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b33【反省の階層を記す】
当ページは宗教理念を主体として記すもですから、反省について欠かすことはできません。以前から記してはいましたか、中身に関しては記してはいませんので以下に記すことにします。第一に反省を行う意志のない人には関係在りません。但し、人間である以上全く反省を行ったことが無い人はいないと思います。したがって、第二に何を基準にして反省をしているか?考えなくてはいけません。「盗みをしてはいけない」「嘘を言ってはいけない」「暴力をふるってはいけない」「約束を守るなくてはいけないむ」「他人を無暗に罵倒してはいけない」等を基準(基本的な道徳)とした反省は、初歩の反省です。せいぜい小学生までです。

第二段階は複雑な道徳を基準にした反省になると思います。例えば、正義や物事の考え方です。責任や義務に関すること人権に関すること等です。第三段階が内省に関することです。例えば、「目的は何か?」「原点は何か?」「正当化してはいないか?」「すり替えてはいないか?」「流されてはいないか?」が基準になります。内省に関して注意すべきことは、初歩的な道徳に拘るとウツ病状態になることです。内省がでるるようになれば、初期の道徳はホローできますので、状況により内容を修正してよいと思いますが、(例えば破らなくてはならないような約束はしない等⇔性に関する道徳も同じ)捨ててはいけません。どう生かすか?になります。生かすとは愛の概念になりますので良心に抵触しなければよいと思います。

第四段階が各種欲望を基準とした内省を行うことです。例えば「金銭欲」「名誉欲」です。初歩的なものは克服することはできますが、欲望そのものは無くすることはできません。克服とは、どのように生かすか?になります。どのような想いにでいるか?が基準になります。言い聞かせ」になっていることもあります。(名誉になるから等、その他打算)最終的には良心の判断に委ねられるものです。しかし、客観的に判断される事柄でもあります。想いの内容が結果に現れると云うことです。悪しき結果は正当化や、すり替えで自からをごまかしていたことになります。神(神に象徴される高級心霊)の判断に委ねられるということです。神は良心の中に存在しても、判断は心の外に現わすことができることを意味します

しかし、第二段階の反省ができていなかったことを自覚しなくてはならなくなります。(神が存在すれば)その他の欲望、即ち、自尊心、自己顕示欲、本能に関しては、既に記していますので繰り返して記すことは致しません。愛を基準とした反省は、愛そのものが、定義できないことですので省かせてもらいます。唯、無意識の内に行われることは確かであると思います。(愛に反した行為は良心の呵責を受ける)良心に任せらる事であると私は位置付けさせていただきます。いたずらに愛を基準とした反省がなされていないと教説する者は、「愛のふんどし」で相撲を取ることを志向する者であると断定してよいと思います。霊的に問題にされるのは縁起の展開から処罰の対象になった現象に限らなくてはいけません。

古来より同様根拠で批判する者がいるから、何を基準として反省するか?については、誰も明言できなかったものと考えます。従って、密教方式で現わすしかなかったと考えられます。未だ、どちらが優ってているか?は人間の判断ではできません。神の判断によるものと思います。しかし、普遍的な方法として示しても地獄に行くことはないと考えます。理由は言い聞かせや知識で行っても、又、はじめから、行わなくはなるからです。結局は自分の本性(魂の性向)に沿った方法で行うことになると思います。どちらが優っているか?はどちらが落後者が多いか?になります。反省は「お迎え」が来てからでも行わなくてはならないものと考えられます。自己責任になり示した者の責任にはできないからです。(2011/08/01)








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