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木漏れ日の空間にようこそ !!

◇超能力は神の手中に在るものである


2011-06-20 17:21:58



■超能力は、先のページに記したように、その人の思いや行いによっても、消去されてしまう場合があるものと考えられます。(害が己に返って来るから使えなくなる知れません)しかも意識的に邪な考え方で行為行動したとか、腹黒い思いで人々に接したと云うモノに限らず、無自覚ではあるが結果的に人々を害したり、迷惑を掛けたりすることによっても、その能力は削がれてゆくものと考えなくては、愛の本質と矛盾します。ですから自覚的なものは兎も角として、自分を省みても過ちを見過ごしてしまう場合にも消去される事態がが往々にしてあるはずです。そうでなくてはおかしいのです。

上記事態をを防ぐには、自分を省みるだけでは不十分であって、他人を見なくてはいけません。他人の良いところを見習うことは、学校教育や道徳でも行われていることと思いますので今更私がこのような場で述べることではありません。では何を見るか?と云えば、他人の悪いところを見るのです。要するに反面教師として、自分が同じ間違いを犯さないようにしなくては、超能力を維持することは、むつかしいと思います。但し、生まれながらにして、邪な考えなど湧かないと云う人は別です。人がバカげた事に執われていたら、自分にも同じものがないか点検しなくてはいけないのです。上記姿勢がなければ間違いが起きて当然です。

将来超能力社会が到来する可能性も無きにしもあらずです。超能力が実際に存在することを関係者は、知っていただいた方が良いと思います。GLA教祖高橋佳子その人は、超能力を所持していると言われていましたが、通常能力に於いては、能力不足だったとは言えます。一般人として生きていたなら、進んで罪を犯すような人間でないことは確かです。しかし、信念(自分自分本位の信念)のためには、何をは行うか?分からない人間でもあります。教祖の立場に立てば却って危険な人間であることが判明しました。超能力を過信して、官憲の怠慢や手の届かないところは、自分がヤラなくてはと云った、想いも有ったように見受けられました

しかし、その考え方は咎めることの出来ないものてした。自分は愛の想いに培われた高尚な人間、即ち彼らが云うところの霊性の高い人間と思い込み、霊性に比例して超能力も大きなものとなる。とする自分本位の論理に走ると云う間違いを犯しています。り、本人は抽象表現のつもりしょうが、理解できないような迷想めいたことを言って、世俗的なモノ(者)を軽視していた傾向がありました。宗教は芸術ではないのだから、人により受け取り方がさまざまに異なる抽象表現では、混乱が生じるのは当然です。自分勝手と云わざるを得ません。最大の罪は間違った信念に執りつかれたと云うことでしょうが、悪意と云うものは無いのです。したがって彼女自身の心の中に良心に抵触する無いと想像できます。

しかし、彼女の心の外、即ち、第三者のなかには、被害や迷惑を被った人は、実際に存在するのです。私も、その一人です。しかし、彼女にとっては、相手がまちがっているために、害がその人自身に返っただけであり、何ら良心に恥じることはないのです。依然として超能力は必要なものであり、削がれることは無いとおもっているに違いありません。したがって超能力は観ても削がれることはないと思います。しかし、有効的に働いているとは思えません。この世的にには、悪意のない者を罪に落とすことはむつかしくても、霊的には、会員を指導の名の元に支配したきた、いわば、慣れ親しんだ超能力の消滅と云った厳しい掟があるものと思います。






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