしたまま、 事情聴取を行うことができなかったことに発端するものなのです。(当方としては証拠を持たないものですので、推測でしかありません)以上の事情を考慮して記したものですので、不備や間違いがありましても、名誉毀損などの罪に問われるべき、性質のものではないと心得ます。したがって、社会的良俗に反するものでもないと心得ます。又、2008年5月現在をもちまして 幸福の科学は退会しております。



もし、公開している内容に間違いが有れば、捜査当局は当方に
知らせなくてはいけないのです。しかしそれもできないのです。何故なら、事実を確かめることができずに、推測しかできないのです。それがいいけないとなれば、人権侵害になってしまうのです。勿論、当局にも、それなりの事情はありますでしょうが、(実はその事情が重要であり、それを明らかにすることが、当方の一つの目的なのです)そのような事態が放置されていることは事実であります。当方としては一概に捜査当局を責めることもできませんので、先ずは隠された事情を重点に記すことにいたします。



上記、捜査当局とは、必ずしも警察のみとは言えないと思っています。
人身に危害が生じる可能性が起きれば、警察は動かなくてはなりませんが、起きなければ警察のでる幕ではないのです。但し、愛知県人権擁護委員会が警察の管轄下か?それとも法務省の管轄下か?によって解釈が異なると思います。検察の責任も有るのではないか?思います。又、各、所轄当局間で、責任のなすりあいが行われている可能性も考えられるのです。いじれにしても、真面目に事件解決に取り組むなら、当方の所見や心証を知らなくてはならないのです。



それを知らずして、どうして正しい解決ができますか?本来なら
当該する人物に対しても実名で公開すべきことなのです。警察や検察の事情聴取に対して、比喩や例えで説明を行えば誤解が生じかねないのです。しかし、当のページに付きましては、不特定多数に公開しているものですので、名誉毀損などの言いがかりを付けられれば、は危険と云えます。又、しかし、ここが事件の核心ですので放置することはできません。新たな閲覧者が次々にお見えになると思いますので、一連の手記は、必要に応じて繰り返し掲載させていただきます。



薔薇壱輪

因果の法則はこの世で
完結させるよう努力が必要[1]
当事件は解決を見ないまま、あの世
に旅立つ可能性がある

因果の法則はあの世を通して完結する。と云う教えがありますが
それはあの世を通してのみ完結する。と云うことではないので、この世の内に完結させても良いのです。実際には細部にわたって完全にと云うことは、この世では不可能と思いますので、この世の内で完結させるよう努力をする、と云うことになると思います。以上は、あくまで自分の心の中の問題(良心に関する問題)で、他人との相互関係のことを云っているのではありません。



例えば誰彼とのイザコザの決着を、この世の内で
付けておいてあの世に持ち越さない。と云う類のものではありませんので、注意する必要があります。自分が後悔の念を抱いたままで、あの世に行かないことが、肝要と云う意味です。当ページに記す内容に、関連を持つ人の中には、私も含めて、事態の決着を見ないまま、あの世に旅立つ人が出てくる可能性があります。細かいことを云えば、相手方にも既に居るのです。あの世へ行ってからも、相互間の問題では、たまったものではありません。



薔薇壱輪

因果の法則は、この世で
完結させるよう努力が必要[2]
前世の因果は想像物で断定できない
のだから考、えると頭がおかしくなる

私は幸福の科学で、因果の法則が示される遥か以前に
あの世まで踏み込んで因果に付いて、考えたことがあります。例えば、現在この人と、こういう関係にあるのは、過去生に、こうこうこのような関係が、あったのではないか?等々です。結論から言えば、このようなことを次ぎ々に考えだすと、頭がおかしくなります。あの世など生きたまま実際に行って見てきた人はいないのです。見てきたと主張する人は、自分の心の中で起きる、幻想を見たにすぎないのです。



幻想は、想像や空想にと全く同じではないにしても、生理学的に
捉えれば同じ心の領域に属するものなのです。自分だけが見聞きしたものにすぎないのです。客観的な証拠や根拠はないのです。ですから、空想や想像はどのようにでもできるのです。証拠はないのだから、勝手な因果で因果を考えて勝手な結果を創ることもできるのです。自由自在なのです。云い替えれば断定して結論をだすことはできないのです。この世のことは証拠があるから、自分勝手な断定はできません。想いを確定することができます。



あの世のことは、他人から聞いたことにしろ、自分で幻想の中で
見たことにしろ、何の証拠も無いのですから、確定など出来る訳はありません。又、勝手な空想が癖になると、根拠まない因果を考える思考が止まらなくなります。そうはならない人も居るかも知れませんが、私の場合はそうでした。従って私は絶対にその様な思考は行わないことにしています。又そのことに関連して、あの世のルール、例えば、自分で考え出した霊的なルールの類は考えないことにしています。創らないことにしています。



縁起をかつぐ様な事、ルールと言えばルールですが、そのような
ものの配慮は行わないことにしています。但し縁起を全く担がないことも無理なことなのです。要するに霊的なルール、因果に類するモノなど、自分で創り出さないと言うことです。しかし、宗教指導の名目で霊的なルール、因果を他人に創ってあげている団体や人も居るのです。その行為が、他人をマインドコントロールにはめる源になると考えざるを得ないのです。但し、憑依霊に関するルールのように、一般的に言われているものに付いては、意地を張って否定する必要もあまりません。



憑依霊現象の話に関しては。憑依霊現象が起きなくても、評判の
悪いことを無理に行う必要はないのです。私は、全く無視すると云うこともありません。あの世にルールが存在しないと主張する者でもありません。ルールにする根拠に信憑性がないと主張する者です。必要ならば、は何らかの形でこの世に、提示されていなくてはいけないのです。しかし、客観性を伴って提示されることは不可能です。あの世の因果の法則を観的に創れば取り越し苦労の種になりかねないのです。因果の法則は出来るだけこの世の内に、完結した方がよいのです。



薔薇壱輪

今生は精神の世界でも
現象の世界でも勝つ!の意味
勝利とは幸福を伴ったものである
必要があります。

今生は、宗教が現象の世界でも勝たなくてはいけない
とおもいます。現象の世界で勝つと言っても、現在中東で起こっているような、宗教文明の争いを鎮め、平和な世界を自分で築くと言うことではありません。イエスキリストのように、自分が磔の処刑にされては、現象の世界では勝ったとは云えないと思います。しかし、キリストの教えは弟子達により後世に伝わり、2000年もの永きにわたり、人々に有益に働いたから、精神の世界では勝ったとは言えます。



現象の世界でも勝つとは、簡単に言えば、イエスキリストの
ように、命を投げうって教えを後世に残すことを意味するものではありません。現象界で勝利するとは、人間としても勝利者として命を全うすると言うように、ご理解いただけばよいかと思います。勿論、現代では、敗者になっただけでは死刑になることはありません。敗者になり様が問題になります。オウム教のようなことをしない限り、死刑にはならないでしょう。さらに言わせていただくなら、全ての人々が、精神の世界でも現象の世界でも勝利すれば、理論的には現象界にも仏国土が建設されます。



以上は、予言ではなく推理になりますが、その場合勝利者と
云うからには、幸福を伴ったものである必要があると思います。私は、不幸であるとは言ないまでも、現在、幸福であるとも言いがたいので、断言は控えさせていただきます。又、全ての人々が人生に勝利すれば、宗教団体相互間の勢力拡大競争、衝突も起こらないし、共存や併用もできると思います。悪魔に世界が支配されることなく、思想が有効に機能すれば、ユートピアの建設が、1000年2000年先になったとしても、思想では勝ったと言えます。



薔薇壱輪

超常現象について・・。
超能力と超常現象は何処が違うか?
超能力は特定個人が介在したもので
普遍的なものが超常現象である

■先のページで記しました、咥えていたタバコに火が着いたことは
超能力ではなく、単なる超常現象なのですが、私にとって霊的な意味があるとすれば、GLA、中野富敏の、くだらない、姿勢を正すための決断が、霊的存在により、肯定されたとも受け取れたのです。(他人からすれば単なる超常現象)その観点からすれば、当事件は私の方から仕掛けたとも言えるのです。火がついたと云う現象と、私の決断と、どちらかが先であったか?と言えば、間一発、私の決断の方が先でした。そのことは、意を強くしたとは事実です。



但し、事件が法廷闘争等に発展するような場合、この事実を
霊的に肯定された行為であるなどとは、仮に、第三者が見ていて証言が成り立つものであっても、(実際は見ている人はいませんでした)主張できないものです。立場を逆にして、GLAのみならず、霊を信奉する人が、上記に類する現象を根拠として、この世的な事柄ついても法廷、(法廷で通用しないことを常識とすれば、社会の秩序が維持できなくなります)その他で通用すると、勝手に思い込んだ言動をすれば、間違いが起きるのは当然です。



超常現象の意味などを、出来事や事態の根拠として認めれば
現象を起こした霊的存在が、仮に神とするなら、仕掛けた私が間違っているなら、誤解を生じさせる行為があったとして、神に責任転嫁ができることになるのです。又、逆に自らを、生き神様を戴いているとする団体が、それは、当団体の神様が行ったことであるとの正当化もできることになります。以上は異端な見解ですが、良い結果が出た場合は主張できるのです。そのような事柄に類似した言行は実際にあったのです。俗に云う我田引水の考え方が成立するのです。



上記に関しても、悪い結果かが出た場合は、神の責任とは
言えませんので自己責任になるのです。しかし、自己責任はどちらの自己責任 か?が、置き去りにされたまま、事態を進展させれば、当事者にとっては他人のせいにもできるのです。分かり易く言えば私は、中野富敏の責任になるように努力し、中野富敏は私の責任になるよう努力することができるのです。タバコに火がついたと云う超常現象は、あくまでも、当事者がどのように捉えるか?の問題なのです。超常現象は、客観的に意味づけることは不可能ではあります。自分の言行に正当性があれば、勝手な意味付けも何ら咎められるものでもいのです。



当事件は、上記にし示すように、GLA、中野富敏のくだらない
姿勢を正すための、私の行為に端を発したものとも言えるのです。一般からすれば、余計なことをしなくて、サッサとGLAを退会してしまえばよかったのではないか?と云う意見もあろうかと思います。しかし、私は、再三にわたる、畑田氏からの活動への参加を誘われたのであり、参加してみれば、互いに間違いを起こさないように、注意し合わなくてはいけないとの教えだったのです。一概に否定する要因もなかったのです。説に忠実に行った結果がこのあり様です。言うことと行うことに矛盾がある結果なのです。

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