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木漏れ日の空間にようこそ !!

○この世の事実を霊の論理で否定はできない


この世の事実を霊の論理で否定することはできない。


宗教々義に関して、行って悪いことがあるならば
予めハッキリと明示しておかなくてはいけないのです。が、それさえ行わず、結果に付いてのみ後から一々あれはいけない、これはいけないと、霊的な理由を持ち出して説諭するのであれば、自分の主観で判断しているとしか理解のしょうがありません。早く云えば、独裁的な思想に移行するものを秘めているのです。勿論、宗教組織はそう云った面を持っていますが、それは宗教的な良心の裏づけがあって容認されているのであって、単なる神の代理人と云う理由のみで、一般社会の中でも、普遍的に通用するものと思い込んだのが間違いであり、教祖自身が自らを、マインドコントロールに引き込んだ要因であると思います。

霊的原因の中で、予めヤツテはいけないなどと云うことを
明記するなどとは、不可能なことでもあります。勿、論唯単に明記するだけならば、可能ですが、社会的には何の意味も持たないのです。自分の主観で勝手に作り上げた霊的原因による、善悪を普遍的且つ一般的なものとして、この世の法律と同一視し、口には出さねど無言の圧力をかけると云う形で、咎めるのであれば道徳としてでも(霊的因果を説く道徳、例えば因果応報のようなもの)無理がきます。書けないものは、ハッキリ言葉や文章で明示しなくてはいけないのです。それが出来ないのであれば、後から咎め立てをしてはいけなのです。道理としてはそのようになります。この世的道理や事実は霊的根拠で持って、否定することはできないのです。霊的存在を(幽霊など)この世的に否定することはできますが意味が違うのです。逆も同じではないのです。

又、高橋佳子は間違いをも生かすと、自ら主張していましたが
彼女自身の間違いのみか? それとも、彼女の教えを受けた一般の人々の間違いをも含めてか?は、ハッキリしない面があり又、そのまま生かすのか? 教訓として生かすのか?も、ハッキリさせてはいませんでした。従って付随的に教えの間違いか? 解釈する人の間違った理解による間違いなのか? と云うこともハッキリしていませんでした。従って教えそのものが、間違っているのか?間違っていないのか?さえ判別できないものでした。このような曖昧な特定個人(教祖高橋佳子)の霊的概念で、賞罰が霊的な現象が起きることにより社会的にできると思っていたのでは、事件に発展するのも当然です。

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