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木漏れ日の空間にようこそ !!

◆自分の認識機能でしか外界を認識できない


「想念の交換をテレパシーで民主的に行う構想」
霊的絶対君主制度に対抗できると考えられる、私の構想は、隠された真実があれば、噂として広まるだけで、法律的には、「この世の従来のあり方を変えない」と云うことです。想いの中の真実でも人々に噂として広まれば、次第に真実を想いの外に出して確定しなくてはならなくなるのです。現在では、各個人の想いの中で起きた他人とのやり取り(便宜上テレパシーとする)の証拠や根拠の提供が少ないものは、虚実も確定できるのです。要するに形は従来通りであるが、(虚実があっても、表には出されず噂として流されるだけ)中身が悪徳にはより厳しく、徳性には暖かくなるだけです。叉、はじめから作為の悪徳ができにくなります。(動機の悪いことはできにくなる、しかし、初期には全くできないことはないのです。

結論を述べれば、テレパシー(便宜上)によって想念の中で他人と相互に情報、意見その他の交換ができるようになっても、心の外で現象化して確定するには、証拠叉は、根拠がなくてはならないから、証拠、根拠の提出できなくてはならないから、この世的にルールに従わなくてはならないのです。要するに従来通りなのです。違う所は霊的存在の事実を認めれば、(理由、原意は不明のまま鵜呑みにする)次第にテレパーのできる人の人口が増加してくれば、増加に応じて、テレバシーで知ったことを証拠、根拠を伴なってて、言葉で語ったり行動に足したりすることが容易になると云うことです。但し、この世(三次元+一次元の世界)では民主的にしろ、何にしろ普遍的な霊的規則など決められないのです。(但し、それぞれが、自分に当てはめるものなら、問題はありません)叉、想念上の情報交換の場が議論の場となると政治が二重構造になります。

注:想念は放置していても現象化すると考えられますが、作為によって現象化するには、言葉や行動によって心の外に出すことですが、一瞬一秒の想いなど目まぐるしく変化するのだから、その都度々確定できない)心の外に出して確定するまでは如何様にも修正、変更できるはずです。弁証法で修正、変更の阻止は無意味と考えます。根拠のない変更も叉、無意味でしょう。(心の外に出て確定されていないのだから、道理で説明はできても無意味なものになる。しかし、想うだけでも道理(仮の道理⇒確定されていないのだから)に反すれば良心の呵責は受けるものと思います。想念の中の議論は相手の間違いを即座に見破る能力を持つ者の方が有利になりますので、公平にはならないと想います。

その他雑記、西暦2008-08-05日と「本願達成日だけ記入してあった?」公安当局は、当事件の主犯?格とも云える谷口健彦の言動は、キチン正してもらわなくてはてけません。ヤケッパチになっているならば、そのような人(身勝手な行為をする人)を野放しにしていては困ります。他の人のことに関与してもおかしくはならないが、彼は、私に関することに関与するとおかしくなるなら、私に関することに関与することを止めるべきです。既に個人的問題としては、解決不能として結論すみなのです。犯人がどうして解決に協力できるのですか?自首すればよいだろう。簡単に解決するのではないのか?(この項確たる根拠はないが、危なくて仕方がない) 


「自分の認識機能でしか外部世界を認識できない」
宇宙人が実際に存在するなら、客観的には、この世と四次元以の世界を行き来できる進化した生命であるとすべきです。さらに、私の霊界観で説明すれば、宇宙人その人、個人々の世界は、それぞれの個人々の世界に存在しているのであって、他から干渉はできるとしても、存在そのものは否定できるものではないのです。否定できる条件は、唯一つ科学的根拠があることです。

基本的な考え方をインターネットで記してきた事件で例示すれば私は自分の認識機能で認識すれば私の心から脱出していないことを知っていますが、高橋佳子が高橋佳子の心から脱出してるか?どうか?は私には判らないのです。判るのは本人だけなのです。何故、高橋佳子が彼女自身の心から脱出しているか?どうか?私が判らないのは、私自身私の心から脱出していないからです。

霊感、第6感、テレパシーと云えども、世界は自分の認識機能で認識したものです。どういうことか?と云えばAさんの観ている赤色は、私が観ている赤色と同じであると客観的根拠をもって、断定することは不可能なのです。何故なら、客観的に証明する手段である科学をもってしても、人間が心の中で捉えた景色などはパソコンに映しだすことができないからです。言葉、霊感、第6感、テレパシーで捉えた概念と云えども同じこてなのです。

人の心(想念)の状態を客観的に知ることができる、科学的根拠があれば、勝手な干渉がなされたか?どうか?も判別できますが、現在ではそれはできない相談なのです。特定個人の心(想念)に干渉がなされていても、取り締まり当局は取り締まることはできないのです。叉、干渉された人も、自分の心、想念から出て行けとは云えても、出ていかせるためには、相手に干渉してくる理由を封じるとができなくては、想念上の争いに発展するだけです。

仏教で云う悟りが、自分自身の心から脱出することであれば既に脱出している人が手助けはできますが、脱出するのは本人自身でしかできないのです。そういう意味では、悟りと云われているものが、どのようなものか?を一般に知ってもらう必要性から記したもので、個人的必要性からのみ記したものではないのです。叉、想念上においても、言葉と同じように自分自身に回答が出ていなければ、疑問が生じ、他から求めようとする。これも厳密には干渉と云えるのです。

【この世は幻覚の世界であると云う意味】
自分の心(思い)は、自分の認識機能でしか認識できないと云うことは、自分が幻覚を観ていたなら、自分では現実の世界に居るるのか?幻想の世界の中に居るか?は判別できないのです。判別できるのは、「どうもあの人はおかしい」と自分以外の人が認識できるのだけなのです。この事実を生死に関して類推すれば、死とは自分以外の他人が認識することで、自分自身で自分の死を意識して確認した人はいないのです。

意識して自分の死が確認できたなら、認識機能は働いていたことになり、想念行為は死んではいないのです。どういうことか?と言えは、それまでに自分の外部認識機能で捉えた認識は、全て残っていることになるのです。要するに幻覚を観ていたことと同じになるのです。自分の死が、意識して確認できなければ全ては無です。その人にとっては、全宇宙が消滅したことと何ら変らないのです。「オレが死んでも宇宙は残る」と云う論理は「オレ以外の人」に当てはめて言えることなのです。

注:上記事項は、主観と客観(立場)の基本的な認識の違いを示したものですが、霊的な概念を理解するには大変重要なことですので、キチント理解しておいていただきたいと思います。一度理解してしまえば、難しいことではないのですが、通常ツでは、かなり知能の高い人でも理解できない人も居ますが、自分の心を知ると云うことに関しては重要なことですので、霊存在に繋がっ思われる、潜在意識の反省(自覚)もできないのです。理解できないまま霊的な概念に興味を持つと、他人の理解を鵜呑みにしなくてはならなくなり、マインドコントロールの原因にもなりますので、気を付けなくてはいけません。死後の生とは、どう云うことか?を知るこは真実はどうあれ基本になるのです。

要約すれば、死後の生を自分で(主観的に)確認できる物差しは、酸素呼吸をしているか?どうか?で判断するしかないのです。自分以外の人(客観的に)が自分を死んだか?どうか?を完全に本人の立場に立って、(心を共有して)
確認することもできないのです。それが、できる人は悟りを開いている人と云うなら、居る(かって居た)のかもしれません。結論を言えば、客観的に証明できるのは、あくまで科学しかないのです。自分以外の人(客観的に)が自分を死んだか?どうか?を完全に本人の立場に立って、証明するには科学が、本人の心の中を本人以外の外部に、知らすことができるまで待たなくてはならないのです。



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