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木漏れ日の空間にようこそ !!

○災難に遭ったようなものです


災難に遭ったようなものです


★政治の問題は近づかなければ、火の粉が降りかかることはありませんが、司法権の問題は何処に落とし穴があるか分かりません。特に頭越しに何事かをを行うことは、条件さえそろえば特定の人でもできる問題だと思います。
放置されていてよい問題ではないのです。特定個人触れなくては、説明できないので公開の場では説明できませんが、改めてめて警鐘をさせていただきます。

そもそもことの始まりは、私の親族間の、アツレキ不調和が原因なのです。
当時私が所属していた宗教組織、GLAの指導も有って、親族とのアツレキに付いて GLAの場で話したのですが、内容に付いては道理でもって,こまごまと説明しなくては第3者には理解できません。説明すれば、道理に反する矛盾は、GLA内部にも社会一般にもあるのです。特にGLAは愛、即ち、想いや感性に重きを置いて教えとしていましたので私が道理を持ち出して善悪を述べることに、違和感が有ったことと思います。

私は私で、間違った愛を嫌と云うほど体験しておりますので愛でないものは言葉で説明できますが、本当の愛などは言葉で説明できないと思っていました。 を口にすることが即ち、愛のであるかのような雰囲気は、到底受け入れられない心境でした。事実、実際に彼らと教えに基づいて、切磋琢磨を行った結果はカクカクかくかくシカジカの 通りになりました。人間の行うことですので多少の間違いは生じるとしても愛の想いに基づいた行為なら、こうゆう結果にはならないのです。

しかし愛のパフォーマンスに心酔して、自己満足に浸っている連中には間違った愛などと云う概念は理解できないのです。そのような事情もありまして、愛の教えを批判する私は、反体制思想の所有者の如き印象を、GLAや一部の親族、関係者などに与えることになったのです。当初私は、社会一般の矛盾や、癒着による腐敗などを指摘する意図は全く無く、その構造などを具体的に感知する機会も無かったのです。

それにも拘わらず、感知、指摘せざるを得ない方向に進行した訳です。
そうなれば、宗教的な思想に関わってきた関係上、自然な形でそういう状況に至ったと云うことは、GLAの教義、思想からすれば、即ちそのことが自分の使命であると認識することが正解と云うことになるのです。ですので、当初から使命感をもって踏み込んだ問題ではなく後からGLAの教義に基づいて、これが自分の使命ではないか?との 思い込みから発した行為であり、結果なのです。云うならば一種のマインドコントロールに嵌った結果なのです。そういった面から捉えれば、災難と云わざるを得ません。

癒着構造などは河川の渦のようなもので、巻き込まれると身近な問題でもマトモなこと(筋道立った説明や道理の説明、論議など)を云っても意味がなくなるのです。政治問題のマトモなこととは、意味が違います。簡単に言えば、二枚舌や二足のワラジで幕の外から操ることが出来るのですか、狙われた人は論理など持ち出して 対抗、もしくは弁明しても何の意味も無くなるのです。 要するに異常人格者から、飛び道具の凶器で物陰から狙われるようなもので、通常では 予期できない出来事なのです。即ち災難なのです。

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