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木漏れ日の空間にようこそ !!

◆テレパシー能力の開発ノウハウとその意義


【テレパシー能力の開発ノウハウ】
(A)相手の立場に立って考えること。必ずしも相手によかれと云うことを考えるのではなく、自分ならどうするか?考えて観ることです。(良かれ悪かれは別の課題です)
(B)自分は相手からどのように観られているか?考えてみること、第三者からどう観られているか?善意悪意の両面から考えてみること。
(C)自分が悪意を持って観られていることを想像した場合、疑心暗鬼の心に囚われることのないよう、行いで精進すること。信じれる自分を築くこと。

(1)潜在意識を自覚すること。死ぬ覚悟は表面意識であります。死ぬ覚悟をすれば、不純物があって、悟らないまでも霊的に目覚めることに気付けば、(現実の出来事に対して死ぬ覚悟をしてことに当たれば、本当に死ぬ場合がありますので、この場合は天国直行と云うことになります。自分以外から強制されたものに旧日本軍の特攻思想があります)テレパシー能力獲得の第一歩を踏み出したことになります。霊的に目覚めるとは、夢、その他で霊存在に気づくことです。

(2)死ぬ覚悟は、(命がけでは駄目。死ぬと判っている危険行為でもない)表面意識だから何回行ってもそれ以上の進歩はありません。潜在意識を知るとは、2回目以降の死ぬ覚悟は、覚悟を決めてことに当たれば、死ぬこともなく、霊能力が獲得できることを知って行った、欲徳打算の覚悟のことであり、死なないことを知っていて死ぬ覚悟をした、偽りの想念行為であります。偽りの想念行為を知ることが、自分の潜在意識を自覚したと云う意味です。もっと喩えて説明すれば、表面意識で他人のためと思って行ったことも、潜在意識では名誉心などの気持ちが、同伴していたことに気づくことです。死ぬ覚悟は潜在意識を知る喩えではありますが、実際に直面してことに当たれば、ほぼ間違いなく、霊感など(中身は人により異なる。それは使命が異なるためと思う)が与えられます。そして使命に気づかなくてはいけません。元のホーロクや間違った使命感(意識)は訂正されるでしょう。

(3)注意事項となりますが、潜在意識を知る方法を他人に教えることは結構ですが、他人に、あなたには潜在意識にカクカクシカジカのものがあるなどと、当てはめてはいけませんカクカクシカジカは、その内容が人により微妙に異なるのです、要するに主観の世界なのです。
ですから本人が自分で気づくしかなく、客観的な立場で指摘することは、想念の支配(マインドコントロール)につながるものです。(公に協力する立場から悪しき例を示せば。谷口健彦のお節介?行為のようになる。ここの理解できない人は危険です)霊に関することは、全て自分自身にしか当てはめれないのです。主観的にしか取り入れられないのです。

(4)自分の潜在意識をよく理解して、真理に副った言動を心がければ、死ぬ覚悟は必要ではないのです。例えば死ぬ覚悟で強盗を行えばどうなるか?を考えて下さい。但し、一旦知ってしまった潜在意識は、その人にとっては、最早潜在意識ではなく、(潜在意識とは無意識の意識とも云える)表面意識なのです。そして言行として外に出す場合は、原因を反省して、知性のふるいに掛けて善を採り、悪を捨てることが肝要てせす。(悪しきものが有ってはいけないとしてはいけません欲得打算など有ってもよいのです)さもなくば、魔にやられます。言い換えれば、ノウハウは、潜在意識を表面意識に吸い上げる作業なのです。(但し私のノウハウで、一般的普遍的なもりではありません。私自身それらしき心当たりのあるものの、公開して責任の持てないものなら、他にも知っているのです。霊的なことは深遠で人知では量れないのです)

(5)尚、私以外の人でも同様ノウハウを知っている人は居てもよいのです。それらの人の中には、霊的秘密事項としていて、想念(便宜上テレパシー)でしか他人に伝授できないものと位置づけている人もいるかも知れません。しかし、だからと云って、言ってはいけないことではないのです。霊的秘密事項ではないのです。そのように位置づけしている人の想いの中を推測すれば、覚悟が愛に裏打ちされた膳なるものか?否か?を先に選別しなくとは危険なものになると捉えているものと思います。覚悟が愛に裏打ちされた行為ができるか?どうか?をテストする踏み絵であるならば、踏み絵なしで行うこともできるはずです。

(6)結局人間関係の不調和の根本原因は、競争心、支配欲、名誉欲(賞賛されたい)虚栄心
自尊心、自己顕示欲(自分の存在異議を知らせたい)などの年少時代に既に芽生えているものであることを知らなくてはならなりません。歳を重ねても克服できていないのです。(時間の経過と共に要因に変化する。最初から要因とも言える。人知では理解できない)歳を重ねるごとに知性で潜在意識の領域に押し込めていたのです。何故か?それらは、生存に関る基本的な要因であり、知性と衝突するものだからです。邪魔物扱いにされていた、それらの要因をもう一度、表面意識に呼び出してフルイに掛けると云うことは、(反省はしなくてはいけない。反省に伴なう善悪の検証は、道理でしかできない。感情の反省は結果でしか検証できない)循環文明(思想として)ニ巡目が始まったということです。

【参考1】反省しても腹の決まらない人は元のホウロクなのです。高い地位に在っても庶民と同じで、自分の心に関する責任は、生易しいことではないのです。反省できない人は、今生は二巡目には参加できなくなり、来世は、取り残された状態でヤラなくてはらなくなるのです。(私の霊的因果の思想を提供しただけ、参考にはなると思います)「約束しょうや!」などと約束を持ちかければ、破った場合は持ちかけた方が悪いのか?破った方が悪いのか?「どちらが悪いにしろ、反省は、潜在意識を知らなくてはできないと思う。潜在意識は、他人からは推測できても、自覚する権利(解かり易く)は本人しか持たない」「護る!」と言って護れなくなれば自分で殺さなくてはならないなら、利用したに過ぎないのです。「護る!」と言わなくても護ってもよいのです。これも、潜在意識のあり方により答えは異なります。

【参考2】さらに循環文明に付いてかたれば、言葉、文字で築いた文明は、一文明数千年(条件に拘束される例外を除いた、万民が文盲がいなくなったのは)ですが、二巡目のテレパシー&霊感で築かれるであろう文明(ほぼ全人類がテレパシーで交流てきるように発展するまで)はニ巡目は、百年近くはかかるかも知れません。少なくても、高橋佳子の構想、思惑に在った様に、一瞬にして築かれることはないと私は考えます。構想が修正されて、最初の8人ができれば、後は、簡単にユートピア社会が築けると言った、容易なものでもないと考えます。何故なら、ニ巡目では未だ、嘘がごまかしにくだけなのです。正当化すれば通用するのです。想念の世界でも相互のアツレキ不調和は生じるからです。それは、最終的には、法律で解決しなくてはならないからです。以上については、二巡目を民主制で行うとを前提としたものですが、絶対君主制を採る選択もあるのです。

注1:仏教で言うところの悟りは、(近ずく)必ずしも生死をかけた覚悟は必要なくなるのです。己を(心を)知って慈愛を他に施せばできるのです。循環文明ニ巡目に取り入れれば、基本的には、覚悟は必ずしも必要ではなくなり誰でもできるのです。(キリスト教徒には当初は理解できないでしょう。叉どちらでもよいのだから、矛盾でもないのです)この世の地球環境を含めた調和は人間によってなされるものなら、私の勝ちであり、神の手によって直接なされるものであれば、(適者生存、勝者生存のシスティムを創ったのも神と言える。しかし、それは人知で測れたことになり、神の目的意識はその奥にあるとしなくてはなりません)私の使命は終わることになります、弁証法の批判は後から気づいて行ってもよいのです。ですから、嵌っても地獄に行くことはないと思います。要するに客観的に観れば知らずに行っている人と同じ心境になることを意味している

注2:イエスキリストの言葉とされる「汝、右の手で行った善行は左の手にも知らせるな」仏教で云う究極の悟りの境地を示したものなのです。愛とは想いであると云う境地。想いにも不純物か同伴していれば、善行に対して自負心が生じる。(境地を純化すれば手順になる)知らなければ自負心は生じない。無心で行えば、知らずに行ったことと同じになる。もっと喩えて云えば、犬は善行を行っても喜びはしてても、自負心は持たないのです。ああいう心境になりなさいと云うことなのです。

注3:上記ノウハウと精神分析療法と違う所は、如何に潜在意識が自覚できても現実の生活に問題があり、ストレスが生じればそれなりの症状がでるものと思います。(環境を創る人々の精神分析も必要になる。それは事実上不可能)そしてストレスは潜在意識の各層を跳び越して魂の一番深いところでキズつき、来世の因縁を創る原因になるとの説もあるかも知れません。それを信じる人は私のノウハウは無視して下さい。

注4:テレパシー(便宜上の表現)の内容などこの世のルールに従わなく、この世的な根拠を持たないものは、基本的には言葉や文書にして、外部にだして確定できないのです。しかし、相手のあることですので。相手が咎めなければできるのです。できても意味のないものも、その他のものもあります。(私の場合は言葉で咎めることはできませんので、想念で咎めることになります。ここでも良心の裁きが問題となります)この世のルールに規則、因果を含めて、従うもは、言行にだして確定しても問題ありません。私は、他人の霊思想に目覚める必要はないのです。

注5:議論により規則(この世における霊的因果⇔因果は規則の基になる)を決められる能力があれば、その人は、自分の意思とは関係なく、神の意志として君主制の王座に就かざるを得なくなるのです。私は、自分の思想の中で自分が勝つのは当然です。ニ巡目(テレバシーによる意志の疎通)に入ろうが三巡目(霊感、テレパーシー意志の疎通は同じであるが、こまごまとしたこの世の法律は不要になるだろう。必要なものは基幹的なものだけになるだろう)に入ろうが、この世のことはこの世のルールにより秩序を保たなくてはいけないのです。四巡目は法律は在るだけの形式的なものでよいだろう。秩序の維持は、道徳のみで済ますことができるかも知れません。行政の責任者は大変ヤリ易くなるでしょょう。尚、文明社会を意味しているのです。三次元世界で物質の体を持っている以上永久に霊的規則は創れないだろう。
 
 




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