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木漏れ日の空間にようこそ !!

●霊思想の実情と体験


ハイウェー

《因果応報の実情》
過去生の因果は客観的に捉えれば、創作物に過ぎない。
魂の向上か?精神衛生の問題か?捉え方は自分自身の
問題とする限り、人それぞれの自由である。

■因果応報の思想はこの世に限っても、それらしき現象は見聞きすることです。同時に、全く納得のできない現象もあります。私自身、全く納得のできない事情を抱え込んだ人間でもあります。だからと言ってカルト宗教が主張するように、その原因を過去世まで遡って追求することは、人それぞれの自由としても、事実として断定することは、自他いずれが行うにしても、弊害が生じるでしょう。独善的な判断を社会通念として受け入れられてしまえば、連鎖的に不可解な間違いがおきます。



だからと言って、理不尽な想いを抱えたまま生きることは、精神衛生上よくないことでもあります。できるなら、何らかの思想でもって、消化(昇華)させて生きた方がよいのです。人間は輪廻転生をしないとすれば、他人を恨んでも仕方のないことですので、因果の原因などに、拘る必要の無いように努力するしかないでしょう。転生輪廻をするとすれば、過去世の原因は、通常人は記憶していないのですから、創作することになります。



自分自身の過去生からの原因の創作は自己責任であります。他に危害を与えないものなら、仮に間違った原因を創作して、あの世に帰ってから間違いに気付いても、気まずい想いをすることはあっても、さしたる責めを負うことはないと思います。(良心の呵責を受けると云うことはない)と云うことは、過去世の原因を自分の都合のよいように創作して生きればよいのです。但し、断定して、他人に認めてもらうことを要求すれば、気違い扱いにされます。



上記を踏まえて、一番当たり障りのない考え方としては、過去世の因果の原因は有ったとしても、今生は、自分の意志により自己向上を目的として、一からやり直すと云う趣旨であるならば、(カルト宗教もそのように教えている)過去世の因果となる原因は、今生のスタートラインに前提条件として、組み込まれているとすれば、様々な原因を探求することは無意味になり解り易いと思います。



与えられた条件の中で(条件は自分で選んでこの世の生を受けたと云うことでもある)魂の向上を目的として、生きるということが、真実の生き方と云うことになります。(自分で選んで自分で設定した条件なら、不平不満を言う方が間違い)結局は、人間は輪廻転生をしないとする人が、努力して、因果の原因などに拘る必要の無い状況を作り出すことと同じことになります。唯、違うことは、精神衛生上の問題か?魂の向上が目的か?だけなのです。

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紅葉の枝

《あの世を信じるとはどうゆうことか?》
私は死の恐怖から脱してはいません。
あの世の存在を信じてはいないと云うこと
なのかも知れません。体験は幽体離脱
だったのかも知れません。

■自分はあの世の存在を信じているのか?どうか?を自問すれば、あまり他言はしたくないことですが、GLAに在籍していた当時のことですので、述べる必要があるかと思い、記すことにします。これは難しい問題で、信じるとはどう云うことかを定義しなくてはなりません。ですので、難しいことは止めにして少しばかりの体験を簡略に記させていただきます。



それは今より約28年ほど前(平成16年基準)の5月上旬の就寝中の朝目覚める直前のことでした。突然周囲が明るくなったと思ったら、そこには遠くに、なだらかな山並みを望む広々とした、園風景(勿論総天然色)が広がり、その中を、地上1.6m位の高さで浮遊しながら、ゆったりとした自転車の速度で、センターラインの付いた車道の上を散策しておりました。
しかし自転車に乗ってはいませんでした、駆け足もしていませんでしたが、速度は実感しておりました。その時は驚きもせず当然のことだと云う感覚でした。



又自分の身体が有ったかどうかも、気にも留まりまりませんでしたが、目覚めてから思い返せば、身体は無かったと思います。意識と云う認識機能のみが在ったと云うことになります。
印象的だったのは、覚醒してから感じたことですが、すごく明るくて真夏のカンカン照りの日光の3倍位ありました。しかし暑さや、まぶしいと云う感覚はありませんでした。その臨場感と立体感は、今こう云うところに居るのだと無意識に感じると表現すべきか?この世のものと比較にならないほど鮮明でしたが、それも普通のことと云う感覚で何の不思議も疑念もありませんでした。



この世の感覚にして20分ほどで目覚めましたが、目覚めてから驚いて早速外に出て風景を眺めてみましたが、やはりこの世は普段通りで自分の意識に変調は無く、先ほど観た光景よりが劣っていました。それはテレビの画像と現実くらいの差があると思いました。
それより以後3年ほどで、もう一度同様体験をしました。その時は身体がありました。がいささか自己顕示の傾きがあり、不必要なことですので、記すことは止めます。以上の体験が有りますので私はあの世の存在を否定しません。



しかし、だからと云って死の恐怖が全く無くなったかと云えば、そうではなく依然として有ります。では自分は本当にあの世の存在を信じてはいないのではないのか?と自問すれば、何の回答も得られません。
絶対的な確信を持っていないと云うことか?しかし私は脳には障害を持ってはいません。覚醒時の瞑想によって、体験したものではないのだのだから、特殊な夢かもしれない。云うところの幽体離脱現象を起こし、幽体が何処か、この世の風景を見たのかも知れない。しかしそれであっても意識が肉体から離れて存在し得ると云うことは、死後の生を示唆する有力な現象なのです。



ただ、妄信はジハードとパターンとしては、同じではないか?あの世の生を信じれば、時には自爆テロもできるのです。思い込みによって恐怖心を押さえ込むことは、マインドコントロールの原因になります。
他の原因として、自分の行くところが未だ決まっていない為の不安など死の恐怖は他の原因に起因するのか?それも未だも解りませし分かる必要もないと思っております。必要ないものは勝手な確定をしないことだと思います。



以上に付いてはGLA在籍当時の体験ですが、だからと云ってGLAの霊的な縁によって示されたとして、GLAに恩を着せられなくてはならないと云う必然性はないのです。(GLAは神の使いと自認しておりますので、全ては神の与え賜うものとして、自分達のせいにする性癖があるのです。しかし悪いことは本人のせいなのです)神仏に感謝するしないは、あくまでも本人の意思によらなくてはいけません。ここではGLAが(神の代理人と云うことが)本物か偽者か?の問題なのです。



私はGLA入会以前にGLA以外の霊能力(者)関わっておりますが、それぞれの相手から開示されたのか、自分自身が勝手に体験することになったのか?解る由もありませんが、霊体験をしていることは事実なのです。







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