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木漏れ日の空間にようこそ !!

◇超能力の闘いもあり得る(2)


超能力-8



■霊的な事柄に関しては、他人を傷つけると云うことは間接的には自分が傷つくことになるのです。しかし、この世的には証拠をもって他人を説得することはできません。自分の捉え方の問題です。しかし、客観的事実かも知れません。個々の事柄について特定して証拠立てできないだけかも知れません。どう云うことか?云えば、他人を傷つけると云うマイナス要因に属する事柄は、通常人は一つだけではないのです。例えば、関するAさんは10個あり、プラス要因に属する事柄も10個あったとすれば、どの行いが原因でどの行いが結果か?などの特定は、第三者には判別できないのです。

さらには、集団に属する大義名分などは、仲間とする者達との、共通の想いがあり、善悪で判断すべ事態が多々あります。大義め名分に関連する事態は、他人に傷はつけても、お返りとなる自分の傷は、癒されてしまうと理解すれば、因果のつじつまが合うと自ら無意識のうちに納得していることもあるのです。他人を傷つけたなどの自覚がなければ、霊的お返しが事実在ったとしても理解できる分けはありません。私見ではありますが、超能力は良心に起因し、左右されることが大きいかと思います。その発露を拡大させるも縮小させるも、良心に従った想いや行為か?反した行為か?により左右されると考えて良いかと思います。

霊的現象と云うものは、自分と同質のものがある相手に通じ合うようになっているのです。その原則から類推すれ、相手が、自分とは別種の超能力を所有していても気づきにくいはずです。想念の世界即ち、あの世に於いては戦い(全て超能力になる)に敗れて初めて判ると云う事態になると思います。この世では、現象化して何事か起きれば、通常にんにも判るでしょう。上記から、この世でのでの反省は間違いに気付き易くできていると云えます。チャンスを疎かにしてはいけないのです。この世で、超能力の戦いになった場合は、相手は通常人ではないのだから、客観的に判明できるような事態にはならないと考えられます。
 
上記意味を簡略に記せは「自分は超能力を持ち相手は素手の戦いと勘違いしていた愚か者も事実いたのです」如何に超能力を所有していても、これでは駄目です。超能力を所有していても、通常能力の優れている人には勝てない場合があると云う意味です。超能力があるからと云って通常能力を疎かにしてはいけません。併せて持っていなくてはいけないのです。戦いには、直接対決ばかりではありません。(勢力拡大は通常能力によるウエイトが大きいと思います。しかし、霊的に支持されない者はいくら頑張っても駄目でしょう。霊的な支持は個人の超能力とは意味が違います)超能力の備わっている自分は、優れている人間であるなどと、思い込むことは厳に戒めなくてはいけません。
 
さもなくば、大きな過ちを犯すことになりかねません。霊的な事柄は深遠である(因果関係が)と同時にそのシスティム巧妙に極めていると思います。前記の勢力拡大にしても、その能力と手段はこの世的な能力に負うところが大きいのですが、しかし、霊的に支持されない者は、いくら頑張っても駄目なようになっているのです。と云うことは魂が優れていなくては駄目なのです。しかし、自分は魂として優れた人間であるなどと思っていれば、これも駄目なのです。又、自信がつかなくては、脅しに弱くなります。過信になればこれも身の破滅です。己を信じれば過信にはなりません。しかし、これも自分が勝手に思っていると云うこともあり得るのです。







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