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木漏れ日の空間にようこそ !!

◇超能力の闘いもあり得る(1)


2011-06-21 18:59:42


■超能力関しては、最初は本物でも、次第におかしくなる場合があると考えなくてはいけません。GLAには超能力だけのことなら、所有する人は多数居たことになっていたのです。超能力の種類は人によって異なり、その人の使命に応じたモノが与えられる、と考えてよいか?と思います。厳密には、使命は一人一人全て異なるのだから自分は超能力が有り、その超能力で使命を果たしているなどとする一種の思い込みから、(この世的な行いのように誰が、行ったと明確に区別などできないのですから)他人を傷つける場合もあると思います。相手も別の超能力を持っている場合は、お互いに非を認められなければ超能力の戦いも、可能性として存在します。如何なる原因も間違いを犯せば、謝らなくてはならなくなります。即ち、思想の戦いでは負けることを意味しいます。

私見ではありますが、超能力は良心に起因し、左右されることが大きいかと思います。その発露を拡大させるも、収縮させるも良心に従った想いや行為か?反したものか?により左右されると考えて良いかと思います。しかし良心は、人それぞれの在り様や立場によって、その働きも別々なのです。例えば労使関係に於ける、労働組合の委員長と、経営責任者が、互いに自分の良心に従って争うことも、あり得るのです。双方が良心に従って争う事態をもご理解いただけると思います。そして、労働組合の委員長と経営責任者が共に超能力を所有していれば、超能力の戦いになります。自分に超能力が備わっていたとしても、相手は自分とは異なった超能力を所有している場合があり、又、優れた通常能力を所有している人もいるのです。

いくばくかの超能力が備わったとしても、そのことで即、超能力を持たない人より超能力の備わっている自分は、優れている人間であるなどと、思い込むことは厳に戒めなくてはいけません。当然のことと思われる方は多いと思いますが、そのように想われていた方のの中にも、実際に超能力が備わると上記に示した罠にはまる人も人が出てくる可能性もあるのです。それほど、魅惑的なあると云えます。GLAの中野富敏を観ていた時、つくづくそのように感じました。幼児が新型のおもちゃを手にした時のように、有頂天になっているとさもなくば、大きな過ちを犯すことになりかねまので気をつけなくてはいけません。以上は、今後霊社会が到来することを予測して記したものです。勿論無駄骨似る可能性もあります。

さらには、教能力と通常能力の区別は,何処にあるかと云うことになりますが、一線を引けるような境目はないのです。読心力や洞察力に関しては、超能力か?通常の能力か?本人にも区別は付かないと思います。霊的な現象、例えば、第六感は相手が理解できると云うことは、互いに理解できる共通の概念があって、はじめて相手を知ることができるのですから、全く異質の能力を持つ存在など解りようがないのです。見聞きすれば解るでしょうが、それは超能力ではなく知識として解るのです。超能力が生じるには前向きな姿勢が原因になっいるとしても、有頂天になっていてはいけません。中野富敏がよい例です彼は、特に悪い人間、即ち、汚い、ずるいと云った人間ではないのです。云うならば高慢になっのです。こうゆう人間が超能力を所有すると超能力の戦いを誘発する可能性が非常に高くなるのです。






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