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  b26【精神統一のノウハウ】
精神統一や瞑想に関する事柄は、宗教の領域であると思います。従って精神統一と瞑想が同じか?同じでないか?に答えるのは宗教の役割であると考えます。しかし、宗教の内容によって答えがことなることは、当然あり得ます。私は違うと答えさせていただきます。どのように違うか?に着いて以下に簡単に記すことにします。瞑想は特定のテーマ、例えば場面や状況を想念に描くことが前提になると思います。(私の認識)能動的に描くではなく、気持ちを鎮めていればいれば、自然に場面、状況が浮かんでくると云う説明でも、根本は同じと考えます。理由は、例え想念行為でも自分の意志のないところに特定の場面、状況は浮かんではこないと考えるからです。特定の意志が働いている以上幻覚の要素になりますので、私はお勧めすることはできません。

又、GLAに在籍中に教義に従って行った経験もありますが、不成功に終わりました。精神統一は、何も考えなくすることです。(私の考え)そのようなことはできないとか、心の中(想念)を空白にすると魔が入ると云う説もあると思いますが、そのようなことはありません。精神統一が進むと、外観の物音、即ち、近くの例えば、人の話し声や遠くの自動車の警笛の音も、風のささやきも同時に耳に入るようになります。(在りのままに聞こえるようになります)通常は聴こうと思わなくては、遠くの警笛や風のささやきなどは聞いて居ても想念の中には入りません心の中(想念)を空白にはできませんが、何も考えないようにすれば、外観が在りのままに入ってくると云うことです。

何も考えないようにするには、掛け時計の秒針を刻む音に心を傾けることです。(私の方法)目は最初は閉じる方が効果的です。気持ちが鎮まったら、開いた方が良いと思います。幻覚防止になるからです。目を開いた場合キョロキョロ見回してはいけません。一定範囲内を見つめることです。(何があるか?に記憶の努力⇔天井の模様など)そして同時に時計の秒針を聞くことです。この状態を維持できるように心を傾けていれば、余計なことを考える隙がなくなります。想念上の疲れを感じたら、眼を閉じて時計の秒針を刻む音に心を集中します。以上の繰り返しです。精神統一は次第に深まります。

深まると想念らしき者も入りますが、幻聴、幻覚とは異質のものであることが判ります。気になるようでしたら、ゴロ寝で行っていた場合は、立ちあがって屈伸運動を行っても宜しいですが、排除する想いはいけません。あくまで自然のままに保つ姿勢が大切です。一息入れたら又、続ければよいのです。思うように続けられなければ、順次止める方向に進めて行くことです。他人の想念のささやきが入ったら止めなくてはいけません。(幻覚の元になるかも知れません)順次止める方向を続けるなら、屈伸運動の替わりに、掃除などの作業を入れて、続きをつづければ良いと思います。(今度は心が鎮まったところで打ち切れって終わりにできます)

精神統一できたら、良心の声を聴くと云う方法もあるか?と思いますが、良心の声は、精神統一を行って聴くものではなく、表面意識で理解するものだと私は思っています。尚、上記精神統一の方法は魔除けにもなると考えています。但し、魔除けを目的とする場合は、途中の刑作業は欠かせないと思います。私は経験ありません。精神統一を行う必要性もなくなりました。感じなくなりました。上記は、霊的意味を先取りしないことを前提としたものです。(先取りとは、この世的な対応を飛ばして行うことです)尚、作法については特に在りませんが、他人に敬愛を求める人は、キチンとした姿勢(正座もしくは椅子に腰かけて)で行って下さい。(2011/07/09)




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